173 十三歳 順応したエルフ達 ティリーヒル
アイザック達は、クロードやブリジットと共にティリーヒルに向かう。
エルフの村へは、ポールとレイモンドといった男友達を五人同行させる。
保護者として、ノーマンと五名の騎士が同行する。
護衛の数が少ないのは「エルフに魔法を使われたら半端な人数では防ぎきれない」という理由からだった。
だからといって、大勢の護衛を付けたのでは、エルフを刺激して却って戦闘を誘発させてしまうかもしれない。
代わりに、村長のアロイスなど「人間との関係が上手く続いてほしいと思う者達」が自主的に守ってくれる事になっている。
彼らも自分達の生活が懸かっているので、必死に守ってくれるはずだ。
もちろん、護衛の数が少ないのはモラーヌ村に行く時だけ。
ティリーヒルへの道中では、十分な数の護衛が用意されていた。
(初めてティリーヒルに行った時とは大違いだなぁ)
アイザックは感慨深げに窓の外を見つめる。
初めてティリーヒルに行った時は、ブラーク商会のデニスをやり込めるためだった。
ネイサンとの後継者争いもあり「気楽に観光」といった気分ではなかった。
――だが、今は違う。
今回は同じ年齢の子供達を連れ、まさに観光気分で向かっている。
思えば、こんな気楽な気分でティリーヒルに行くのは初めてだった。
今までは誰かを罠にハメる事や、交易所が上手くいっているか視察するという目的のために行っていただけだ。
(重要な交渉が必要なのはドワーフだけ。今回は観光を楽しむか)
将来に備えるために訪問が必要なのはドワーフ側だけなので、良い休養になるかもしれない。
「どうなるか分からないけど楽しもう」と、アイザックは考え始めていた。
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「本日は、ようこそおいでくださいました」
ティリーヒルの代官屋敷に着くと、オルグレン男爵が出迎えてくれた。
息子のマーカスの姿もある。
アイザックは彼らと握手を交わす。
「お久し振りですね。お元気そうで何よりです。エルフの村に行く前に一泊お世話になります」
「どうぞどうぞ。何泊でもしていってください」
オルグレン男爵は上機嫌だった。
今をときめくアイザック。
彼が名を馳せる始まりの地であるティリーヒルに、また来てくれたからだ。
「君たちも我が家だと思って寛いでいってくれ。歓迎するよ」
「お世話になります」
レイモンドが最初に口を開き、他の子供達もそれに続く。
彼らが挨拶している間に、年配の男がアイザックに近づいてきた。
「やぁ、アンガス。ティリーヒルの駐在ご苦労様」
「ありがとうございます。折衝役を任され、責任の重さを実感するばかりです」
彼は新しく任命された折衝役だった。
今までティリーヒルに駐在していたグレンは、ドワーフとの折衝役を任されてアルスターに異動した。
そのため、エルフ相手の新しい折衝役にアンガスが任命されていた。
彼の事を知っていたのは、モーガンの頃から仕えている秘書官だったからだ。
最近はランドルフに仕えていたが。
「引継ぎで聞いているかもしれないけど、グレンは仕事としてやるんじゃなく、実際に話し合う交流を重視して上手くやっていた。アンガスなりのやり方があるのかもしれないけど、効率だけを求めるようなやり方はしないでね」
「もちろん、理解しているつもりです。これでも、長年秘書官として働いておりますので」
「そうだったね」
アンガスは笑顔を浮かべるが、アイザックは苦笑いを浮かべていた。
秘書官は他者との接触が多い職務だ。
そもそも、能力のない者が領主の傍で働けるわけがない。
アイザックが心配する必要のないほど、経験が豊富で実力もあるはずだった。
だが、アンガスは「子供に心配された」と不愉快にはならなかった。
こうして「何か言われても軽く受け流せる」というところも折衝役に選ばれた理由かもしれない。
「クロードさん、ブリジットさん。新しくエルフとの折衝役を任されたアンガスです」
アイザックは、まず二人にアンガスを紹介する。
「ああ、よろしく」
「よろしくね」
だが、二人は初対面とは思えない気軽さで挨拶をする。
「ウェルロッドの屋敷で会っている見知った顔だ。今までにもエルフの事を聞かれたり、人間の事を聞いたりして何度も話している相手だから、挨拶というのも今更だな」
アイザックが不思議そうにしていると、クロードが説明してくれた。
それもそのはず、クロードだって屋敷で無為に過ごしているわけではない。
アイザックの知らないところで人と会い、話し合っている。
「何をしているのか知らない」という事が「何もしていない」という事とイコールではないのだ。
クロードは、ウェルロッドの屋敷で働く者達のほとんどと顔見知りになっていた。
「知り合いだったんですか。なら、確かに挨拶は今更ですね」
アイザックは紹介する手間が省けたと嬉しく思う反面、手持ち無沙汰になってしまった寂しさも感じていた。
「何かないか」と周囲を見回す。
その時、元気そうな友人達の姿が目に入った。
若いだけあって、馬車での疲れもさほどないようだ。
「ねぇ、みんな。交易所に興味ない?」
「あるある!」
「見てみたいと思ってた!」
「どうなってるの?」
アイザックの提案に、みんなが食いついてくる。
思った通りの反応だったので、アイザックはニッと笑う。
「じゃあ、ちょっと休憩したら行ってみようか。モラーヌ村に行く前に人間とエルフがどんな関係になっているのか見てみるのもいいと思うしね」
アイザックは、今までに何度か交易所を見た事があるので知っている。
しかし、他の子供達――いや、護衛など初めて訪れる大人達も含めて――まだ、交易所を見た事がない。
モラーヌ村には明日行く予定で、その道中に交易所もあるから、明日見る事はできる。
だが、今日の内に人間とエルフの交流姿を見ておく事も悪くはない。
「上手くやっていけるのか?」という不安を払拭しておいた方が上手く交流できるだろう。
ワンクッション置く事で、心に余裕を持てるかもしれない。
「それでは、昼食を用意しておりますので、そのあとに行かれてみてはいかがですか?」
「うん、そうしよう」
オルグレン男爵の勧めにより、まずは昼食という事にした。
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昼食後、交易所を訪れたアイザックの目に、以前とは違う交易所の様子が目に入った。
「うわぁ、なんだこれ……」
アイザックは思わず呟く。
交易所が、すでに彼の知っている交易所ではなくなっていたからだ。
エルフの数が以前よりもずっと多くなっているが、それだけではない。
人間の数も増えている。
「弓の実演販売、日当一万リード。けど、歩合も出るよ。売れば売るほどお金が稼げるよ!」
「古くなった住居の補強工事、一件五万リードから。土魔法が得意な方のみ募集中!」
「ちょっと、そこのお嬢さん。ウェルロッド領内の街をこのドレスを着て歩いてくれるだけで、月給百万リードも夢じゃない。しかも、このドレスもプレゼント。お友達と一緒にいかが?」
今の交易所には熱気が籠っている。
仕事を求める者と与える者が集まっていた。
エルフ達はより良い条件を求めて、賃金の交渉をしたりしている姿も見えた。
(なんでドヤ街みたいになってんだよ……)
以前はもっと、和気あいあいとした空気があった。
しかし、今はどこか殺伐としている。
みんな必死なのだ。
人間側は、数の限られるエルフを確保しようとする。
エルフ側は、仕事を受ける事を渋る事によってより良い条件を引き出そうとする。
だが、渋り過ぎると他のエルフに仕事を奪われてしまう。
エルフ同士でもライバルのように競い合っている。
皆が皆、牽制しあっているせいで、殺伐とした空気になっているのだろう。
これはアイザックも、まったく予想していなかった状況だった。
「凄いね……」
「うん……」
「なんだか怖いかも」
アイザックの背後で、友人達が小声で話しているのが聞こえる。
彼らの意見にアイザックも同感だった。
「マーカスさん、いつからこんな事に?」
今回も案内役を買って出てくれたマーカスに尋ねる。
こういう事は、この地で暮らす者に聞いた方が手っ取り早い。
「大体、去年くらいからですね。ほら、アイザック様がドワーフと接触したとかなんとか噂になったあとですよ。あの頃から『ドワーフとの交易が始まる前にエルフと仲良くなっておこう』と考えた商人達が集まり始めました。領内でできる仕事を依頼したりして関係を深めようとしているようですね」
「なるほどね。ウェルロッド領内では氷菓子屋とかで働いているエルフもいるから、領内なら安心して働きにいけると思われているのかな?」
アイザックは、仕事の斡旋人とその周囲に集まるエルフの人だかりを見ながら、ブリジットが言っていた「生活に必要な物は揃っていても、嗜好品を自由に買う余裕まではない」という言葉を思い出す。
(欲しい物があるから働く。当然の事だけど、まだ仕事が不足してそうだな)
カカオの木を育てる仕事だけではなく、ティリーヒル周辺に何かエルフ向けの仕事場を作った方がいいかもしれないと考え始める。
(今はまだ取引をしているというだけ。今よりももっと人間の経済圏にエルフを取り込んで、人間と縁を切れなくしてしまう方がいいだろうな)
過去の戦争は「人間対他種族」だった。
だが、今後起こり得る戦争は「人間対人間」である。
それを「人間+エルフ対人間」という図式にしてしまえば、かなり有利になる。
――エルフをウェルロッドの経済圏に組み込み、アイザックの味方をせざるを得ない状況を作り出す。
エルフも自分達の生活が懸かっているとなれば、人間同士の争いで中立を保とうとはできないはずだ。
今の仕事を求めている姿を見る限り、人間との交易を中断して以前の暮らしに戻る事などできそうにない。
この状態をもう一歩進ませてやれば、なりゆきでアイザックの味方をしないといけなくなる状態になりそうだった。
(待て待て、今回は観光に来たんだ。こんな事を考えに来たんじゃない)
少なくとも、今はこの件について考える時ではない。
観光メインで来たのに、つい裏工作を考えてしまう自分の事を「どうしようもない奴だ」と呆れてしまう。
アイザックはかぶりを振って、考えた事を忘れようとした。
そこへ、ポールが話しかけてくる。
「なぁ、アイザック。エルフってこういうもんなの?」
エルフという存在に幻想を持っていた者達にとって、仕事を探すエルフの姿は現実的過ぎた。
少し好奇心が薄れてしまっているように見える。
「いや、違うと思うよ。みんな、食堂の方に行ってみようよ。あっちならもっとゆったりしていると思うよ」
気分転換をするため、別の場所へ移動しようと提案する。
これには、斡旋業者とエルフのやり取りに呆気に取られていた者達も賛同する。
食堂でくつろぐエルフの姿を見て、少し気分転換をしたいというのはアイザックと同じだった。
(前に来たの何年前だっけ? いくらなんでも変化が早すぎてついていけない)
最初は必要な物を得るための交流再開だった。
しかし「人間達が意外と怖くない」と知ったエルフ達が大胆になってきている。
今は良くても、十年後、二十年後に摩擦の原因になるかもしれない。
そういった事への配慮も考えないといけなくなってしまった。
アイザックはその事を考え、またかぶりを振った。
悲しい事に「休まずに働き続けないといけない」という習性が身についてしまっているようだ。