167 十三歳 三度目の正直
三月に入ると、アイザックは少し焦り始めた。
肝心のジェイソンに、ニコルの事を吹き込めていないからだ。
ジェイソンに会う時には、近くに必ず誰かがいた。
フレッドがいた時は、ジェイソンを陥れるどころか自分が危なかった。
――三度目の正直。
そうなる事を神に祈っていた。
そして、その願いは叶った。
三回目の面会では、ようやくジェイソンが一人で相手をしてくれたのだ。
もちろん、周囲には使用人達がいるが、そんなものはどうでもいい。
彼らはアイザックとジェイソンの話に割り込んではこない。
――話を邪魔する者がいない以上、ようやくニコルの話題を切り出せる。
アイザックは心の中で快哉を叫んだ。
あらかじめ用意しておいた小瓶をジェイソンに差し出す。
「殿下、こちらは僕の育てている花で作ったエッセンシャルオイルです」
「ああ、あの花の匂いのする……。香油とも言うらしいな。母上が社交界で流行り始めていると言っていた。よくもまぁ、色々と思いつくものだ」
ジェイソンが瓶を一つ手に取り、匂いを嗅ぐ。
不用心なようにも思えるが、王宮に持ち込まれる物は前もってチェックされる。
安全だとわかっていての行動だ。
とはいえ、アイザックが「手荷物の検査官を買収すれば毒殺できそうだな」と思ってしまうほど甘そうなチェック体制だった。
様々な検査器具が発達している時代、チェック体制が整っている時代とは大違いだ。
だが、ジェイソンにはニコルの餌食になってもらわなくてはならない。
それに逃走経路の確保が大変そうなので、毒を持ち込んで暗殺など行うつもりはない。
「香油は私が作ったわけではありません。作り方を買い取って売っているだけなんですよ」
「違うのか? てっきり、こういう物を考えるのは君だろうと思っていたんだが。その変わり者はどんな人なんだい?」
「ニコル・ネトルホールズ女男爵です」
まるで自分まで変わり者だと言われているような部分に引っ掛かったが、ニコルの名前を出せた事にアイザックは満足していた。
「ほう、どんな女性だ?」
「そうですね……、個性的な女性だと思いますよ。ちなみに僕達と同じ十三歳です」
「同年代だと!?」
「女男爵」という爵位を持っている事もあり、それなりに年のいった女性を想像していたのだろう。
それが同じ年齢の女の子だと聞かされ、ジェイソンは驚いた。
「そういえば、ネトルホールズ男爵というのは聞いた覚えがあるな」
ジェイソンが考え込む。
さすがに王子とはいえ、接触のない全ての貴族までは覚えていないようだ。
アイザックが教えてやる事にした。
「先代のネトルホールズ男爵は、倫理などの分野で有名な方だったそうですよ」
「そうだ、テレンス・ネトルホールズ男爵だ! 確か、アイザック・ウェルロッド語録の執筆者だったな」
「……ええ、そうです。ネトルホールズ男爵は、僕の家庭教師をしてくださりました」
恥ずかしい記憶を持ち出され、アイザックはこの場から逃げ出したくなった。
だが、それでは恥ずかしい思いをした意味がない。
もう少し頑張ろうと、自分を奮い立たせた。
「そういう繋がりがあって、そのニコルという娘とも知り合ったのか」
「そうか、そうか」と、ジェイソンは一人うなずく。
何に納得しているのかわからないアイザックは、変な誤解をされていないか段々と不安になってくる。
「ネトルホールズ男爵の書いた本は何冊か読んだ覚えがある。どれもが素晴らしい内容だったはずだ。……しかし、それなりに高齢だったはず。年を取ってから生まれた子供なのか?」
「いえ、ニコルさんはテレンス先生の孫娘です」
それから、アイザックは少しばかりネトルホールズ男爵家の事情を簡単に説明する。
――ニコルの父が新しい商売を始めようとしたが、失火により焼死。
――延焼によって多額の負債を抱えたので、心労によってテレンスが亡くなった。
――直系の者がニコルしかいなかったので、ニコルが男爵位を継いだ。
さすがに「カブトムシの養殖をしようとしていた」という部分は省いた。
ジェイソンには理解できないだろうし、アイザックにも理解できない行動だったからだ。
だが、それで十分だったようだ。
ニコルの壮絶な人生に、ジェイソンは目を潤ませる。
「なんと不幸な……。それで、借金はどうした?」
「こちらで立て替えておきました。僕にとって先代のネトルホールズ男爵は恩師です。心労をやわらげて差し上げたかったのですが、残念ながら程なくして亡くなられました」
アイザックは悲し気な表情を浮かべる。
それと同時に、心の中で笑顔を浮かべた。
ジェイソンがニコルに興味を持ち始めたように思えたからだ。
ここまでの話は、大体の部分で嘘は言っていない。
チョコレートの製造方法を買い取ったなど、言っていない部分があるだけだ。
これは、あくまでも「恩師の孫娘」という部分を強調しておきたかったからだ。
もっと前から関係があったと思われたくはない。
ジェイソンもベラベラ喋ったりはしないだろうが、万が一にもパメラの耳に入ったら後々困る事になる。
知られても良い範囲内で情報を制限しておきたかった。
「私は……、知らなかった。皆が幸せに過ごしているものだと思っていた。まさか、王都に住む者でそのような不幸な目に遭っている者がいるとは考えもしなかった」
ジェイソンは悔しそうに下唇を噛む。
そんな彼に、アイザックは優しそうな声で慰めてやることにした。
「王立学院に入学すれば会う機会もあるでしょう。その時、殿下から一言慰めの言葉をかけてあげてください。殿下の言葉を聞けば、きっと彼女も元気を取り戻せる事でしょう」
「そうだな。そうしよう」
――天使のフリをした悪魔の囁きに、王子は哀れにも耳を傾けてしまった。
(あいつは元気を取り戻すどころか、男を落とそうとするくらい元気だよ)
とりあえず、ジェイソンとニコルが出会うフラグを立てる事に成功した。
アイザックは笑みを浮かべる。
その笑みを見て、ジェイソンも笑顔になった。
罠に嵌めた者と嵌められた者。
同じく笑みを浮かべていても、その意味は大きく異なる。
この時の笑みの意味に、ジェイソンはいつか気付けるだろうか。
「そういえば、ニコルさんはものすごく可愛いそうですよ」
「そうですよ? 会った事があるんじゃないのか?」
アイザックの不自然な言葉に、ジェイソンは首をかしげる。
「僕の好みじゃないので、あまり可愛いとは……。でも、周囲の人達はみんながとんでもなく可愛いって言うんです」
「アイザックの好みじゃなく、周囲は可愛いと言う……か」
ジェイソンは少し考え込むと、少し意地の悪い笑顔になった。
「なるほど。会ってみるのが楽しみになるくらい、可愛い女の子のようだね」
「えっ、なんでそうなるんですか?」
興味を持ってくれるのは良い事だが、自分が「好みではない」と言ったにもかかわらず、可愛いという判断をした。
その事を不思議に思い、アイザックは理由を聞いてしまった。
「君の噂を聞くだけでも、普通とは思えない事ばかりだからね。周囲の普通の人達の意見を参考にさせてもらった」
「さすがにそれは酷いんじゃないですか!」
アイザックがふくれっ面をする。
それを見て、ジェイソンはフフフッと含み笑いをした。
「普通の行動をしてから怒ってくれたまえ」
「普通ですよ、普通。僕は至って普通の男の子です」
「フフフッ」
「いや、フフフッじゃないですって」
ジェイソンが信じようとしないので、アイザックは自分がどれだけ普通の男の子かを説明する。
だが、話せば話すほど含み笑いをされるばかり。
アイザックの言う事を信じてくれなかった。
しばらくして、笑い疲れたジェイソンが話題を変えようとする。
「ところで、ウェルロッド侯爵領の軍備拡張は進んでいるのかな?」
「ええ、今のところは順調のようです」
アイザックは、突然話が軍へと変わった事で警戒を強める。
国王であるエリアスの許可を得ているので非難される覚えはないが、怪しいところを突かれると返答に困ってしまう。
そこまで気にしなくてもいいのだが、後ろめたい理由があるせいでどうしても警戒してしまっていた。
「凄腕の傭兵というのが、今王都に滞在しているらしいよ。彼をスカウトしてみたらどうだい?」
「傭兵ですか? 雇うのは構いませんが、なぜ殿下が傭兵の事を知っておられるのですか?」
アイザックの素朴な疑問。
ジェイソンは、またフフフッと笑った。
「ウィルメンテ侯爵やウォリック侯爵。果てはフィッツジェラルド元帥まで彼を臣下にしようとしたけど、断られてしまったらしいと噂で聞いた。君なら、彼を臣下にできるんじゃないかと思ってね」
「そんな無茶な……、あっ!」
(凄腕の傭兵! そういえばそんなサブ攻略キャラがいたな)
「もしかして、マット・モーズリーという名前ではありませんか?」
「確かにそのような名前だったと思う。愛称はマッド。かなり危険な人物らしいね」
(そんな危険な奴を薦めるなよ……)
アイザックはそう思うが、今回ばかりは恨まないでおいた。
――マット・モーズリー。
彼は二十代後半にして、諸国の戦場を駆け巡った凄腕の傭兵である。
司令官タイプではなく、戦場で真っ先に斬り込む部隊長タイプの男だった。
どんな戦場でも真っ先に斬り込み、最後に戦場を離れるという一騎当千の男。
「出てくるゲーム間違ってない?」と評価を書かれていたのを覚えている。
そんな彼には誰にも言えない秘密があった。
先祖がやらかして、子孫にまで伝染する呪いをかけられてしまっていた。
その呪いを、なんやかんやでニコルが解いてゴールインという流れだ。
(キャラクター一覧のところには、肝心の呪いの解き方までは書いてなかったけど、たぶん何とかなるだろう)
アイザックには「エルフ」という、超常現象においてこれ以上ないほど頼り甲斐のある味方がいる。
一度、クロードに呪いを解けるか見てもらうだけ見てもらえばいい。
上手くいけば、頼り甲斐のある前線指揮官を配下にできる。
ジェイソンは、ただの世間話で彼の事を話題にしたのだろう。
だが、まさか彼の刃が自分に向けられるとは考えもしていないはずだ。
今度はアイザックがフフフと含み笑いをする番だった。
「軍というものは、兵士を増やせばいいというわけではありません。統率する指揮官も必要です。確かに彼をスカウトできれば、とても頼り甲斐があるでしょう。上手くスカウトできれば、ウェルロッド侯爵家だけではなく、リード王国にも大きなメリットがあります。一度接触してみます」
「ああ、期待しているよ」
ジェイソンは笑顔だった。
だが、なんとなくアイザックは一つの事を思い出してしまった。
(そういえば、ジェイソンはニコルの好感度が高いキャラに無茶な命令を出して失敗させるんだっけ。そして恥をかかせる。でも、ジェイソンはまだニコルともあってないし、嫌がらせされる覚えはない。他の事で何か怒らせるような事したっけ? エルフとかドワーフとの交流再開で結果を出しているから嫉妬した? それとも偶然話に出しただけ? わかんねぇなぁ……)
武官の家がスカウトに失敗した傭兵を、文官の家系であるウェルロッド侯爵家が雇う事は非常に難しいと思われる。
そんなジェイソンの無茶振りに、アイザックはどうしても裏があるのではないかと深読みしてしまう。
だが、目の前にいるジェイソンから、腹黒さを感じられない。
アイザックは、彼の本性を知っているはずだった。
でも、目の前にいるジェイソンが原作ゲームに登場するジェイソンと同一人物だとは思えない。
――攻略サイトで見た情報をどこまで信じていいのか?
実際にプレイしていないアイザックには判断できなかった。
ニコルが関係していない事もあり、今回は「雑談の流れで決まった事だ」と思う事にした。
今後のサブタイトルをつけていく流れや、ツイッターを始める事に関して活動報告に書きました。
よろしければ見て行ってください。