145 十二歳 ケンドラの心を掴む者
三月末になると、グレイ商会から今年度分の収支報告書が送られてきた。
(まぁ、プラスにはなるよな)
ネジやバネなどの試作品を作った作業代金も請求されているが、一輪車などの販売利益と差し引きされている。
請求された中には、ニコルに贈った小型の蒸留器の代金も含まれていた。
(これは仕方がない。また売ってくれって来られるよりマシだ……)
別に頭を悩ませるほどの金額ではない。
元々、ポケットマネーには困っていないし、グレイ商会がネジなども売り出し始めたので増えていく一方。
鉄道のレールなどを作った代金も気にならないくらいだ。
アイザックにとって金銭的な支出よりも、ニコルと顔を合わさない方が大事だった。
――得体の知れない不思議な感覚。
パメラ相手だと心地いいくらいだが、ニコル相手では怖気を感じる。
人間にとって、美しいかどうかが重要だと思い知らされる。
前世では自分の顔を人並みだと思っていたが、アイザックがニコルに感じているように、実は女性に「こいつはないな」と思われていたのかもしれないと思うと寂しくはあったが。
(いや、この世界だとニコルが可愛いらしいから、前世の顔のままの方がこの世界ではモテたかも? ……でも、やっぱり今の顔の方がいい)
両親譲りの優しそうで整った顔。
この世界の顔面レベルの平均値が高いにしても、この顔に産んでくれた事には感謝しかない。
たとえ誰かにナルシストと言われようが、やっぱり自分でも美少年だと思う顔で生きていたい。
美形の多い、この世界基準でも顔は整っている方だと思う。
モテないという事はないだろう。
(まぁ、そんな事はどうでもいい。それよりも、パメラと会えないのが辛いな……)
本当ならば、ドワーフの事を理由にウィンザー侯爵家を訪ねたい。
だが、パメラと会う事を禁止されているので会う事ができない。
彼女に会えないのなら、わざわざ訪ねるほどの用件でもないので、訪ねる必要がない。
よほどの事がない限り、パメラと会うのは学院に入るまでお預けとなる。
(早く学生になりたい。でも、まだジェイソンと接触すら終わっていない段階で学生になるのもまずい。ドワーフとの事が一段落はついても、一息つける状況じゃあないのが辛いところだ)
ドワーフとの交易は、きっと大きなプラスとなる。
しかし、ドワーフに手を取られたせいで、未来への布石を打つ手が止まってしまった。
これまでの成果は、王都の商会に楔を打って、軍備拡張の許可を得た事くらいだ。
この二つは大きい事のように思える。
だが、その二つよりもウィンザー侯爵家かウィルメンテ侯爵家を寝返らせる事をできた方が成果としては大きかった。
王国側の戦力を削り、削った分を自分の戦力にできるからだ。
問題があるとすれば、彼らを味方につける方法くらいだろう。
(そう考えると、ドワーフとの接触も悪くなかったのか? 急がば回れって言うしな)
実績も残せたし、ドワーフの品を贈ったりして他家との繋がりも今後深まっていくだろう。
相手に取り入る手段が増えたと思えば、遠回りも悪くなかったと思える。
来年はジェイソンに接触する予定だ。
まずは彼の事を確かめなければならない。
――アイザックの知るジェイソンから変わっているかどうかを。
フレッドとアマンダが婚約を破棄した。
ニコルは自分を狙っているようで、他のキャラに対してどう動くかわからない。
すでに原作と流れが変わってしまっている。
ジェイソン関連まで大幅に変わってしまっていたら、アイザックはこの先どう動けばいいのかわからなくなってしまう。
近衛騎士の頬を札束で殴る勢いで買収したりして、王族を裏で一掃するという強引な手段しか思いつかないかもしれない。
さすがにそんなやり方は、後々の国家運営に大きく悪影響を与えるのでやりたくない。
どうせなら、もっと上手い方法で国を奪い取りたいと思っていた。
(まずはジェイソンのダメなところを探って、それを周囲に広めて求心力を失わせる。そこから、貴族達を自分の陣営に引き込んでいく……。なんか地味だな)
最近はそこそこ自分のやる事に自信を持てるようになってきている。
地味なやり方よりも「どうせなら派手で華麗なやり方で王位を簒奪した方が恰好良いんじゃないか」と思い始めた。
(いっそ、どこかの国と戦争させて、背後から一気に……。あぁ、やだやだ。人間ってこれだけ卑しくなれるもんなんだな)
前世では、自分がこんな事を考えるなんて思いもしなかった。
どんどん悪巧みがエスカレートしていく事に対して、アイザックは少しだけ罪悪感を覚える。
(こんな時はケンドラと遊ぼう。来月にはウェルロッドに帰らないといけないから、会えなくなるし)
アイザックは、荒んだ心を休ませようとする。
妹がこれだけ可愛いのだ。
将来、パメラとの間に自分の子供ができたらどれだけ可愛いのだろうか。
そんな事を考えながら、アイザックはケンドラのいる部屋へと向かっていった。
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四月上旬。
アイザック達は、今年は少し早めにウェルロッドに戻る事になった。
エリアスがアルスターまで出向くので、彼らを受け入れる用意をするためだ。
王都に残る家族が揃って見送りに来てくれている。
そんな中、ルシアに抱かれたケンドラが泣き喚いていた。
「やぁぁぁ」
家族が遠く離れてしまう事を察して泣いているのだろう。
精一杯手を伸ばして、アイザック達に「行かないで」と言っているように思えた。
「ケンドラ、心配ない。私は一月かそこらで戻ってくる」
真っ先にモーガンがケンドラに諭すように優しく語り掛けた。
ケンドラは王都で生まれ育った。
モーガン、ランドルフ、アイザックの三人の中で、一番傍にいた時間が長いのは自分だ。
きっと自分が遠くに行ってしまうと思って、寂しがっているのだろうと思っていた。
だが、ケンドラは泣き止まない。
他の誰かを見ていた。
「すみませんね、父上。やはりケンドラはパパが恋しいんですよ」
モーガンを押しのけるように、ランドルフがケンドラの前に立つ。
「次は半年後になるけど、そのあとはずっと一緒にいられる。今だけの我慢だ。辛いだろうけど耐えてくれ」
ランドルフはケンドラの手を握る。
しかし、それでも泣き止まなかった。
それどころか、掴んだ手を振り払おうとしている。
これにはランドルフも戸惑った。
まさか、父親の自分と離れる事を悲しんでいるわけではないと思わなかったからだ。
「お父様、残念でしたね。ケンドラとの絆は僕の方が強いんですよ」
ここでアイザックが前に出る。
アイザックは、暇ができたらケンドラの相手をしてやっていた。
一年会わなかったランドルフよりも、兄妹の絆はずっと強いはずだ。
「ケンドラ」
「やぁぁぁーーー」
アイザックが話しかけた言葉は、ケンドラの大きな泣き声にかき消されてしまった。
「アイザックでもないとすると……」
ランドルフの呟きで、皆がケンドラの視線の先を追う。
――視線の先にいたのは、パトリックだった。
「えぇ……」
これはアイザックだけではなく、モーガンとランドルフも残念がっていた。
自分がケンドラに求められていると思っていたのに、ケンドラが行ってほしくない相手が犬だったのだ。
「犬に負けた」というガッカリ感が大きい。
「パトリックをこっちに連れてきて」
アイザックが使用人に命じた。
連れてこられたパトリックのリードを受け取ると、ケンドラの前へ連れていく。
「ぱといっく、ぱといっくー」
ケンドラは、舌足らずながらもパトリックの名前を必死に呼ぶ。
ルシアが手の中で暴れるケンドラを地面に降ろすと、飛びつくようにパトリックの首に抱き着いた。
その姿を見れば一目でわかる。
ケンドラは、パトリックと離れたくなかったのだ。
「んー」
これにはアイザックも、どうしようかと考える。
ケンドラは可愛いが、パトリックは友達だ。
置いていくのは、やはり寂しい。
(でも、俺はお兄ちゃんだもんな)
寂しい事は寂しいが、耐えられないほどではない。
ここは、ケンドラとパトリックのためにできる事をやってあげるべきだと考えた。
「パトリック」
アイザックは、まずパトリックに声を掛ける。
パトリックがこちらを振り向くと、手に持ったリードをよく見せる。
それをケンドラの手に握らせてやった。
「ケンドラの事を頼めるか?」
パトリックに言葉はわからない。
だが、なんとなく雰囲気で気付いたのだろう。
「任せろ」と言っているかのように、一度吠えて返事をした。
アイザックは満足し、パトリックの頭を撫でてやる。
「ケンドラ。これからもパトリックは一緒だから、泣き止んでくれ」
「いっしょ?」
「あぁ、一緒にいられるよ」
「やったー」
まだ涙を流しながらも、ケンドラは嬉しそうにパトリックに抱き付く力を強める。
「いいのか? 置いていっても?」
ランドルフがアイザックに尋ねる。
パトリックはアイザックにとって家族とも呼べる相手だった。
簡単にケンドラに譲ってもいいのかが気になっていた。
「いいんです。どうせ、来年くらいにはケンドラもウェルロッドに行けるようになるでしょう? 半年ほど離れるだけです。それに、ケンドラはまだ小さいから友達がいません。パトリックがいた方が寂しくないでしょう」
おそらく、来年くらいには友達となる子供が集められるが、今のケンドラには友達がいない。
アイザックもティファニーと会ったのは三歳くらいからだった。
だが、それまでの間、ケンドラの周囲には大人しかいない事になる。
パトリックがいてくれれば、寂しさを紛らわしてくれるだろう。
それに、ポールやレイモンドといった男友達ができてから、アイザックがパトリックと遊ぶ時間が減ってしまっている。
パトリックにとっても、一緒に遊べる相手がいた方がいいだろうと思ったからこそ、ケンドラのために置いていく事を決められた。
「ケンドラ、お兄ちゃんにありがとうは?」
「おにーちゃん、ありがとー」
「どういたしまして」
ルシアに促され、ケンドラがお礼を言う。
その姿が可愛らしく、周囲の大人達は頬が緩む。
「では、行くか……」
「そうですね……」
緩んだ表情とは違い、モーガンやランドルフは残念そうな悔いの残る声色だった。
ガックリと肩を落としながら、馬車に向かう。
「お爺ちゃんなのに……」
「お父さんなのに……」
「お兄ちゃんなのに……」
アイザックを含めて、三人とも同じように肩を落として馬車に乗り込んでいった。
――ケンドラが泣き喚くほど、別れを惜しむ。
その相手が自分ではなかったからだ。
しかも、その相手が犬のパトリックだったという事も大きい。
これがルシア相手であれば「やはり母親には勝てないな」と、すんなり負けを認められる。
だが、相手はパトリックだ。
確かに子供にはペットの方がいいのかもしれないが、素直に負けを認められずにもいた。
三人とも「次こそは自分が」と決意する事で、激しく落ち込みそうになるのを耐えようとしていた。
今年のウェルロッドへの帰還は、強く後ろ髪を引かれるものとなってしまった。







