133 十一歳 ドワーフとの交渉開始 ティリーヒル
ティリーヒルの交易所。
以前アイザックが様子を見に来た時とは違い、少し雑然としていた。
地元民が交易所の付近で、畑で取れた野菜などをカゴに入れて売っているからだ。
エルフ達が山菜などを持ち込み、野菜などと交換している。
時が進むにつれ、地元民達は「エルフ相手に堂々と取引してもいいんだ」と見て学んだ。
その結果が、目の前に広がるフリーマーケットのような光景だった。
この動きをモーガンも止めようとは思わなかった。
本来ならば、商会の利権を侵しているので止めなければならないところだ。
だが、上層部だけが付き合っているのが友好ではない。
現地で生きる者達が交流してこそ、真の友好を築き上げる事ができる。
それに、金銭ではなく物々交換くらいならお目こぼししてもいい。
むしろ、この状況を歓迎していた。
「ドワーフとも、これくらい仲良くできたらいいですね」
アイザックが祖父に話しかける。
「確かにな。全てはこれからの話次第だ」
モーガンがうなずく。
争う事なく、平穏に過ごせるのならそれが一番だ。
「ところで、屋敷では色々と動いていたようだが、いったい何をしていた?」
「普段会わないお客様ばかりなので、お話をしていました。もちろん、迷惑にならないように気を付けていましたよ」
せっかく政府高官が集まっているのだ。
接触しない手はない。
もちろん、モーガンに話したように普通のお話をしただけだ。
ただし、相手の特徴を調べるという目的も同時に果たしていた。
誰がどの程度「金・権力・女・家族・名誉・忠誠」のいずれに重きを持っているかを、会話の中から拾い出すという作業を行っていた。
今は役に立たなくても、いずれ役に立つ情報だ。
きっと無駄にはならない。
「ブラーク商会のオスカーも来ていたようだが……」
「ラルフさんに頼んでおいた物を持ってきてくれたんです」
アイザックは自分の背後に立つノーマンに視線を向ける。
彼はカバンから英字の「A」の形をした木製の物を取り出す。
それは前世の記憶から引っ張り出した洗濯バサミだった。
洗濯バサミだけではなく、大きい布団バサミもあった。
アイザックが考えていたバネは「圧縮コイルばね」だったが、出来上がったサンプルを見ているうちになぜか布団バサミの事を思い出した。
布団バサミなどに使われている「ねじりコイルばね」をうろ覚えながら提案した。
グレイ商会がバネを作って、ブラーク商会が本体部分を作る。
バネを使った商品で実用化しやすく、すぐに作れる物といえばこれが思い浮かんだからだ。
身近にあった物で思い出しやすかったという事もある。
一例として見せるのには、そこまで悪くないと思っている。
「なんだ、それは?」
モーガンの疑問に、アイザックは服の袖に付ける事で実際に使ってみせる。
「こうやって物を挟むために使うんです」
「そ、そうか……」
モーガンは何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
挟むための物など、いったい何の役に立つのかサッパリわからない。
(アイザックも、色々と考えて疲れているのだろう)
そのようにモーガンが考えてしまうのも仕方が無い。
アイザックは蒸留器を作って、ブランデーまで作り出した。
それだけでも子供とは思えない働きだ。
きっと疲れて頭が回らなくなったのだろうと思ってしまった。
「少し休むか?」
「いえ、大丈夫です。待たせるのも悪いので行きましょう」
祖父が心配しているという事を知らぬアイザックは、洗濯バサミをノーマンに返して歩き出す。
本人が大丈夫だというので、モーガンも無理に休ませようとはしなかった。
ただ、問題が起きた時に血筋を絶やさないためにランドルフを残してきたが、代わりにアイザックを残して「ゆっくりさせてやった方が良かったかな」と思わざるを得なかった。
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会談場所は交易所の食堂。
ここの収容人数は百人程度あるので、付き添いを多少中に入れても余裕がある。
三種族の代表がテーブルを囲む。
人間とドワーフが対面に座り、上座に仲介役のエルフが座った。
エルフの代表はマチアスとアロイス。
その背後にはクロードとブリジットといった見慣れた顔ぶれが座っていた。
ドワーフ側は髭まで真っ白な老人もいるし「まだ子供じゃないのか?」と見えるような若者もいた。
人間側も彼に視線が集中する。
だが、それはドワーフ側も同じ事。
交渉の場に似つかわしくない子供がいる事を不思議に思い、アイザックに視線が集まっている。
「さて、まずは自己紹介から始めよう。仲介を任されたマチアスだ。こちらはアロイス。仲介と言っても、殴り合いの喧嘩を止める仲裁を任されているだけだ。話し合いはそちらに任せる」
マチアスの言っている事はストレート過ぎるかもしれない。
だが、仲良くしろとも、争えとも言わない。
武力衝突さえしなければそれでいい。
自由にやってくれというのが、エルフ側の総意だった。
「はじめまして。私はモーガン・ウェルロッド侯爵。今回の交渉を任された者です」
モーガンがまずは名乗り、クエンティン・ウォリック侯爵、ウォーレン・クーパー伯爵を紹介していく。
「末席に座っているのは孫のアイザックです。アルスターを訪れた方とお会いしたので、念の為に連れてきました」
「アイザック・ウェルロッドです。はじめまして」
アイザックがニコリと笑って挨拶をする。
ドワーフ側の出席者は「ウォルフガングが話していた子供か」と理解する。
「ワシはノイアイゼン評議会の議員であるルドルフだ。もっとも、議員と言っても物作りの第一線から引退した者が集まる老人会のようなものだがね」
そう言って、ルドルフは笑う。
だが、人間側は本当にただの年寄りだとは考えなかった。
自分の事を大した事はないと言って、相手を油断させるのは基本的な交渉テクニックの一つだ。
言葉通りには受け取る事はできない。
ノイアイゼンとは、二百年前の戦争後にできたドワーフの国。
今まで交流がなかったので知る事もなかったが、クロードから聞いて知った名前だ。
クロードもドワーフの国を旅をしたわけではないので詳しくは知らないが、国土はかなり広いらしい。
「こちらは今回の会談のきっかけを作ったウォルフガング。そしてこっちはワシの孫であるジークハルトだ」
ルドルフは自分の左右に座る二人を紹介する。
「皆さん、はじめまして」
ジークハルトが笑顔で挨拶をする。
見た目はアイザックより少し上くらいの年齢のように見える。
だが、ドワーフは人間の四倍か五倍の寿命があるらしいので、実年齢は五十歳前後かもしれない
「ジークは商人を目指しておってな。良い経験になるだろうと思い連れてきたのだ。そちらも孫を連れてきておるのだし、問題はなかろう」
「ええ、構いませんよ」
ドワーフは基本的に物作りが好きだ。
しかし、皆が物作りばかりに熱中するわけではない。
当然「別の事に熱中する者もいる」とクロードが話していた。
ジークハルトは商売の方に熱を上げているのだろう。
ドワーフには珍しいタイプで、交渉の経験を積ませてやりたいのかもしれない。
とはいえ、こういう重要な席に連れてくるのはいかがなものかと思われる。
だが、モーガンは同席を認めた。
子供が一人増えたところで困らないからだ。
「では、早速ですが本題に入りましょう。二百年前、不幸な出来事があって以来交流が途絶えていました。ウォルフガング殿とは良い出会い方をしたとは言えませんが、こうして話し合う場を設けるいい機会でした。せっかくですし、この機会に交流を再開してはどうかと我々は考えております。いかがでしょうか?」
モーガンは、交流の再開について切り出した。
この話をしてからでないと、交易に関して何も話ができない。
まずは様子見をする――はずだった。
「いえ、その必要はないでしょう」
「えっ」
意外な答えを返したのは、ルドルフでもウォルフガングでもない。
――ジークハルトだった。
「二百年前の戦争は、人間がドワーフやエルフを奴隷にして便利に使おうと考えたから起こった事です。交流を再開した事で、いつかまた同じ事を考えないと言えますか?」
人間側の出席者はルドルフを見る。
「ジークハルトに自由な発言を許していいのか?」という視線だ。
しかし、ルドルフは何も反応を示さない。
まるで、ジークハルトが話すのを最初から認めているかのように。
仕方がないので、モーガンはジークハルトに言い返す。
「約束はできない。だが、過去の経験から学び、同じ過ちを起こさないように気を付ける事はできる。それに、交流を再開すればウォルフガング殿の問題も解決する。悪い事ばかりではなく、良い事だってあるはずだ」
「それはどうでしょう」
ジークハルトは、一言でモーガンの言葉を切って捨てる。
「僕達は人間を信用していません。それにウォルフガング工房を含め、ザルツシュタットの問題も心配ありません。エルフ相手の商売からドワーフ向けの商売に転換するまでの間、評議会から資金を貸し出します。人間との交流の再開など必要ありません」
「なにっ!?」
クエンティンが思わずアイザックを見る。
明らかに「話が違うぞ」と言いたそうな表情だった。
だが、それは交渉の場でしてはならないマズイ行動だった。
ドワーフ側の出席者に「やはりな」と、自分達の考えを確信させてしまった。
彼らが考えていた事は「人間はかならずドワーフとの取引を望む」という事。
最初にモーガン達、政府高官と言える「偉そうな人間」が複数訪れたのを見て、自分達の考えに自信を持った。
そして、ジークハルトが突き放すような事を言って、クエンティンがわかりやすい反応を示してくれた。
お陰で自分達の考えに確信を持てた。
ノイアイゼンの評議会は「ザルツシュタットの工房が取引したいのなら、させてみてもいいんじゃないか? ダメならダメで取引を打ち切ればいいだけだ」と、取引してもしなくてもどちらでもいいという結論が出ていた。
だが、もしに取引をするなら有利な条件で取引がしたい。
どちらでもいいので、ダメでもともと「最初は強気で突っぱねて様子を見る」という事が方針として決められていた。
その役割をジークハルトが任されているのはルドルフのおかげだ。
ルドルフは大きな工房をいくつも持ち、評議会でも影響力がある。
ジークハルトに経験を積ませるのなら、失敗してもいい人間相手が一番だろうと思っていたからだ。
もちろん、彼は若くして商人に必要とされる能力を持っていた。
商品の価値を見抜く能力と、ドワーフの気性にそぐわない珍しい能力。
――相手の弱みに付け込む事ができる性格だ。
「人間はドワーフの作った物が欲しいのでしょう? ですが、僕達は人間の物など必要ありません。自分達の作る物で満足していますからね。交易を再開したいのならば、よほど魅力的な条件を提案していただけるのでしょうね?」
――これで人間は、かなり不利な取引レートを持ちかけてくるだろう。
ジークハルトは笑顔を浮かべる。
まだ子供と呼べる年齢のジークハルトに勝ち誇っているかのような顔を見せられ、アイザックは苛立ちを覚えた。
その感情は、アイザックにやり込められた大人達が感じていたものと似ていた。