117 十歳 トミー&ジュリア
二月の半ば。
今世でも縁のないバレンタインデーが過ぎた頃。
リサがアイザックにお願いをしてきた。
「ねぇ、アイザック。私の友達がアイザックとお話ししたいって言ってるんだけど、一回会ってみてくれない?」
「会うくらいだったらいいよ」
リサの友達なら、おかしい者ではないだろうという信頼がある。
それにリサももう十五歳。
アイザックに変な者を紹介したら怒られるという事をよく理解している。
それに、アイザックは――
(やっぱり、両親譲りの甘いマスクは素晴らしいな。年上のお姉さんまで惹き付けてしまうとは。やれやれだ)
――という甘い事を考えてしまっていた。
今までが不遇の時代だっただけに「少しくらいは良い事があってもいいはずだ」と気が緩む。
「それじゃあ、三日後くらいに呼ぶけど大丈夫?」
「大丈夫、予定を空けておくよ」
年上のお姉さんと仲良くなるのはなしにしても、珍しくリサから頼み事をしてきたのだ。
断る理由はない。
アイザックは、その頼みを快く引き受けた。
後悔したのは三日後。
リサの友達が訪れた時だった。
(コブ付きかよ……)
見るからに仲の良さそうなカップルがアイザックの前に座っていた。
甘い考えだったと、アイザックも反省する。
「えっとね、まずこの子が私の友達のジュリア」
「はじめまして。バークレー男爵家サイラスの娘ジュリアです」
「ゲェッ!」
失礼ながらも、彼女の名前と家の名前を聞いてアイザックは潰れたカエルのようなうめき声を上げた。
両目をひん剥き、同席している男の方へ視線を移す。
「……トミーさん?」
「はい。オルコット男爵家ゴードンの息子トミーです」
アイザックの反応を見て歓迎されていないとすぐに理解したのだろう。
彼は申し訳なさそうな顔をして名乗った。
「知ってたんだ」
リサも申し訳なさそうにしている。
さすがに、事情を話す手間が省けたと喜べないようだった。
「去年、領主代理をしている時にね。確かお二人の事は恋愛沙汰なので、両家で話し合うようにという裁定を下したはずですが……」
これはハンスが初期に下していた判定だ。
両家の陳情書は、どう見ても愛し合っている二人を引き離そうとしているものだった。
家の都合というものもあるので、結婚させろとも言いにくい。
「両家で穏便に話し合え」という決定が下されていたものだった。
その二人がこの場に来ているという事は、話し合っても埒が明かなかったという事だろう。
リサを通じて、アイザックになんとかしてもらおうと考えているという事がすぐに理解できた。
「実はウェルロッド侯にも二人の仲を認めるように説得を手伝ってほしいとお願いしました。ですが、長年の家同士の確執もあり、簡単には認める事ができないと言われました。ランドルフ様はまだ病み上がりで、お心をわずらわせる事はできません。ですので、アイザック様のお知恵をお借りできればと思いまして……。お願いします、助けてください」
「助けてください」
トミーが頭を下げると、ジュリアも続けて頭を下げた。
(えぇ……)
十歳式を終えたばかりの子供に頼るくらいだ。
二人も必死なのだという事はわかる。
だが、良い知恵が浮かぶのなら去年の内に解決してやっている。
あまりにも酷い無茶振りに、アイザックは言葉が出てこなかった。
「お願い、何かいいアイデアを教えてあげて」
リサも拝むようにアイザックに頼み込む。
何とかしてやりたいとは思うが、いったいどうしてやればいいのだろうかと思い悩む。
「えっと、二人はリサお姉ちゃんと同い年って事でいいのかな」
困ったアイザックが取った行動は保留。
とりあえず、話を聞くだけは聞いてやる。
そのうえで、ダメならダメだと言うつもりだった。
「はい、四月から学生になります」
「それじゃあさ、学校に入ってから本当に自分に合った良い人が見つかるかもしれないし、三年まで様子を見るとかしたらどうかな」
「そんな!」
トミーとジュリアが絶望の表情を浮かべる。
「こんな愛らしいジュリアを野獣共の群れの中で一人にさせるなどできません!」
「こんなに逞しいトミーを、他の女が見逃すはずありません。きっとあの手この手で我が物にしようと苦労を掛ける事になってしまいます!」
「そ、そう……」
(そこまで愛し合ってるなら、もう駆け落ちでもしちゃえよ)
そんな事を考えてしまうが、さすがに口にしないだけの分別はある。
リサが二人の姿を見て涙ぐんでいる。
「愛が深いのはいいけど、そこまで感動する話だったか?」と、アイザックは思ってしまった。
「そうだね、えーっと……。どうしようか……」
三人がアイザックにすがるような目をして見てくるので、反応に困る。
まずは確認しておきたい事が一つあるので、それを聞く事にした。
「リサお姉ちゃん」
「何?」
この状況で自分に話を振られるとは思っていなかったようだ。
リサは少し驚いている。
「この話はどういう立場で持ってきたのか教えてくれないかな? 僕のお姉さんとして? 友達として? それとも、陳情という形なのか? そこをハッキリとさせておきたいんだ」
「立場……」
リサはジュリアの方に向き直る。
友人の手助けはしてやりたい。
だが、アイザックとの関係をむやみに利用するような事はしたくない。
目を閉じ、しばらく考え込んだ。
彼女が出した答えは――
「友達としてよ」
――乳兄弟という立場を利用しないものだった。
中途半端な決断かもしれない。
しかし、彼女には彼女なりに譲れない一線というものがある。
自分が築き上げた関係ならいいが、母がアイザックの乳母だったからというだけで、その立場を利用するような人間にはなりたくないと思っていた。
これはアデラの教育の賜物だった。
アイザックへの教育は効果が無くとも、普通の子供だったリサにはちゃんと効果があったようだ。
「わかった。では、ジュリアさん。トミーさん。リサお姉ちゃんの頼みなので、僕にできる範囲の事ならお手伝いしましょう」
「ありがとうございます」
二人が同時に頭を下げる。
「ただし――」
アイザックの言葉を聞き、二人は顔を上げた。
「お二人にも何か対価を支払っていただきます」
「対価……、ですか」
ジュリアが不安そうな顔をする。
もし、リサが乳兄弟としての関係を持ち出せば、無償でしてやった。
リサもその事は理解していただろう。
だが、彼女はそうする事を拒んだ。
ならば、アイザックもその意を汲んでやらねばならない。
――一方的に与えるばかりではなく、ちゃんと対価を支払わせる。
そうする事によって、リサの友情に頼るだけではいけないと二人にわからせるつもりだ。
「リサに頼めば、無償でアイザックが助けてくれる」などと思わせるつもりはない。
これに反応したのはトミーだった。
「私は三男坊なので、いつかは家を出なければなりません。ですので、騎士を目指していました。剣や槍の扱いには自信があります。アイザック様にこの命を捧げます! それでいかがでしょうか?」
「いいのですか? 僕のために死ねば、ジュリアさんと死に別れる事になりますよ」
アイザックは少し意地悪な返しをした。
しかし、トミーの目は迷う事なくアイザックを見据えていた。
「構いません。ジュリアと結婚するためのハードルは、ちょっとばかり乗り越えればいいというものではありません。それだけの覚悟が私にはあります!」
「ですが、ジュリアさんと結婚したから命が惜しくなって……、という事もあるでしょう」
「ありません。それでは信義にもとります。ジュリアと結婚するためにこの命を捧げる必要がある以上は、まずアイザック様への感謝と忠誠を優先します。アイザック様の次にジュリアのために命を懸けます」
トミーの熱意に負けたアイザックは、彼を信用する事に決めた。
元々、自分の信頼できる部下が欲しかったところだ。
まだ若いが、熱意とやる気に溢れる若者が部下になってくれるのは歓迎だった。
「わかりました。では、学院卒業後に騎士としての訓練をしてから、僕の護衛になるなりしてもらいましょう。できる範囲で協力させていただきますよ」
「ありがとうございます! ジュリア!」
「トミー!」
二人はしっかりと抱き締め合う。
(ヤッベー、どうしよう。意地悪な質問したのにグイグイ押してくるんだもんなぁ……。つい引き受けちゃったよ……)
しかし、抱き締め合う二人を見るアイザックの笑顔は、どこか情けない表情をしていた。
熱意のある部下は歓迎する。
だが、この問題の解決方法が浮かばない事が難点だった。
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勢いに負けてしまったとはいえ、引き受けた事には変わりない。
オルコット男爵とバークレー男爵を呼び出した。
もちろん、トミーとジュリアも一緒にだ。
必死に考えた説得方法はモーガンの許可も得ている。
問題は二人の親が認めてくれるかどうかだ。
肝心の二人の男爵が口論でも始めるかと思っていたが、アイザックの前なのでさすがに我慢しているようだ。
しかし、一触即発の空気は隠しきれていない。
問題が起きる前に、本題を切り出す事にした。
「オルコット男爵とバークレー男爵、お二人ともよく来てくださいました。ご用件は……、言わずともおわかりいただけるかと」
アイザックは穏やかな声で話し出した。
「当然です。我が家の娘に言い寄る不届き者に裁きを下してくれるのでしょう」
「なんだと! 私はどこぞの淫売を処罰するものだと思ったのだがな」
だが、その内容が気に食わなかったらしい。
お互いが悪口を言い始める。
「待ってください。その事で話があるんです。まずは話を聞いてください!」
「はっ、失礼しました」
「御見苦しいところをお見せしました」
やはり、アイザックの言葉は重い。
オルコット男爵とバークレー男爵は、アイザックの一言で大人しくなった。
彼らは元ネイサン派なだけあって、アイザックに負い目を感じている。
それでも、表情から不満を消し去れない様子だ。
それだけ根強い遺恨があるのだろう。
「まず、トミーさんとジュリアさんの仲が良いというのはご存じですよね」
アイザックは少しきつい目つきでオルコット男爵とバークレー男爵を見る。
知らないとは言わさないようにだ。
「まぁ……」
「その……」
ハッキリと「知っている」とは答えなかった。
彼らのささやかな反抗だろう。
アイザックも「ハッキリ答えろ」とまでは言わなかった。
必要のない刺激を与えるつもりはなかった。
「それなら話が早い。提案なのですが、お二人の仲を正式に認められてはいかがでしょうか」
アイザックの言葉で、二人の顔が「とんでもない」という表情に変わる。
「オルコット男爵家の野獣に私の娘を与えろと!?」
「バークレー男爵家のような人でなしの汚れた血を受け入れろと言われるのですか!?」
「なんだと、貴様!」
「なんだとはなんだ。元はといえばお前らが!」
「はい、ストップ!」
お互いの胸倉を掴み、今にも殴り合いを始めそうだったのをアイザックが止める。
今の彼らには貴族らしさの欠片も感じられなかった。
(先祖の問題後にも色々あって徹底的にこじれちゃったんだろうなぁ……)
正直なところ、アイザックにも自信があるわけではない。
だが、引き受けた以上は仕方がない。
ダメでもともと、提案だけはするしかなかった。
「まずは最後まで話を聞いてほしいんですよ。ねっ」
「申し訳ありません」
二人は胸倉を掴んでいた手を放し、椅子に座り直す。
「まずはトミーさんについてです。トミーさんには学院卒業後、訓練期間を経て僕の騎士になってもらおうと思っています」
「おぉ、やるじゃないか」
オルコット男爵が息子の肩をポンと叩き褒める。
ただの騎士になるのと、アイザック専属の騎士になるのとでは大違いだ。
やはり、後継ぎの側近という立場には魅力がある。
名誉だけではなく、出世に関しても優遇されるからだ。
トミーの将来が約束されたようなものだった。
「その条件として、ジュリアさんとの結婚を認めてあげてください」
「そんな!」
それ以上話すなと、アイザックは片手を上げて制止する。
「こう考えてください。僕は忠義に厚い自分の騎士を持つ事ができる。トミーさんとジュリアさんは結婚できる。オルコット男爵とバークレー男爵は僕の心証を良くする事ができる。良い事尽くめではありませんか?」
「むぅ……」
オルコット男爵とバークレー男爵は、一度お互いの顔を見合わせてからそっぽを向く。
そして、考え出した。
――確執とアイザックの心証。そのどちらが重いかを。
普段なら、迷うことなく家同士の確執の方を優先していた。
だが、アイザックは別。
普通の後継ぎではなく、ジュードの後継者として有力視されている相手だ。
心証を良くしておいて損はない。
家の後継ぎというわけでもないので、認めてやってもいいと思うところだ。
しかし、ここで彼らが即決しなかったのも、アイザックがジュードの後継者と思われているせいだった。
「元々ネイサン派だった自分達が、多少心証を良くしたところで意味があるのか?」という不安を持たれていた。
その事が彼らの決断を鈍らせてしまっていた。
「……なぜ、娘達を結婚させようと思ったのか教えていただきたい」
バークレー男爵がアイザックに質問する。
「確かに。アイザック様がなぜこの問題に関わったのかを教えていただきたいところです」
これには、仲の悪いオルコット男爵も同調した。
必然的ともいえる疑問。
アイザックは彼らの疑問に答えた。
「ジュリアさんから持ち込まれたんですよ。僕の乳兄弟である、リサ・バートンを経由してね。ですから、この問題には真剣に取り組んでいると考えてくださって構いません。トミーさんを僕の騎士にするのも構わないとお爺様とお父様からも許可を取っています。別に両家が仲直りしろとは言いません。ただ二人の仲を認めてあげてほしい。それだけなんです」
アイザックの言葉に黙り込んで、また二人は考え出した。
ここで大きいのは二つ。
モーガン達の許可を得ていたという事とリサの名前を出した事だ。
モーガンの許可を得ているという事は、トミーがアイザックの専属になるのは当主公認という事。
さすがにモーガンの許可があるのなら、アイザックも本当に配慮してくれるのかもしれないと二人は考えた。
そして、リサの名前を出した事。
これによってアイザックが「身内の人間すら使い捨ての駒に使ったジュードとは違うのではないか?」と、二人に思わせた。
「血縁でもない一緒に育っただけの人間」ではなく、ちゃんとリサの事を「身内の人間」として認識している。
だから、その頼みを聞いた。
「ジュードとは違って少しは人情があるので、心証改善の効果に期待できるのではないか?」と、二人に思わせた
とはいえ、さすがに即答できるものではない。
長年の確執はそれだけ大きなものだった。
「少し時間をください。悪いようにはしません」
先にバークレー男爵が答えた。
彼からすれば、後継ぎ息子はすでにいる。
娘はどこかに政略結婚で出すつもりだった。
「オルコット男爵家の息子に嫁に出す」と考えれば、はらわたが煮えくり返る思いだが「アイザックの直臣に嫁に出す」と考えれば耐えられなくもない。
下手な家に嫁に出すよりもマシだからだ。
「私は一度家族で話し合いたいと思います。本当に家同士で和解はしなくてもいいんですよね?」
「そこまでは求めません。家同士の確執については、時間を掛けて両家で対話していってください」
オルコット男爵も一応前向きに考えているようだった。
トミーは三男。
長男の予備の予備といった立場であり、将来は騎士になるか官僚になるかくらいしか道はない。
だったら、オルコット男爵家にも利益のある立場になってもらった方が良い。
家を出て目に入らないところでジュリアと暮らすのならば気にしなくても良い。
家同士で和解をせずに済むならば、少しくらいは目をつぶっても良いと考え始めていた。
「それでは、よろしくお願いいたします。皆にとって良い決断をされる事を願っております」
アイザックが話を締め括る。
「ジュリア!」
「トミー!」
それを待っていたかのようにトミーとジュリアが椅子から立ち上がり、抱き締め合って口付けを交わした。
「ありがとうございます。アイザック様!」
「ありがとうございます!」
「まだ話は正式に決まっていません。それに、トミーさんが騎士として訓練を始めた時、能力が必要とされる水準に満たない可能性もあります。全てはこれからですよ」
アイザックはぬか喜びにならないよう、ダメな可能性も伝えておく。
「ご期待に応えられるよう頑張ります! この命に懸けて!」
トミーは力強く答えた。
ジュリアをしっかりと抱き締めながら。
苦難の時を乗り越えて抱き締め合う二人の姿。
そこに成長した自分とパメラの姿を重ね合わせて見てしまっている事に、アイザックは自分でも気付いていなかった。






