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曖昧

作者: 風晴樹

~はじめに~

本当に大したことは描いてません。

気軽に、そして気休め程度に読んでいただけると幸いです。

それでは、お楽しみください。

~曖昧~





時に、言葉とは曖昧なものである。



例えば、


『天才とは1%の才能と99%の努力である』


こんな言葉がある。


「この言葉の意味は?」


と、僕は知り合いのJPさんに質問してみた。

JPさんの答えは、


「これは、どんな天才と呼ばれる人でも裏では物凄く努力しているという意味じゃね?」


確かに、その通り。巷ではそういう意味で使われている。


しかし、実際に考えてみるとしよう。


まず、


『天才とは1%の才能と99%の努力である』


これは、まあ『%』で表されている。つまり、才能や努力を数値化出来るものとして考えている。


じゃあ、こんな考えは出来ないだろうか。


「この言葉の本当の意味は、才能があるやつはあるだけ努力しないと天才にはなれない。しかし、逆に才能がないやつはすぐに天才になれるだろう」


と。


意味が分からないって?


じゃあ、具体例を出そうか。


もう一度確認だが、この言葉は『%』を使っている。つまり才能や努力を数値化出来るものと考えている。


じゃあ、才能が10の山田くんがいたとしようか。


この子が天才になるには才能の10を1%にすればいいのだから10の99倍の努力、つまり、990の努力をすれば、1%の才能と99%の努力となる。よって990の努力で山田くんは天才になる。


が、


逆に、才能が100ある奥山くんがいたとしよう。

この場合、奥山くんが天才になるには才能の100を1%にすればいいのだから100の99倍の努力、つまり、9900の努力が必要になる。


これで分かった人もいるのではないか。分かった人はとても察しがいい。



つ、ま、り、だ。



才能が10しかない山田くんは990の努力で天才になれてしまう。

その一方で、才能が100もあるのに9900の努力をしなければ天才になれない奥山くん。


……あれれ?


なんか、変でね?


『天才は1%の才能と99%の努力である』


うーん?


これじゃあまるで、才能がある人はその才能の分だけ努力をしなければ天才になれないではないか!


そして、一番の問題は、



――才能がないやつはある人より簡単に天才になれてしまうではないか!



おいおいおい!


この言葉、意味分かんねぇぜ!




こういう言葉は他にもある。


例えば、


『残り物には福がある』



『先手必勝』



という言葉がある。


これは、一つ目の『残り物には福がある』の方から説明しようか。


この言葉の意味は、例えばくじ引きの時などで、最初に引くより後まで残って最後の方に引いた方がいい結果になる!


とまあ、こういう意味。


では、二つ目の『先手必勝』の意味は、例えばくじ引きの時などで後で引くより、最初に引いた方がいい結果になる!


とまあ、こういう意味である。




……いやいやいやいや。


ちょいちょい待てや! この二つの言葉、意味がまるっきり逆やん!どっちが正しいんだよ! 意味分かんねぇよ!


確かに、意味がよく分からん。この二つの言葉はまるっきり逆だ。これではどちらが正しいのかよく分からん。


だから説明をしよう。皆さんもよく考えてほしい。


まず、先程言ったように、この二つの言葉は意味がまるっきり逆だ。


この場合、あなたはどちらを信じる?


僕の知り合いにTさんという人がいるのだが、その人は「私は先手必勝を信じるかな」

と、言う。


「なぜに?」


と、僕が聞き返すと、


Tさんは「先手必勝には勝つと言う言葉があるから福より絶対に勝った方がいい」


と言った。


こりゃまた面白い回答ですわ。僕はそのとき呆気にとられた。


なんか、予想してない方向からいきなり変化球を投げ込まれたみたいにビックリした。



しかし、よくよく考えてみてみると、この言葉たちはどちらも正しいことを言っていて、どちらも間違ったことを言っている。


なぜか?


今よんでいるあなたも計算してみたらいい。


くじで、例えば、20本のくじのなかにあたりが1本あるとして、最初に引く人と最後に引く人のそれぞれがあたりのくじを引く確率を。


実はこれ、同じ確率なのだ。

どちらも20分の1(あってるかな? 間違ってたら申し訳ないです)


あれれ? ってことは?


そう、その通り。


この二つの言葉はどちらも正しくてどちらも間違っている。

だから、Tさんの答えは確かに合っているし、同時に間違ってもいる。


このように、言葉はいろいろ曖昧なのだ。



物凄く矛盾している。たとえば、辞書である言葉を検索して、その言葉の説明にかかれている言葉をまた検索して、またその言葉の説明にかかれている言葉を探してと繰り返していたら辞書のなかで無限ループを繰り返す単語もあるくらいだ。


言葉、それはとても曖昧なもの。


そして、人間はそんな曖昧なものを使って日々生きているのだ。


いかに人間が不安定な状況に置かれているか、なんだか興味が湧くね。




あと、今、あなたがいかに不安定なところに生きているかを証明するもうひとつのことを語ろうかしら。ふふっ。


それは『今』と言うものである。




『今』




この言葉を聞くと、あなたは『今』どんなことをしているかな?


『今』あなたはなにをしている?


そう、『今』だ。


うん、『今』だよ?


わかるよね『今』あなたがどういう状態でどういうものを見ていて、感じて、聞いているのか。


『今』だぜ?


うん、『今』でしょ?


そう、『今』。



しつこいか。



では、こっから切り込んで話そうか。



まず、質問。


君は『今』どんな状況で、どんなものを見て、どんなものを聞いて、あるいは味わって、触って、感じているのか。


皆さんに考えてほしい。


どうすか?


考えました?


答え、自分なりの答えでいいですよ。


出ました?


出たなら次行にいきますよ?


出てないなら考えてください。


簡単でいいから考えてください。


次行きますよ?






僕の答えは


「わからない」


という答えが出た。



僕は『今』どんな状況にいるか、わからない。



は? 風晴樹、お前、前から思ってたんだけどさ、頭バグってるよな?



いやいや、多少はバグってるよ? でも、もともとバグってるから、少しバグってるくらいがちょうどいいんだ。



まあ、そんな話はさておき。



僕は『今』、僕が置かれているこの状況が、わからない。


なぜって?


理由は簡単。



皆はさっきの質問の答えで、きっとこう答えたはずだ、違っても別に問題はないが、


「俺ないし私は『今』スマホとかパソコンの画面を見ていて、音楽、とか家の雑音とかを聞いていて、まあ、ものを食べていたらその味を味わっていて、ケータイの画面またはマウスを触ったりしている」


まあ、そんな感じの考えが出たはずだが、


よく考えてくれ。


これって、例えば、そうだなあ、分かりやすい『見る』というところからいこうか、


あなたは『今』ケータイまたはパソコンの画面を見ているんだよね?





……本当に?



う、うん。



まじで?



う、うん。



言い切れる?



う、うん。



じゃあ、説明して、何で君はその画面を『今』見ていると断言できる?


そ、それは、今見ているから。



それだけ?



お、おう。そうだけど。



そっか残念ながら、それだけじゃ証明になってない。

つまり、こう考えてくれ。



まず、見るという行為、それは光が何処からか放たれていて、その光が目に入って、網膜などに行き、神経をとおって、脳でその情報を処理し、理解し、見ているのである。


つまりだ、見るという行為はそんな面倒くさいことをしたうえで成り立っている行為なのである。しかも、この間約0,1秒。


ということは、君たちが『見て』いるものは光が目に入って、神経を通り脳で処理しているうちに約0,1秒前のものになっているのだ。


つまり、君たちが見ている光景は、


約0,1秒前のものなのである。



えっ? じゃあなに? 俺が『今』見ている、読んでいるこの文章って、なに? 0,1秒前にはすでに読まれていて、俺らが見ている、脳で感じられているこの『今』のこの光景って、0,1秒前、つまり、過去なのか?



その通り。



繰り返し言うが『今』あなたが見ている光景は、すでに神経を通ったりなんなりしているうちに過去のものとなり、その、過去のものを私たちは見ているのである。



これは、音を聞いたり、ものを味わったり、何かを触ったり、そのほかいろいろなことに関しても同じ事が言える。

いや、人間が感じたりしているもの全てに言えるのである。




あなたが聞いている音は、音を聞き神経を通ったりしているうちに過去のものになり!


あなたが見ている光景は、神経を通ったりしているうちに過去のものとなり!


あなたが触っている感覚は、神経を通ったりしているうちに過去のものとなり!


あなたが味わったりしているものは、神経を通ったりしているうちに過去のものとなり!


あなたが嗅いでいる臭いもまた、神経を通ったりしているうちに過去のものとなる!



つまり、この世のだれも、『今』と言うものを感知できないのである。



今、感じているものは過去である以上、私たちは『今』という曖昧な状況下に置かれている。



しかし、人間はそんな曖昧な状況に置かれているのが怖いと、感じるのが普通だ。


人間の欲求のひとつである。

分かりやすく言えば、理解したいという欲求。


なにかわからないものがあればそれを無理矢理概念化させてしまう性質だ。


それによって、『今』と言うものは、今になってしまっている。




まあ、この欲求を考えた場合代表例は子供に名前をつけるという人間の習慣だったりもそうだ。


名前のない、なんなのかわからないものに無理矢理、晴樹だのなんだの名前をつけることによって、曖昧なものを概念化し自分にとって分かるものに変えてしまう。

星座もそうだ、無数にあるわからない光る物体を無理矢理線で繋ぎあわせ概念化する。


分からないが怖いのだ。だから『今』も怖い。よってあなたは『今』を今にしているのだ。


この文章を読んでいただき、人間がいかに曖昧な状況に置かれているかを分かってくれたなら幸いです。

以上、一読ありがとう。


今後も僕の文章を読んでくれると嬉しいです。


一応今後も不定期に上げていくつもりですので、たまに、暇潰しに「風晴樹」を検索してほしいです。


それでは、またいつか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなか着眼点がいい意味で人と違っていて読んでいて考えさせられたし、楽しかった。 [気になる点] 短編小説というよりエッセイ読んでる感じ? でもまあ別に良いと個人的に思う。 [一言] ま…
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