第9部
ーアメリカの家族ー
東京での新しい仕事は、決して楽ではなかった。
大阪から私の病気の話が伝わったのかどうかはわからないけど、担当は、洋楽の編集だった。
取材やインタビューなどで外に出るライターではなく、写真や文章で誌面を作ることがメインの仕事だ。
いくらデスクワークと言っても、関西の雑誌の倍の情報で構成されるだけあって、作業は煩雑を極めた。
ただ、パソコンの進化のおかげで、締切前以外は、帰宅が深夜になったり、徹夜したりすることはほとんどなかった。
遅くても8時までには帰宅でき、怜に晩ご飯を作ってあげられる。
だけど反対に、怜の仕事はどんどん忙しくなっていった。
私の会社の雑誌にも怜の特集が組まれたりする事もあるし、他の音楽雑誌にもよく登場するようになった。
夏になると、全国各地で開催されるフェスの出演で、月の半分は家にいなかった。
帰る度に日焼けが増して、たくましくなっていく怜だったけど、家にいる時は思いっきり甘えん坊の少年になった。
「玲さん、後片付けなんていいからこっちに来て。」
「玲さん、一緒にお風呂入ろうよ。」
「玲さん、愛してるからキスして。」
「玲さん、早くベッドに行こう。」
またに怒る事もあるけど、できる限り怜の甘えを許してあげている。
ワンマンのライブなどとは違い、フェスでは怜は一番年下で新人だ。
他のミュージシャン達やスタッフに慣れない気を使っているだろう。神経も張り詰めているに違いない。
怜が休めるところ、自分をさらけ出せるとこは、ここだけなんだ。
今まで、100%ひとりで背負ってきたものを少しでも減らせるなら、怜の望む事をしてあげたかった。
そう言えば、怜に病気と身体のことを告げた時、悔しと言って怜は涙を流した。
私の辛い時にそばにいられなくて悔しいと。
一緒に暮らすと言う事は、好きだけではなくて、どんな時にもそばにいる事が大切なのかもしれない。
お互いが、想い合う事、尊敬する事、譲り合う事、許容する事、そして分け合う事。
大切にしていこう。
怜が私を大切にしてくれている以上に、怜を大切にしていこう。
夏のフェスと文化祭のシーズンの合間に、怜が1週間の休暇をもらった。
私はまだ取っていなかった夏期休暇を5日分に前後の休日を合わせ9日間の連休。
4月からの貯金も2人分のアメリカ旅行代にできるくらいになった。
4泊6日の予定で、やっとアメリカに行く事ができる。
私は10年ぶり、怜は6年ぶりのアメリカ。
行き先はもちろん、怜の家族の住むシカゴだ。
余っているベッドルームがあると言うから、シカゴに2泊、そしてニューヨークに2泊。
行く前から2人は子供のようにはしゃいでいた。
「ねえ、お土産、何がいい?」
「実は、玲さんに言ってなかったけど、兄弟がいるんだ。」
「そうなの?」
「今の母さんの子供だから、腹違いなんだけど。」
「男の子?」
「そう。4歳、かな?」
「そっか。会った事ないんだね。」
「いきなり弟、って言うのも照れるよ。」
「私は兄弟がいないから、いるだけでうらやましい。」
「4歳の男の子って、何が欲しいのかな。」
「おもちゃとか?でも向こうでの流行もあるだろうし。」
「だよね。調べてみるよ。」
「他に、何かいる?」
あれもこれもと荷物を詰めていくと、2個のスーツケースがいっぱいになってしまった。
「久しぶりに親父の顔見るのも楽しみだけど、玲さんと旅行ができる事が一番がうれしいよ。」
「冷たい息子ね。」
「玲さんだって、うれしいだろ?」
「うん、すごくうれしい。だって、怜といる時間なかなかなかったし。」
「こんなに忙しくなるなんて、思いもしなかったよ。ただ歌ってればいいのかなって考えてた。」
「そう言えば、この前、ファッション雑誌にも出てたよね。」
「なんか、服いっぱい着せられて。ポーズなんて無理だし。」
「それも仕事よ。私は、そんな怜が誇らしいんだから。そうだ、怜の載ってる雑誌も持っていかなきゃね。」
「いいよ。恥ずかしいから。」
「家族にとっても自慢の息子なんだから。喜ばせてあげて。」
「もうネットなんかで見て、俺の事は知ってるよ。」
「でも、やっぱりこうして残る物は違うの。」
「じゃあ、弟に自慢するよ。にいちゃん、すごいだろって。」
空港まで車で迎えに来てくれた怜のお父さんは、46歳には見えない、若々しくてダンディな男性だった。
「怜、久しぶりだな。元気だったか?」
「見ての通り元気さ。この人が俺の婚約者の玲さん。」
「玲さん、って同じ名前なのか。」
「そう。漢字は違うけどね。」
「初めまして。加藤玲です。」
「こちらこそ、初めましてまして。怜がいつもお世話になっているようで、ありがとう。」
「私の方こそ、怜にお世話になってます。」
「じゃあ、行こうか。ジェシーとユウが待ってる。」
家は空港から車で45分ほどの郊外にあった。
家の前に青い芝生のある、アメリカのどこにでもある風景。
ペパーミントグリーンの外観のかわいい家の前に、小さな男の子が立っていた。
「ユウ、お兄ちゃんが帰って来たよ。」
お父さんが英語でユウに話かける。
「ユウ、おいで。」
怜が手招きすると、今にも転びそうな勢いで走って来た。
「ユウ、怜だよ。そしてこっちも玲。」
「お兄ちゃん?」
「そうだよ。ユウのお兄ちゃんだ。」
怜がユウを抱え上げる。
「怜、写真見たよ。」
「ごめんな。もっと早く会いたかったよ。」
「さあ、中に入ろう。ごちそう作ってジェシーが首を長くして待ってる。」
ドアを開けると、ジェシーがキッチンから両手を広げ、満面の笑みで出て来た。
グラマラスなボディでブロンドのロングヘアがきれいだ。
怜にハグする。
「怜、顔見せて。怜だわ、私のかわいい怜。」
「ジェシー、久しぶり。元気だった?」
「みんな元気よ。帰って来るの、ずっと待ってたんだから。」
「ユウが生まれて、一度は帰りたかったんだけど、時間なくて。」
「知ってるわ。シンガーなのね。すごいわ、日本じゃ、有名って聞いてる。」
「それほどでもないよ。」
「こちらがフィアンセの玲ね。同じ名前じゃ、ややこしいわね。」
「初めまして、玲です。名前は呼びやすいのでいいから。」
「なんてかわいい女の子なんでしょう。怜、素敵な人と出会えたわね。」
「ああ。最高の女性だよ。」
「仲良しなのね。私とシンみたい。」
「まだ熱々なんだ。」
「もちろん。怜もきっとそうなるわよ。こんなにキュートな女性なんだから。」
怜は完全なネイティヴだけど、私は英語を日本語に頭の中で翻訳してしまうところがある。
怜とジェシーの会話を日本語に訳すと、赤面してしまうような言葉の羅列になる。
ジェシーが今度は私をハグする。
「怜はいい子よ。大切にしてもらってる?」
「はい。とっても。」
「やっと怜の事、安心できるわ。よろしくね。」
ジェシーは怜から聞いた通りの明るくフランクな人だった。
ユウの好奇心の旺盛なところも、ジェシーに似たんだ。
とってもいい家族だ。
怜にとってジェシーは義理の母親かもしれないけど、ユウと同じように怜を愛してくれている。
怜が真っ直ぐな心を持っているのも、家族に愛されていたからだ。
15歳からアメリカから遠く離れた日本で一人暮らしをしていると聞いた時は、家庭の複雑な理由があるのかな、と考えたけどそれは違っていた事がわかった。
食事の後、持ってきたお土産と怜が載っている雑誌を渡した。
ユウはもらったおもちゃに夢中になっていたけど、ジェシーは興味深そうに雑誌を見ている。そして、お父さんは感慨深げに怜の記事を読んでいた。
時差もあったし、飛行機の中ではあまり寝ることができなかったから、少し疲れた。
私の小さなあくびに怜が気づき、時差もあったから先に休む、と言い2人で2階のベッドルームに入った。
「疲れたよね。気づいてあげられなくてごめん。」
「もう、怜のせいじゃあないんだから、謝らないで。ちょっと時差ボケなだけ。」
「シャワーして、もう寝よう。」
「怜は積もる話もあるのに、いいの?」
「ジェシーの夜の声が聞こえる前に寝ないと、また寝不足になるよ。」
その夜は、2人とも気絶したように即爆睡状態だった。
翌日は朝の6時に目が覚めた。
10時間も眠れたのは、やっぱり身体が疲れていたに違いない。
怜を起こさないようにベッドを出て、キッチンへ行く。
みんなはまだ起きていない。
何か朝食を作ろうと思い、食材を確認する。
お米がある。冷蔵庫の中にはお味噌も。
ジェシーとユウが日本食を好きかどうかはわからないけど、今朝はお父さんのために、和朝食を作ろう。
30分ほどだった時、ジェシーが起きてきた。
「玲、もう起きたの?もっと休んでればいいのに。」
「いっぱい寝たから、時差ボケもあったけど、寝たらなおったみたい。」
「朝食の用意?」
「そう。ごめんなさい、勝手に使っちゃった。」
「全然構わないわ。私も何かすることある?」
「ご飯が炊けたら、終わり。ジェシーとユウは和食、好き?」
「大好きよ。シンがたまに食べたいって言うんだけど、うまく作れなくて。」
「私も上手じゃないけど。食べてね。」
「ありがとう。シン、喜ぶわ。」
7時になり、ジェシーがお父さんとユウを起こしに行った。
私も怜を起こす。寝ぼけ眼の怜に、ご飯できたから早く起きて、と急かす。
ダイニングテーブルに朝食の用意をする。
新聞を手に持ったお父さんが、和食か、とうれしそうに言う。
ユウには食べやすいように、おにぎりにしてあげた。
朝からみんなのお腹を満足させられて、よかった。
みんなが、ありがとう、と言ってくれた。
その言葉だけで、私は幸せだ。
お父さんが仕事に行った後、ジェシーがシカゴ観光に連れて行ってくれた。
ユウは怜のそばから離れようとしない。
年は離れているけど、立派なお兄ちゃんだ。
私はジェシーと流行のブランドやおすすめのスイーツなどの話で盛り上がる。
午前中はミシガン湖のクルーズ、午後はシカゴ科学産業博物館に連れて行ってくれた。
小さい頃に来たことがあるという怜もユウと一緒にはしゃいでいた。
「兄弟っていいな。」
「本当ね、2人とも初めて会ったなんて信じられないわ。」
「ユウはとってもいい子だから。」
「怜もね。1年しか一緒に住んでないけど、怜は子供の頃からナイスガイだったわ。」
「ジェシー、怜をこんなに素敵に育ててくれてありがとう。」
「玲こそ、怜を大切にしてくれている事に感謝するわ。」
夕食の後、怜は街中にあるパブに連れて行ってくれた。
怜が入ると、あちこちから声が上がる。
シカゴの学生時代の友達が集まっているという。
男女合わせて15人くらいいるだろうか。
みんな怜にハグして言葉を交わしている。
そのうち、みんなに押されて怜が小さなステージに上がる。ギターとドラムは同級生だろう。バンドを組んでいたとこがあるといっていた。
ダンサブルな曲が始まる。
怜が歌い出すと、声が上がる。
フロアではみんなが自由に踊り出す。
ポップな曲が何曲か歌い、怜が、最後はそこにいるフィアンセの怜のために作った曲を歌います、とソロでオリジナルのバラードを歌い出した。
歌が終わり、怜がギターを置き戻って来ると、今度は握手攻めにあっていた。
シカゴでは、私の知らない怜がたくさん見れた。
でもそれは、怜のここにいた歴史が明るく輝いていた事を教えてくれた。
シカゴに来て、本当によかった。
そして、怜には待ってくれている人と、いつでも戻ってこれる場所がある。
怜は1人ではなかった。
ずっと、そしてこれからも。
次の日の午前中にニューヨークに発った。
お父さんが時間を空けてくれ、空港まで送ってくれた。
「玲、今度来る時はもっとゆっくりしていけ。」
「そうする。楽しかったよ、ありがとう。」
「玲さん、今度は孫の顔、期待してるよ。」
「その前に結婚しないと。その時には日本に来てよ。」
「楽しみにしてるよ。」
ニューヨークでは美術館巡りとミュージカルとショッピングであっという間に2日が過ぎた。
怜と手を繋ぎ、キスをしてずっと離れることはなかった。
日本に帰った日は、やっぱり2人揃って爆睡だった。




