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彼方へ  作者: 原 恵
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第7部

ー公園とギターとコーヒーとー


3年ぶりの新宿。

怜の家は、以前のアパートではなく、セキュリティのしっかりしたマンションだった。


「あのアパートからいつ引っ越したの?」

「半年ほど前かな。デビューしたらちょっとはマシなとこに引っ越せって、うるさく言われて。」

「懐かしいな。あの公園。」

「夜になったら、焼き肉食べて、公園に行こうよ。」

「焼き肉屋さん、まだ開いてるの?」

「今もたまに行く。玲さん来てないかな、ってかすかな期待しながら行ってた。」

「ひとり焼き肉は、さすがにしないから。」


アパートと同じ、1LDKのマンションの部屋も家具は少なかった。

怜のご両親は、どこにいるのだろうか。ふと思った。


「食事はいつもどうしてるの?」

「なんか買って食べてる。」

「だからそんなにガリガリなんだ。ちゃんと食べないと、ダメだからね。」

「玲さんも。この前も少ししか食べなかったし。」

「私のことはいいの。怜はこれから大変なんだから、栄養もしっかり取らないと。」

「じゃ、明日からなんか作ってよ。」

「いいわよ。期待してて。」


キッチンには、レンジと電気ポット。扉を開けると、お鍋が1つだけしかない。

これじゃ、作りたくても何も作れない。

夜、出掛けた時にせめて炊飯器とフライパンを買おう。

怜に伝えると、他にも買いたいものがあるから、もう出ようと言う。


眼鏡とニットキャップの怜と外に出る。

もう年末だ。街には家族連れが多かった。


電気店と雑貨屋とスーパーマーケットで買物を済ませる。

怜は、シーツと私用の枕を買った。

2人で大きな荷物を持って、焼き肉屋さんに向かう。


「玲さんが来るってわかってたら、ちゃんと掃除して洗濯したのに。」

「そんなのよかったのに。」

「でも、新宿をまた玲さんと歩けるなんて、本当に夢みたいだ。」

「大げさ過ぎ。私の方が有名アーティストと歩いているなんて、嘘みたい。」

「有名じゃないから。眼鏡、取ろうか?」

「いいって。どんなかっこしても、私には怜は怜だから。」


懐かしい、薄汚れたお店が見えて来た。

中に入ると、煙と焼き肉の匂いが充満していた。

丸いビニールの椅子に座り、お肉を注文する。そして、野菜と瓶ビール。

少しだけなら飲んでもいいだろう。久しぶりの新宿なんだから。


3年前は食べることに専念したけど、今日はゆっくりと食事を楽しんだ。

何ひとつ変わらないお店から出ると、あの時と同じように、雪が降っていた。

空を見上げると、顔に雪が当たる。

ひんやりとした冷たさが、怜と新宿にいるのは夢ではなく、現実だと教えてくれた。


気温が一気に下がったように感じる。


「玲さん、公園は今度にしよう。風邪気味だし、ギター持って来てないし。」

「そうだね。今日は寒過ぎるかも。」



怜の部屋に戻り、シーツを張り替えたベッドに入る。


「枕どう?玲さんの頭に合わせたんだから、熟睡できそうだね。」

「寝心地、最高。でも、本当に熟睡させてくれの?」

「責任取ってもらった後で。」



目が覚めて横を見ると、怜の寝顔があった。

3年前、怜と出会ってから、こんな朝を迎えるなんて考えてもいなかった。

あの頃はまだ高校生で、幼さの残る少年だった。だけど今は、少年らしさの残る大人の男性に成長した。

18歳から21歳なんて、いろんな恋愛をしてたくさんの経験ができる、一番輝いている時なのに、7歳も年上の私を想ってたなんて。その上、傷ついた私をまだ好きだと言ってくれるんだから、怜は本当にばかだ。


そんな呆れるほどばかな怜だからこそ、私は心を開くことができた。もう一度、人を愛することができた。


愛する人のために、朝食の準備を始める。

炊飯器も買ったし、炊きたてのごはんにお味噌汁にしよう。鯵の開きと玉子焼き。

準備を終えて、怜を起こしに行く。


朝ごはんができたから、と起こすと、朝なんてご飯食べたことないから食べれるかな、なんて言っていたのに、ご飯をお代わりまでして全部食べてくれた。


「朝からこんなに食べたの、初めてかもしれない。」

「朝ごはん、食べる習慣なかったの?」

「母親、いないから。」

「ごめんなさい。」

「いいよ。隠してるわけじゃないから。」

「でも。」

「母親はアメリカ人で父親が日本人。親父が仕事で来てたアメリカで母さんと知り合ったんだ。」

「で、怜が生まれたのね。」

「母さんは、5歳の時に死んだんだ、交通事故で。」

「そうだったの。もう話さなくてもいいよ。辛い事は。」

「もう昔話。俺が14歳の時に、親父が再婚したんだ。新しい母さんもいい人だったけど、日本に行く事にした。親父は日本企業のアメリカの支社で今も仕事してる。」

「だから高校から一人暮らしだったんだ。」

「新しい母さんはとってもオープンでにぎやかな人なんだ。それは夜も同じで。聞こえるんだよ、声が。14歳の少年には刺激がきつ過ぎた。」

「それで18歳までファーストキスを守れたなんて、嘘みたい。」

「同級生の女の子とか、あんまり魅力感じなかった。アメリカは大人過ぎたし、日本は子供過ぎた。」

「マザコンだったりして。」

「そうかもしれない。」

「素直ね。」

「玲さん、少し母さんに似てるんだ。」

「うれしい。お会いしたかったな。それで、怜を生んでくれてありがとうって伝えたかった。」

「きっと、喜んでる。俺に玲さんみたいな恋人ができた事を。私の息子は大丈夫かなってずっと心配してたと思うから。」



朝食を終えてから、怜はギターを弾きだした。

私は食事の後片付けと洗濯。後、掃除もしたい。何日も留守をしていたから、埃がうっすら溜まっている。


年明けまでだけど、怜がいい曲を作れるように、私なりに応援したい。

ファーストアルバムをたくさんの人に聴いてもらえるように、私もできる事を頑張ろうと思う。



昼食と夕食を挟み、怜の曲作りは夜まで続いた。


「玲さん、公園行こう。」

突然、怜が言い出した。


2人でできる限りの防寒対策をして、公園まで歩く。

怜はギターを、私は熱いコーヒーを入れたポットを持って。


30分の夜の散歩で公園に着く。

葉っぱの落ちた木もパリの街並みをイメージした街灯も少し表面がささくれ立ったベンチも、前と同じ。

そして、誰もいないのも同じだった。


ベンチの観客席に私が座り、煉瓦の遊歩道のステージに怜が立つ。


柔らかなメロディーの上を怜の声が歩いているように聞こえる。

メロディーの道がどんなに細くても、どんなに脆くても、怜は迷いなくしなやかに足を進める。


メロディーと声と怜の紡ぐ言葉が融合しているんだ。それは深くもあり高くもあり、いつでも自由に移動することのできる、カタチではないけど、カタチより確かなもの。

それが、怜の歌なんだ。


「さっきできた、生まれたての曲。すぐに聴いてもらいたいから。」

「大好き。全部大好き。怜が楽しそうに歌うから、こっちまで楽しくなってしまう。」

「わかる?玲さんとの将来の歌なんだ。」

「わかった。多分、私にしかわかんないだろうけど。」

「玲さんに聴いてもらいたくて作ったんだから。だけど、俺、もっと作れるよ。もっともっと玲さんが喜んでくれる曲を。」

「だめよ。怜はひとりにしか伝わらない曲じゃなくて、たくさんの人に伝えられる歌を歌っていかないと。」

「それは、わかっている。」

「もうプロでしょ。私だけじゃなくて、いっぱいの人をいっぱい幸せにしてあげて。」

「でもよく言うだろ、ひとりの女も幸せにできない奴が他の人を幸せにできるわけないって。」

「だって、私、今すごく幸せだもん。」

「そう言ってくれるなら、俺、頑張るよ。」

「そばにいなくても、ずっと怜のこと応援してるからね。」

「なんか、歌おう。」

「いや、また笑われるもん。」

「笑わないから。」

「本当に?」

「絶対。」

「in my lifeは?」

「beatles?」

「そう。」

「じゃ、いくね。」


今回はなんとかキーを外さないで歌えた。

まあ、シンプルな曲だから、外しようがないんだけど。

お付き合いで行くカラオケより、公園で歌う方がずっと気持ちいい。

フル演奏より、アコースティックギターだけの方がずっと素敵だった。


「上手いじゃん。この前より成長した。」

「口ずさみたくなるメロディーでしょ?アメリカにいた時、隣のおじいちゃんがよく歌ってたの。」

「なんか、いいね。おじいちゃんの想いが溢れてる。」

「そう、かわいいおじいちゃんだった。奥さんはもういなかったんだ。だから、ちょっと寂しげで。」


横に座った怜に、熱いコーヒーを入れたカップを渡す。

湯気の中で、怜が笑う。


「いいね、こういうの。普通だけど、特別な時間って感じ。」

「うん、すごく穏やかな時間。」

「いつまでも大切にしたいな。だから、玲さんは、先に死んだらだめだからね。」

「だって、7歳も年上なんだから私の方が早く死んじゃうよ。」

「俺は玲さんの手を握って、一緒にいてくれてありがとう、愛してるよ。って最後に言うんだから。」

「それは、映画の見過ぎだって。」

「そうかもね。でも、母さんは事故だったから、お別れの時間がなかったんだ。5歳の俺ですら言いたいことあったんだから、親父と母さんにはお互いに山ほど伝えたいことがあったに違いないと思うんだ。だから俺は最期にちゃんと伝えたいんだ。最後の後悔だけはしたくないから。」

「伝えられないことはあったかもしれないけど、伝えてきたものの方がたくさんあったはずでしょう?後悔したかもしれないけど、それ以上の感謝をしたでしょう?」

「したよ。5歳の時にはできなかったけど、今じゃ感謝だらけだ。」


「コーヒー、冷めちゃったね。」


冷たくなったコーヒーを熱いコーヒーと入れ替える。


「玲さんと話していたら、身体も心も暖かくなるよ。」

「一応、お姉さんだからね。」

「年は関係ないよ。玲さんはお姉さんじゃない、俺の恋人なんだから。」


カップを口に近づけた時、また怜は湯気の中で笑った。







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