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彼方へ  作者: 原 恵
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第4部

ー再会と拒絶ー


クリスマスイブ。


今日は朝から、術後初めての定期検査のため病院に行く。

2日ほど前から、左乳房に痛みがあった。


再発の可能性は低いと聞いていたけど、もしかして、と考えてしまう。



レントゲン、血液検査、腫瘍マーカーなどの検査を受け、診察室に入る。


「いかがですか?」

「左胸に少し痛みがあって。」

「さっき受けてもらった検査と触診では異常は見られませんが、心配なら念のためにMRIもしておきましょう。」


医師は、大丈夫とは言ってくれなかった。

何かがあるのだろうか。

MRIの結果は3日後だ。

何もない。絶対、何もない。



昼から出勤すると、デスクに着く前に副編集から呼ばれた。


「急用ですか?」

「山下が、昼から取材の予定だったんだけど、朝からのインタビューが延びて、時間に間に合わないんだ。玲、行ける?」

「取材って、誰のですか?」

「新人なんだけど、2ヶ月前にデビューした途端に人気が出てる、有望株のシンガーソングライター。名前は、rey。玲と同じ名前だな。」

「わかりました。資料、ありますか?」

「それが、山下が行くつもりで資料持って出たから、ないんだよ。」

「今までの雑誌記事とかもないんですか?」

「デビューしたところだから、ろくなのがまだなくて。」

「じゃ、CDください。ライナーノーツとかブックレットでできるだけ、対応します。で、何時から取材ですか?」

「それが、下の会議室にもう来てもらってるんだ。」

「えっ?CDも聴けないなんて、音楽の話もできないですよ。」

「時間は結構もらってるから、なんとか話を聞き出しながらやってもらいたいんだ。」

「仕方ないですね。わかりました。」

「後からカメラマンよこすから、すまん、よろしく頼む。」


とんでもない話だ。曲も聴いていないなんて、相手に失礼極まりない。

まずは、事情を説明して、謝ろう。


編集室の下の階にある会議室のドアをノックする。

「はい。」

若い男の子の声。reyと言うから女の子だと思っていた。


取材相手の性別も知らないなんて最低もいいとこ。もう、どうにでもなれ、半ばやけっぱちの気分で部屋に入る。


ニットの帽子をかぶり、黒縁の眼鏡をかけた20歳くらいの男の子がひとり。

関係者の人は来ていない。


机を挟んで、男の子の正面に立ち、名刺を渡す。

「編集部の加藤です。今日はよろしくお願いします。」


男の子が、名刺を見る。そして視線を私に戻し、玲さん?と呟いた。


男の子が眼鏡を外し、帽子を取る。

彫りの深い顔立ち。ハーフのような。


「怜?」


髪が少し長くなって、丸みがあった頬のラインがシャープになり少年の可愛さが消えだけど、確かに怜だった。


唖然と立ち尽くす私に怜が近づいて来る。

怜の長い腕が延び、私を引き寄せる。

そして、きつく抱きしめた。


「玲さん。会いたかった。」


懐かしいきれいな声。かすかに覚えていた怜の匂い。

3年前の今日のことが、鮮明に蘇る。


その時、怜の身体に押し当てられている胸が少し痛んだ。

思わず、身体を離した。

胸が、それ以上近づくなと警告している。

私の胸が偽物であることを知られたくはなかった。


「だめ。」

「なんで?」

「仕事で来てるんでしょう?」

「そうだけど。」

「私は、怜を取材するの。ここは、私の会社で、怜はお客様。」

「玲さん。」

「座って。」

「わかった。」

「レコーダー回してもいい?」

「うん。」

「じゃ、取材を始めます。大阪は初めて?」

「2回目。」

「最初のライブはどこで?」

「ライブじゃない。高校を卒業した日に、初めて大阪に来た。約束したから。」

「それって。」


レコーダーのスイッチを慌ててオフにする。


「携帯を盗まれて、連絡できなかったんだ。でも、約束したから、大阪に来た。」

「何してるのよ。」

「好きだったら会ってくれるって。」

「私に会うために来たの?」

「4日間、歩き回った。このビルの前も通った覚えがある。」


怜が私に会うために大阪に来てくれていたなんて。探してくれていたなんて。

意外だった。でも、うれしかった。

約束なんて覚えてないと思っていた。

だけど。


「玲さんは俺のこと、忘れてた?」

「すっかり忘れてた。」

「玲さんが言ったのに?」

「忙しくて、思い出す時間もなかった。」

「玲さん、本当に?」

「ごめんね。」

「俺はずっと会いたかった。玲さんを忘れたことなかった。」


まさか、と思ったけど、怜の一途な眼が本心だと物語っている。

私だって、この3年間、何度も怜のことを思い出していた。

入院中、怜の歌ってくれた曲を何度も聴いていた。


疲れた時、辛かった時。

この3年間、思い出すのは怜だった。

何度も、私を助けてくれた。


でも、大人になった怜と距離を置かないといけない。とっさにそう感じた。


「いつから歌を歌い始めましたか?」

「玲さん。」

「お願い。仕事なの。」


レコーダーのスイッチを再びオンにする。


「中学生の時、アメリカにいたんだけど、友達とバンド組んだのが初めてだった。」

「日本にはいつ来たんですか?」

「来たというより、幼稚園くらいまで日本で住んでいたから、帰って来たって感じだった。高校は進学校で、バンド組む友達もいなかった。曲を作ってひとりで歌い始めたのが高校3年の時。」

「デビューのきっかけは?」

「高校3の冬から新宿で路上をしてたんだけど、最初は誰も聴いてくれなくて。クリスマスイブの夜に、ある人が歌を褒めてくれたんだ。俺の声は素敵だって。それから歌に対する意識が変わってきて、曲を声で届けるようにスタイルを変えたら、みんなが歌を聴いてくれるようになった。その中に今のプロデューサーがいて、声をかけてくれたのがきっかけだった。」


ノックが聞こえ、山下さんとカメラマンが部屋に入って来た。


頭を下げ、名刺を渡す。


「すみません。遅くなって。取材、変わらせてもらいます。」


山下さんが私の横に座り、小さな声で

「ありがとう、思ったより早く帰って来れたから。」

「デビューのきっかけまで聞きました。レコーダーに入れてます。」

「了解。」

「じゃ、私は失礼します。」


怜に軽く頭を下げ、部屋を出ようとした時

「ちょっと待ってください。」と怜が私を引き止めた。


私の方に歩み寄り、耳元で話しかける。

「夜、時間ある?」

「忙しいから。」

「何時まででも待つから。」


山下さんが不思議そうにこっちを見ている。話が長くなると不審に思われる。


「じゃ、8時で。」

「ビルの前で待ってる。」


怜が席に戻る。

「 reyくん、加藤知ってるの?」

「以前、歌を聞いてもらったことがあって。」

「そうなんだ。じゃ、加藤の方が話しやすいかな?」

「いえ、大丈夫です。お願いします。」


取材が始まった。静かに部屋を出た。



8時少し前に退社して、会社の入っているビルを出る。


帽子をかぶった怜が少し離れたところで待っていた。


「大丈夫なの?もう有名人なんでしょ?」

「玲さんは知らなかった。」

「洋楽から異動したとこだから。」

「いいよ。」

「どうする?時間は?」

「今日の仕事は終わったから。」

「お腹は?」

「すごく空いてる。」

「何食べたい?」

「焼き肉。」

「わかった。じゃ、行きましょう。」


会社の近くにある、会社の人達とよく利用している、安くておいしい店。

ここなら、奥に個室の座敷がある。

怜がどれくらい有名なのか知らないけど、女性と二人連れはやはりまずいだろう。


店内に入るとマスターが、玲ちゃん久しぶり、と出迎えてくれる。

奥で、とお願いすると、内緒のデートかい?と冷やかされた。


「何でも注文して。」

「玲さんもお腹は空いてるでしょ?」

「私はそんなにいらないから。」

「少食になった?」

「前は、やけ食いだっただけ。」


振られた後だ。お腹が破裂しそうなほど焼き肉を食べた。

でも今は、食事制限はないけど、多くは食べられなくなった。


怜が注文する。そして

「玲さんもビールでいいよね。」


がんとわかってから、お酒は飲んでいない。

インターネットで、アルコールは乳がんのリスクがあると書いてあった。

医師に尋ねると、

「だったら今の時代、乳がんの女性がもっと増えてもおかしくはない。それより細かい事を気にする方が身体に悪いと思います。」

「乳がんになったからお酒を飲むなとは言いません。量を少し控えめにと言っておきましょう。楽しい時間を過ごす事は精神的にもいいと思います。」


医師の教科書を読んでいるような的確な返答。


だけど、まだお酒は飲めていない。


「私は、ウーロン茶で。」

「どうして?あんなに飲んでたのに。」

「最近は忘年会なんかで飲み過ぎたから、控えてるの。」

「そうなんだ。じゃ、俺はビールで。」

「そっか。怜も飲める年になったんだ。」

「21。やっと玲さんと同じ世代になった。」

「私なんか、もうすぐ30だよ。もう完璧なおばさん。」

「玲さん、若いよ。」

「25歳の時は24歳って言ったくせに。」

「今も24歳に見える。全然変わってない。」

「そんな事ない。変わった、すごく。怜が知らないだけ。」

「なんか玲さんおかしいよ。」

「これがいつもの私。」

「なにかあった?」

「別に。」

「やっぱり変だ。」

「3年前の私しか知らないくせに。」

思わず声を荒げてしまった。

「ごめん。」

「こっちこそ、ごめん。忙しくてちょっとイライラしてるから。」

「忙しいのに、悪かったね。」

「ううん、怜も忙しいんでしょう。」


少しギクシャクした空気の中で、怜はおいしい、と言いながら見事な食欲を披露した。



「もう行こうか。明日も早いし。」


いてはいけない場所にいる居心地の悪さに耐えきれず、思ってもいない言葉が口から出てしまった。


何も言わずに怜が頷く。

ごめんなさい。心の中で怜に謝った。


私が支払うと言ったけど、怜は俺が、と言って聞かなかった。


「玲ちゃん、これクリスマスプレゼント。」

マスターがリボンのかかったワインを渡してくれた。

「聞いてたんだけど、お見舞いもできなかったし。彼と飲んで。」


外に出る。

じゃ、と帰りかけた私の腕を怜が掴む。


「ちょっと待ってよ。」

「ごめん、疲れてるから。」

「お見舞いって、病気だったの?」

「たいした事ないから。」

「玲さん。」


掴んだ腕を引っ張って怜が歩き出す。


「どこ行くのよ。」


怜は無言でどんどん歩く。私がつまずきそうになるのも無視して。


中之島公園まで歩いて来た。

怜がやっと腕を離してくれた。


クリスマスのイルミネーションが幻想的な空間を作り出している。


怜が私をベンチに座らせる。

私も怜も長い時間、口を開かなかった。


「寒いね。」一言、怜が言った。

「大丈夫。」


「聞かせて。」

「何を?」

「玲さんのこと。」

「何もない。」

「嘘だ。」

「本当。」

「俺にできる事ある?」

「ないから。」

「力になりたい。」

「ならなくていい。」

「俺、玲さんのこと、会った時からずっと好きなんだ。」

「恋人、いるから。」

「いない。」

「なんで?」

「さっき、俺が彼って言われた。」

「あれは、マスターが知らないだけで‥」

「違う。」

「怜。」

「恋人がいるなら、きちんと話してくれたはずだ。」

「怜に何がわかるの?」

「わかる。3年前の玲さんが本当の玲さんだから。」

「お願い。私を好きだなんて言わないで。」

「なんで?」

「好きじゃないから。」

「そんなの関係ない。」

「なんで私なんか。」

「好きな気持ちを大切にしろって。」

「言ったけど。」

「玲さん、忘れてない。あの時のこと、覚えてる。」

「お願い。もうやめて。」


その場を離れて、走り出した。


急に胸が痛み出した。

胸を押さえてしゃがみ込む。


「玲さん。」

怜が駆け寄って来た。

「どうしたの?」

痛みで、声が出ない。

「心臓?」

怜が胸に手を当てようとする。

手を避けるように身をよじる。


「怒るよ、玲さん。」

「大丈夫だから。」声を絞り出す。

「救急車、呼ぶよ。」

「いい。」


突然、怜がわたしを抱き上げた。

公園を抜け、タクシーを捕まえる。


何でこんなにも痛みがあるのだろう。

何か悪いことが身体の中で起こっているのか。

どうしてこんなに私をいじめるの?

片方の胸を無くしただけじゃ、だめなの?

他に私から何を奪うの?

どうしたら許してくれるの?

教えて。誰か、教えてよ。


痛みと恐怖と絶望感が私を襲う。

涙がこぼれた。


タクシーが到着した。

怜が私を支えて歩き出す。

梅田近くに建つ、ホテルだ。

エレベーターに乗り、また少し歩く。


ドアを開け、部屋に入り、私をベッドに座らせた。


怜が横に座り、抱きしめる。


涙が、溢れ出す。


手術の日から、私は泣かなかった。

どんなことがあっても乗り越えていく、そう自分に誓ったから。


でも、限界だった。

怖い。恐怖に潰されそうだ。


怜は何も言わず、優しく抱きしめてくれる。

3年前と同じように。


胸の痛みは徐々に治ってきた。

そばに誰かがいてくれる安心感が恐怖を隅に追いやってくれる。


「ごめん。もう大丈夫。」

怜は何も言わない。

「痛みも治まったから。」

怜は抱きしめている腕を解こうともしない。


そして、耳元でささやく。

「ほっとけるもんか。」

「怜。」

「俺が守るから。玲さんを苦しめているものから。」

「できない。」

「できる。」

「怜に好きになってもらう資格なんて、私にはないから。」


怜が背中に回していた腕を離す。

そして、私の目を見つめる。


「なんでそんなこと言うの?」

「もう人を好きにならないって、誓ったから。」

「誰に?」

「自分に。」

「理由を聞かないと納得できない。」

「聞かないで。」


怜に全てを打ち明けたくなる気持ちを抑えつける。

怜を好きになっていきそうな心にどうしたら歯止めをかけられるのだろうか。


「会わなければよかった。」

「本当にそう思ってる?」

「なんで忘れてくれなかったの?」

「玲さんも忘れてない。」

「怜には、大きな可能性がある。」

「可能性って?」

「怜の年に合う恋人作って、いい恋して。」

「いい恋って、何?」

「普通の恋愛。」

「普通って、何?」

「もうやめよう。」

「玲さん。」

「ありがとう、怜。帰るね。」


部屋を出て行こうとした時、怜が言った。


「またひとりで出て行って、俺の前からいなくなる気?」


何も答えず、ドアを開ける。


「明後日、ライブする。絶対来て。」


小さな音をたて、ドアが閉まった。



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