第24部
ー涙の選択ー
再発して3ヶ月が経った頃からまた玲が熱を出し始めた。
玲は何も言わなかったが、身体中に痛みも出始めたようだった。
大丈夫だから、と玲は何度も言ったけど、強引に病院に連れて行くことにした。
検査の結果、玲はまた入院となった。
1ヶ月前はあんなに元気だったのに、どうしてこんな状況になるのか。
看護師に聞いても医師に聞いてくれ、と言われる。
今は、アルバムのリリースに向けて、メディアの仕事が増えている。
夜にしか病院に来れない日が数日続き、医師とはなかなか会えなかった。
今日は、夜のラジオの仕事だけだったから、朝から病院に来た。
玲はまだ眠っていた。
時折、顔をしかめ、苦しげな声を漏らす。 辛さが俺にまで伝わってくる。
優しく頭を撫でると、表情が少し和らぐ。
玲、どんな夢を見ているんだ?
玲がいい夢を見られるのなら、何日だって撫でてあげたい。
悲しい夢を見ないように、手のひらに願いを込める。
一瞬、玲の口元がほころんだ。
ここにいるから。俺はここにいるから安心してお休み。
玲の額にキスをした。
病室の扉が開き、看護師が入って来た。
眠っている玲を起こさないように、小さな声で、先生が呼んでいます、と言った。
看護師が案内してくれたのは、再発の言葉を聞いたカンファレンスルームだった。
扉のノブを持つ手が小さく震えた。
不安が胸をよぎる。
以前と同じように、担当医師が硬い表情で座っていた。
「残念ですが、がんの転移が広がっています。」
「抗ガン剤は効かなかったということですか?」
「そうです。もう抗ガン剤の投与は難しい状態です。」
「じゃ、玲は、玲はどうなるんですか?」
医師の口から、余命2ヶ月、と聞かされた。
これからは痛みを緩和する治療法に切り替えた方が本人のためにベストだと。
目の前が真っ白になった。
玲が死ぬ?
そんなはずはない。俺や陽をおいて死ぬわけがない。
「先生、なんとかならないんですか?なんで玲が死ぬんですか?」
「このまま抗ガン剤治療を続けても、奥さんは辛いだけです。」
「でも可能性は。」
「ほぼ、ありません。」
「そんな。」
「抗ガン剤を中止して痛みを緩和する治療なら奥さんの身体を楽にさせてあげられます。」
「楽になっても死んじゃうんですよね。」
「そうです。」
「そんなひどい。」
「もちろん、わずかでも可能性を信じて抗ガン剤治療を続けると言うなら反対はしません。」
「どうするか、俺が決めないといけないんですね。」
「奥さんと相談して決めることもできます。」
「玲に、言えと?」
「それはご主人が決めてください。」
「言えません。玲に後2ヶ月だなんて、絶対言えません。」
「わかりました。奥さんには話さないようにしましょう。では、ご主人が治療法をどうするか決めて、結論が出たら教えてください。」
医師が軽く頭を下げ、部屋を出て行った。
玲が後2ヶ月で死ぬ?俺の前からいなくなる?
うそだ。誰かうそだと言ってくれて。
なんで玲が死ななきゃいけないんだ。
胸を両方奪って、その上、命までなんて。
なんで?
なんで玲なんだ?
涙が止まらなかった。
涙を拭うことも忘れていた。
涙の止め方がわからなかった。
長い時間、俺はひとりで泣いていた。
病室には戻らずに、家に帰った。
玲の顔を見たかったけど、見ればきっと冷静ではいられない。
勘のいい玲のことだ。少しの動揺でも何かあったと考えるに違いない。
玲に、余命のことだけは、知られたくなかった。
家に帰り、お母さんに医師から聞いたことを話した。
余命2ヶ月、の言葉にお母さんは絶句した。
長い沈黙の後、何かを悟ったようにお母さんが口を開いた。
「あの子の母親だから、なんとなく感じていたの。でも信じたくなかった。」
「お母さん。」
「こんなこと、あっちゃいけないわよね。怜くんと陽を残して、親よりも先にいくなんて。」
「玲が同じこと言ってました。だから、生きないといけないんだ、って。」
「怜は子供の頃から頑張り屋さんだったの。」
「はい。」
「今も、生きようと頑張ってるのよね。」
「そうです。だから、抗ガン剤治療を。」
「怜くんの気持ちはい痛いほどわかるわ。私たちのために言ってくれているのよね。でも、最後まで頑張っても報われないなんて可哀想過ぎる。これ以上辛い思いをさせるのも親として見ていられないの。」
「わかります。俺だって、最後まで玲に笑っていて欲しいと思います。」
「そうね。よく笑う子だものね。」
「玲に笑っていてもらうためなら、なんだってするつもりでした。」
「だったら、最後に笑えるようにしてあげない?」
「でも。」
「運命なのよ。怜くんと出会ったのも、がんになってしまったことも。」
「お母さん。」
「ひどい母親よね、娘の運命を勝手に決めてしまうなんて。でも、もう怜は精一杯頑張ったから。もっと頑張れなんて、言えない。」
お母さんの目から涙が溢れた。
テーブルに突っ伏して、肩を震わせながら泣いた。
お母さんの背中をさする。
背中が一瞬にして小さくなったようだった。
娘を失うこと。それが母親にとってどんなに辛く悲しく苦しいものなのか、考えるだけで胸が張り裂けそうになる。
正解なんてない。
どちらを選択しても後悔から逃げることはできない。
それをわかっていて、お母さんは笑っている玲を選択した。
お母さんの選択は間違っていない。
俺の選択も同じだから。
そして、玲の選択もきっと同じはずだから。
ひとりで病院に戻った。
2人で病院に行けば、玲が変に思うだろうから、とお母さんは言うけど、本当は玲のそばにいたかったに違いない。
玲のそばを譲ってくれたお母さんの思いを抱えて、病室に入る。
「怜、来てくれたの?仕事は?」
「大丈夫。後は夜のラジオだけだから。」
「聴くわ。」
「じゃ、玲にだけわかるメッセージ送るよ。」
「本当?楽しみにしてる。」
「気分はどう?」
「今日は少し気分いいの。」
「みたいだね。いつもより明るい顔してる。」
「朝方、いい夢を見たの。」
「どんな夢?」
「どこかの街で道に迷って泣きそうになっていたら、怜が突然現れて助けてくれたの。」
「俺、ヒーローになった?」
「そう。ヒュッて現れて、すごくかっこよかったよ。」
「現実でもかっこいいって言ってよ。」
「かっこいいよ。」
「その言葉だけで、いつでも玲のヒーローになれるよ。」
「ヒーローは自分でヒーローって言わないよ。」
「そうか。いきなりヒーロー失格だな。」
「失格じゃないよ。玲はいつでも私のヒーローなんだから。」
「ありがとう。玲の立派なヒーローになれるように頑張るよ。」
「期待してる。ちゃんと助けてに来てね。」
心臓の鼓動が早くなる。
玲を助けたい。
手を取ってもう一度ベッドから太陽の下へ連れ出したい。
だけど俺は。
玲の顔を見ると、自分の選択は本当に正しいのか、わからなくなる。
特に今みたいに気分のいい時は、がんに勝ってくれると信じたくなってしまう。
なのに俺は玲を見捨てようとしてるのか?
違う。そうじゃない。玲に最後まで笑って欲しいだけなんだ。
いいのか?それで本当にいいのか?
自分に問いかけるけど、誰も答えなんて出してはくれない。
「どうしたの?疲れてる?」
「いや、今日、朝早かったから。」
「ちゃんと夜、寝てる?」
「陽に合わせて早寝早起きしてるよ。」
「怜なら陽を任せても大丈夫だね。」
「どういうこと?」
「しっかりパパしてるってこと。」
「陽には玲も必要だよ。たまにママに会いたいって泣いてるんだよ。」
「陽には本当に悪いって思ってる。」
「そういうことじゃなくて。」
「わかってる。早く元気にならないとね。」
「そうだよ。もう入院したくないだろ?」
「家がいい。それに、まだ公園にしか行ってないもん。」
「早く退院して、今度こそいろんなとこに行こうね。」
夜、ラジオの仕事が終わってから、高井さんに状況を話した。
そして、2ヶ月間、仕事を休みたいと伝えた。
今も、かなり仕事をセーブしてもらっている。その上、これから2ヶ月間休むとなると、会社的にも支障をきたすかもしれない。
契約解除と言われても仕方ない。
クビになる覚悟だってできている。
「玲さんが、そんなことに。」
「玲の最後まで、そばにいたいんです。」
「わかりました。」
「覚悟はできてます。でも、今俺に必要なのは歌じゃなくて、玲だけなんです。」
「大丈夫ですよ。reyを会社が手放すなんてことは絶対ありませんから。」
「高井さんは無理しないでください。俺が会社に行って直接話します。」
「じゃ、明日2人で休暇を勝ち取りましょう。」
「それと、考えて欲しいことがあるんです。」
「何ですか?」
「俺、大阪に住もうと思ってるんです。」
「えっ?」
「もしもの場合、陽の面倒を見てくれるのが玲の大阪の両親なんです。仕事で何日も帰れない時や今日みたいに深夜の仕事だってある。大阪に住んでいれば、安心して歌ってられるんです。」
「でも、それは。」
「考えていてください。お願いします。」
「わかりました。だけど、いい返事ができる保証はありませんけど。」
2ヶ月しかないんだ。
玲との時間は後2ヶ月だけなんだ。
だけど、俺は父親だ。
どんなことがあっても、父親として陽を守っていかなければならない。
高井さんに言ったことは、お母さんに話した後でひとりで考えた。
もちろんお母さんにはこれからも迷惑をかけ続けることになる。
でも、こうするしかないんだ。
玲と陽と仕事のことを考えると。
考えたくない。本当はなにも考えたくない。
だけど、時間は止まってくれない。
残酷なまでに着実に、時は進んで行く。




