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彼方へ  作者: 原 恵
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第2部

ーアクシデント 1ー


12月27日。


明日、アメリカのミュージシャンが来日する。

コンサートは12月30日。


なんでわざわざ年末にコンサートなんかするかなぁ。

ひとり言をつぶやき、デスクでため息をつく。


関西の音楽情報の雑誌を発行している、音楽専門の出版社が私の職場だ。


月一の雑誌で、私の担当は洋楽。

英語ができるから、という理由だけで入社してすぐに洋楽の部門に回された。


入社して3年。

主な仕事は、来日するミュージシャンの取材、インタビュー、コンサートの解説。そして、1番時間を取られるのが、各音楽関係の会社から送られてくるサンプルCDを聴き、ライナーノーツを隅から隅まで読むことだ。

感じたことや気付いたことを記事にするけど、曲に関してのコメントはまだ書けない。

音楽に対する知識がないからだ。


入社前にバンドを組んでいた人は、聴いただけでどんなテクニックを使っているかなど、すぐにわかるらしい。


「ほら、ここのドラムのリズムの取り方。ストレイナーの切り替えが半端ないだろ?」

「ごめんなさい、全然わかりません。」


「この速弾きとチョーキングはこのバンドの特徴だよな。」

「他のバンドとの区別がつきません。」


「このウィスパーボイスちょっと耳につくよね。」

「甘くていいな、と思ってました。」


一回聴いただけで音を聴き分ける先輩たちにはいつも脱帽させられている。


「玲も後5年聴き続けたら、いやでもわかるようになるよ。」


慰めのようなアドバイスにいつも助けられている、毎日だ。



「正月は休めそうか?」

「コンサートの原稿をアップさせたら、なんとか。」

「ちゃんと休めよ。12月に入って、ほとんど休んでないだろ?」


そうだ。東京に行ったのも、仕事が終わってから。東京から帰った日も通常通り出勤した。


休みがないのではなくて、自分の仕事に追われて休んでいないだけ。

要領よくテキパキと仕事がこなせれば、ちゃんと休めるのだ。


12月30日のコンサートの取材原稿を翌日までに書き上げれば、お正月は休めそうだ。


でも、お休みなんかない方がいい。

彼と毎年訪れていた、京都への初詣も来年はない。


1月の彼の誕生日も2月のバレンタインも3月のホワイトデーも、今の私には関係のないものになってしまった。



携帯をバックから取り出す。

着信は、ない。


当たり前だ。

彼にはもう新しい彼女がいる。

待っても無駄だということは、わかっている。

だけど、5年間、コールしてきた番号だ。

なにかの拍子に、指を滑らせることだって、あるかも知れない。


なんて、未練たらしいことをいつまで考えるのだろう。

終わったのに。もうかかってこないのに。


今日はもう、帰ろう。

クリスマスから、仕事が手につかない。

やることは山積みだけど、今日は友達を誘って飲みに行こう。

気がすむまで、精一杯、悪態をついてやろう。


帰る前に、デスクを整理する。

今日届いた何枚かのCDを無造作に引き出しのボックスの中に入れた。

1番上のCDに目が止まる。

ビリー ジョエルのベスト盤だった。


頭の中に、just the way you areが蘇る。


怜を忘れていたわけではなかった。

私を好きだと言ってくれた、素直で真っ直ぐで私を絶望の淵から救ってくれた男の子。


ただ、5年間と一晩では、思い出の数が違い過ぎた。


まだ高校生だ。これから色んな経験を重ねて、私のことなんかすぐに忘れる。


会えることなら、もう一度きちんと会って、話がしたい、と思う。

そして、怜の歌をもう一度聴いてみたかった。


今までたくさんの音楽を聴いてきたけど、怜の歌が一番心に響いた。

怜の歌っている声が、忘れられなかった。


でも、3ヶ月も先の約束は守られることはないだろう。


若さなんて、そんなものだ。





いつもの路上に立つ。

チューニングを終えて、演奏を始める。


興味本位で足を止めてくれる人もいるけど、数分もしないうちに立ち去ってしまう。


音楽が好きだ。だから、一生歌いたい続けていきたい。


ふと、玲さんの言葉を思い出した。


「最高のボーカリストになれるよ。」

「特別な声。」


クラプトンの歌を歌った時だった。

どういう歌い方をしたっけ。

たぶんあの時は、玲さんのリクエストだったから、メロディーを大切になぞり、ひとつひとつの言葉に感情を込めて歌った。


あんなにストレートに歌ったことはかなった。

上手く歌おうなんて考えたこともなかった。

俺の歌をわかってもらおうと思って歌ったことなんかなかった。


でもあの時は、玲さんのために、歌った。

玲さんに俺の歌を聴いて欲しかった。

ただ、その想いだけで歌った。


オリジナルのバラードをクラプトンを歌った時のようにできるだけシンプルに歌ってみる。


女の人が、足を止めて聴いてくれている。

それから、ひとりふたりと、増えていく。


曲が終わった時には20人以上の人が、拍手をしてくれた。


次の曲も、オリジナルの中では比較的おとなしい雰囲気の曲を選んだ。


歌いながら、観客の顔を見る。

目をつぶって聴いてくれている人、優しい笑顔の人、真剣な表情の人。

色んな人が、色んな想いで聴いてくれている。


曲が終わる。

また、拍手が起こった。


おじさんが、リクエストしてもいいか、と聞いてきた。

初めての出来事に少し戸惑ったけど、 知ってる歌なら、と応える。


「ribbon in the sky。英語の歌だけど。」

「知ってます。」


スティービー ワンダーの名曲。

アメリカだと、知らない人はいないくらいのメジャーな曲。

スティービーのキーはかなり高めだけど、なんとか出せる範囲だ。


おじさんが、この曲にどれくらいの想いがあるかは知らない。

でも、初めてリクエストをくれたおじさんのために、心を込めて歌った。


歌い終わると、おじさんが握手を求めて来た。

戸惑いながら手を出すと、両手で強く握りしめ、

「感激だよ。本当にありがとう。」と言ってくれた。

そして、

「君、歌い上手いね。応援するから頑張っていい歌手になってくれ。」と。



歌は自分の思いをぶつけるものだと考えていた。

目に見えるもの全て、真っ直ぐに見ようとはしなかった。

恋や愛なんて、違う世界の絵空事だと感じていた。


今まで、自分が満足するためだけに、歌っていた。

わからない人間にわかって欲しいと思ったこともなかった。


でも今日、俺の歌で感動してくれたり、喜んでくれる人に出会った。


シカゴのダウンタウンで悲しげな目をしている子供達の顔が浮かんだ。子供達はいつもギターを弾いてくれ、とねだった。


俺の歌が、俺の歌で、救える人や、救える気持ちがあるかも知れない。

もしもそんなことができたら、最高に幸せなことかもしれない。

俺が俺である意味が、初めて実感できるかもしれない。


そんな歌を歌いたい。

そんな歌を作りたくなった。



玲さんの声が聞きたかった。

約束を破ってしまうけど、今の気持ちを知って欲しかった。

歌うこと、歌を届けることの素晴らしさが少しわかったような気がしたと。


携帯の入ったリュックを探す。

置いてあった場所になかった。

なんで?どこか置き忘れた?

違う。盗られたんだ。歌っている間に。


周りを見回しても、俺のリュックを持った人はいなかった。


急いでギターを片付けて、交番に行く。


状況を説明して、被害届を提出する。

「今の時期、そういうの多いんだよ。見つかったら連絡するけど、あんまり期待しない方がいいよ。」


「携帯だけでいいから見つけてください。」

警察官に頭を下げて、交番を出る。


玲さんに連絡できない。

玲さんにもう会えない。


悲しくて、悔しくて、切なかった。


失恋は心が痛い。

玲さんのいう通りだ。

心が痛過ぎて、呼吸すらできない。


玲さんに、会いたい。





久しぶりの休日。

3月10日。


昼過ぎまで熟睡して、日頃の寝不足を一気に解消する。


冷蔵庫になかった牛乳をスエットの上下にジャンパーを羽織った姿でコンビニまで買いに行く。


コンビニを出たところに、高校の制服を着た女の子のグループがいた。

胸にピンクのコサージュ、そして手には長い筒を持っている。


そうか、卒業シーズンなんだ。


18歳か。

1番楽しくて、1番面白くて、1番輝いている時。

だけど、あの頃はそんなことを考えたこともなかった。

嫌なことも、辛いことも、悲しいこともいっぱいあった。

もっと早く大人になりたかった。


今を、精一杯生きて欲しい。

彼女達の弾ける笑顔を見て、そう思った。


あなた達は、まだ何でもできる、何にでもなれるんだから。


そして、髪もとかず、スエットで外出するような女にはなるなよ、と付け加える。



怜も卒業したのかな。

進学?社会人?

それとも、夢を追ってくれているだろうか。


彼のことを思い出すことは少なくなった。

時間薬とはよく言ったものだ。

彼を思い出さなくなった分、怜を思い出すことが増えたような気がする。


怜の声とよく似たアーティストの楽曲は、特別時間をかけて聴く。


そういう時は、無性に怜の歌を聴きたくなる。


新宿の路上。汚い焼き肉屋さん。初雪。夜の公園。怜の声。キス。約束。



連絡はなかった。

当たり前だ、私が卒業してからと約束させたのだから。


これで、いいのだ。

私から連絡はしない。

惨めなおばさんにはなりたくなかった。

心に無理矢理言い聞かせる、自分がいた。





高校の卒業式が終わった。

帰国子女枠で入った高校は、レベルの高い学校だった。


でも、苦労したのは、国語系の授業だけで、後は授業さえ聞いていれば簡単にクリアできた。


進路指導の先生には何度も呼び出された。

進学も就職もしないと言っていたからだ。


国立だって行けるのにもったいない。

何がもったいないか、全く理解できなかった。

もったいないのは、大学で無駄な時間を過ごすことだ。

授業を受ける時間があれば、ギターの練習もボイストレーニングもできるし、曲を作る時間にも当てられる。


現実を見ろ。

見ているから、今が大切なんだ。


夢ばかり見るな。

夢じゃない。目標なんだ。


高校の名前を上げるためのコマじゃない。

もうほっといてくれ。

俺が声を荒げてからは、呼び出しもなくなった。


卒業式が終わってから、10人ほどの友達と打ち上げのカラオケに繰り出す。


進路について聞かれた時、シンガーソングライターと答えた俺を笑わずに、応援する、と言ってくれたのが、ここにいる友達だった。


バイトと路上ライブで友達と遊ぶこともできなかった。

初めて一緒に来たカラオケで、みんなが俺の歌を聴きたいと言う。


ギターを持たずに歌うなんて何年ぶりだろう。


友達のリクエストを曲が流れ出す。


ハンドマイクは手持ち無沙汰だったけど、友情への感謝とこれからの人生のエールを歌に込める。


「怜の道は間違っていない。ここまで上手いとはな。」

「本物のシンガーソングライターに絶対なれるから、何があっても諦めるな。」

「どんな時でも応援してることを忘れるな。」

「自分を信じろ。怜ならできる。」


歌い終えると、みんなが声をかけてくれた。

「頑張るよ。ありがとう。」


夜が始まる頃、先に帰ることをみんなに告げる。


ひとりの女の子のが近づいてきた。

話があると言う。


2人で外に出る。


「怜くんが好き。これからも会ってくれる?」

以外だった。明るくて元気なクラスメイトとしか接していなかった。


「会えるよ、いつでも。でも、俺、好きな人がいるから、友達としてだけど。」

「好きな子いるんだ。」

「子じゃなくて、人だけど。」

「人?」

「ずっと年上の人。今から、会いに行くんだ。」

「わかった。このことは気にしないで。」

「ごめん。でも、ずっと友達だから。」



家に帰り、着替えを済ませ、深夜バスのステーションに向かう。


盗まれた携帯は、出てこなかった。

玲さんと連絡は取れない。

それでも、大阪に行こうと思った。

手がかりなんて何もない。

住んでる所も働いている場所も知らない。

会える確率なんて、ゼロに近い。

でも、行く。


大阪行きの深夜バスに飛び乗った。



朝の5時半、バスが大阪に到着した。


近くにあった、ファーストフードの店に入り、朝食を食べる。


大阪に来たのは初めてだ。

バスステーションに置いてあった、大阪の観光ガイドを開く。


どこから探せばいいのか、それすら分からなかった。


コーヒーのおかわりをもらう時に、店の人に聞いてみた。


「大阪で会社の多いとこってどこですか?」

「会社?どういう会社ですか?」

「会社っていうか、会社員が多い街。」

「1番多いのは、この梅田周辺だけど。誰かお探しですか?」

「行方不明になった姉が大阪で会社員してるって情報をもらったから、探しに来たんだけど。」

「それは、大変ですね。でも、会社って言っても大阪市内だけでも数え切れないくらいあるから。せめて駅だけでも分かれば探しようがあると思うけど。」

「そうですか。ありがとうございます。」


そうだよな。東京に次ぐ大都市だもんな、会社なんて山ほどある。人だって山ほどいる。


でも、ここが一番会社員が多いって言ってたから、まずはここから探し始めよう。


7時になるのを待って、外に出る。

駅には、もうたくさんの人で溢れていた。


中央改札と書いてある所で、改札を流れ作業のように出てくる人並をじっと見る。


9時半を過ぎた頃になると、少し人が少なくなったけど、まだまだ改札口の流れ作業は続いている。


こんなことで見つかるなんて思ってないけど、やっぱり落胆してしまう。


何か、玲さんとの会話の中にキーワードがなかったか、もう一度、思い返して見る。


何も浮かばない。

いや、待て。玲さんは女性にしては音楽に詳しいような気がした。

そして、洋楽しか聴かないとも言っていた。

普通に生活していれば、日本語の歌の方が耳に入ってくるはずだ。

邦楽でもいい歌はたくさんある。

素晴らしい歌手もいる。

それなのになぜ洋楽しか聴かないのか。


もしかして、洋楽に関するの仕事をしているのか?

それって一体どんな仕事なんだ?


駅員に図書館の場所を聞く。


教えてくれたのは、歩いて15分ほどの所にある古い歴史のある図書館だった。


手当たり次第、大阪にある音楽に関する会社を探したけど、途中で諦めた。

レコード会社、音楽事務所から出版社、CDショップ、楽器店、ライブハウス、コンサートホール、音楽教育などなど。

ひとりで探せば何ヶ月もかかるほどの数だった。


ネットカフェで寝起きして、4日間、朝と夕方は色んな駅の改札に立ち、昼はオフィス街を、夜には繁華街を歩き続けた。


玲さんを見つけることはできなかった。

簡単じゃないことはわかっていたけど、期待もしていた。

もしかしたら、と。

甘かった。

現実の厳しさが身に沁みた。


もう帰らないと、バイトで貯めたお金も底を着く。


まだ18年しか生きていないけど、今までで一番辛い日になった。




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