第19部
ー怜の思い出探しー
翌朝、出勤する父と一緒に家を後にした。
「もう少しゆっくりして行けばいいのに。」
「すみませんでした、急に来て。」
「怜くんとゆっくり話もできなかったな。」
「今度またお邪魔します。」
「今日はどうするんだ?」
「近所をぶらぶらして、東京に帰る。」
「怜くん、気を付けてな。玲も身体、大切にするんだよ。」
「ありがとう。お父さん。」
5分ほど歩いたら、小学校の前に着いた。
まだ8時にもなっていないのに、ランドセルを背負った子供たちが元気よく学校へと駆け込んで行く。
「玲も、ああして毎朝走ってたんだ。」
「走ってたけど、私は遅刻しないように走ってた。朝、苦手だから。」
「元気いっぱいの子供だったと思ってた。夜遅くまで、勉強してた?」
「まさか。元気はよかったのよ。ただ、勉強じゃなくて、小学生の頃から深夜ラジオで音楽ばかり聴いてたから、朝起きれなかったの。」
「だから、古い曲もよく知ってるんだ。」
「英語の曲が、すごくカッコよくて。歌詞なんて全然分からなかったけど、いろんなジャンルの歌を聴きまくった。」
「最初のリクエストがクラプトンだったよね。」
「覚えてた?」
「25歳なのに、なんでクラプトン?って思った。」
「そんなこと思ってたんだ。」
「でも、うれしかった。俺もクラプトン好きだから。気が合うなって。」
「楽しかった。失恋したばかりなのに、それを忘れるくらい、楽しかったよ、あの時。」
「玲を振った男は本当に見る目のない奴だよな。」
「あのね、その人も礼だったのよ。」
「うそ。」
「礼司。礼くんって呼んでた。」
「そう言えば、俺は最初から呼び捨てだった。年下だからかなって思ってたけどそう言うことだったんだ。」
「別に内緒にしてたわけじゃないのよ。」
「何年付き合ってたの?」
「5年、かな。」
「長かったんだ。」
「そうだね。長かった。怜がこんなこと聞くの、初めてだね。」
「いや?」
「いやじゃない。だって、付き合ってたことも振られたことも、私の歴史だから。」
「いろんな歴史が積み重なって、今の玲がいる。」
「そうだといいな。」
「玲だけじゃなくて、俺だってそうだよ。まぁ、俺の歴史なんてほとんど玲との歴史なんだけどね。」
話しながら歩いていると、通っていた中学校の前にでた。
校舎の横に体育館がある。
バスケットボール部で、毎日必死でボールを追っていた。
女の子が数人、こっちに向かって走って来た。
怜の顔を見て、キャーreyだ、と騒ぎ出した。
その声がきっかけとなって、あっと言う間に怜の周りに学生たちが集まった。
そして、携帯のカメラが一斉に怜を捉える。
「ごめんね、今、プライベートだから。学校始まるよ。」
「もう行かないといけないから、道、開けてくれる?」
怜が声をあげても聞く学生はいない。
怜が困った顔をしていると、大きな声が聞こえてきた。
「何やってる。早く学校行け。」
「だって先生、reyがいるんだよ。」
「いいから早く行け。遅刻だぞ。」
えっー、と言う声と共に子供たちが名残惜しそうに学校へと向かって行く。
「この中学の根本と言います。どうかされましたか?」
大柄の男の人が改めて挨拶をした。
「根本先生?」
「えっーと?」
「加藤です。バスケ部だった加藤玲です。」
「おお、加藤か。覚えてるぞ、加藤玲だ。」
「はい。お久しぶりです。」
「なんだ、どうした?何があったんだ?」
「あっ、すみません。主人と散歩していたら学生たちにつかまってしまって。」
「加藤の旦那さんでしたか。」
「すみません、お騒がせしました。」
「先生、主人がミュージシャンなんです。だからみんなが集まってきちゃって。」
「そうだったのか。そう言えば雑誌か何かで見たことがあるような。」
「まだまだ駆け出しです。」
「先生、お元気でしたか?」
「見ての通りだ。まだバスケの顧問してるんだぞ。」
「懐かしいな。鬼の根もっちゃん。よくしごかれました。」
「当時はまだ若かったからな。今じゃそんな体力はない。」
「怖くて厳しいけど、優しい先生だったのよ。」
「玲がお世話になりました。」
「いえいえ。初めての担任が加藤のクラスだったから、今でもよく覚えてるよ。いいクラスだったよな。」
「はい。すごく楽しかったです。」
「さあ、もう戻らないと。加藤、きれいになって、いい旦那さんに恵まれてよかったな。今度はもっとゆっくり話しよう。」
「はい。先生と今日会えて、うれしかったです。」
「びっくりした。突然の再会だ。」
「いい先生だね。」
「うん。一番印象に残ってる先生。」
「玲が一瞬で中学生になってた。」
「戻っちゃうね、自然と。」
「玲がバスケしてたことにもびっくりしたけど。」
「意外?結構うまかったんだよ。」
「楽しいな。俺の知らない玲がいっぱいいて。」
「本当ね。それだけ長い時間を生きてきたってことだね。怜のことも、もっと知りたい。」
「だから、俺にはそんなにないから。」
「ある。きっとある。今度は怜の思い出を探しに行こうね。」
毎年初詣に行った神社で参拝して、お昼にたこ焼きを食べて、東京へと向かった。
大阪から戻った2日後に、母が大阪に帰った。
ばあばはお出かけ、と陽に言い聞かせたから、いつまで経っても戻って来ないことに数日は悲しそうな顔をして見せたけど、いつの間にか、それも忘れてしまったようだった。
反対に、忘れられなかったのは、私だった。
母がこれほどまでに大切な人だったのだと、改めて思い知らされた。
空のように広く、海のように深く、太陽のように暖かく、仏のように慈悲深い。
それが、母という存在なのだろう。
ホームシックではなく、マザーシックになってしまった私を慰めてくれたのは、陽だった。
半人前の私を母として慕ってくれるからこそ、強くなれる。
そうして、少しずつでも、母に近づけていこう。
それが今、私ができることなのだ。
放射線治療が終了して3カ月後の検診を受けに行った。
異常はなく、一緒に来てくれた怜もほっと胸を撫で下ろしたようだった。
「後10年もあるのよ、検診に通うのは。」
「先のことはあんまり考えずに、ひとつずつクリアしていこうよ。」
「それもそうだね。焦ったって10年がすぐに過ぎるわけないもんね。」
「すぐに10歳も歳とったらいやだろ?」
「それは絶対にいや。」
「だろ?ずっとこうして付き合うから。」
「うん。じゃ、行こう。」
今日は、怜の生まれた町に行く。
アメリカのお父さんから、中野区に住んでいたことを聞いた。
住所までは覚えていないが、駅前の商店街から少し外れた所にある8階建のマンションだということだった。
外観は白色で、サンライズとかサンシャインのような、サンのつくマンション名らしい。
もう20年近く経っている。
今もそのマンションがあるかどうかわからないけど、とりあえず行ってみることにした。
新宿からたった4駅先の中野駅で降りる。
今の新宿のマンションから、こんなに近い場所だったことに、2人で驚いた。
駅前には、立派な商店街があった。
初めての場所に、陽はキョロキョロと興味津々で眺めている。
「何となく、覚えてるよ。」
「変わってない?」
「店とかはわからないけど、雰囲気に面影がある。」
「角があれば曲がってみようよ。」
商店街から、角があれば右へ左へと曲がってみる。
予想はしていたけど、マンションだらけだ。8階建の『サン』のつくマンションはなかなか見つからなかった。
「あっ。」
「どうしたの?」
「あの和菓子屋、見覚えがある。」
「本当に?」
「うん。ここに来たことがある。」
「じゃ、近くかもしれない。聞いてみようよ。」
すみません、と声をかけると店の中から初老の女性が出てきた。
「この近くに、8階建のサンなんとかって言うマンション知りませんか?」
「サン?」
「はい、サンシャインとかサンライズだと思うんですけど。」
「サンライズって言うマンションはあるけど。」
「場所、教えてもらえませんか?」
「そこに住むの?もう古いマンションだよ。」
「違うんです。昔、そこに住んでいて。」
「怜ちゃん?」
「えっ?」
「お母さんが外国人の怜ちゃん?」
「そうです。僕のこと、知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、本当に怜ちゃんなの?まぁ、大きくなって。」
「ここに来たことあるんですね。」
「もう20年くらい前になるのかな、週に2回はここに来てたよ。女の子みたいにかわいい顔でうちのお饅頭が大好きだったのよ。本当、懐かしいわねえ。」
「覚えててくれたんですね。」
「しっかり覚えてるわよ。歌が上手で、店の前でよく歌って聞かせてくれたのよ。」
「だんだん思い出しました。お饅頭のおばちゃん、ですよね。」
「そうそう、そう呼んでくれてたわ。もうパパになったのね。」
「はい。家族ができました。あの、お饅頭、3個下さい。」
「いいわよ、これ、持って行きなさい。」
「そんな、悪いです。」
「怜ちゃんの顔、見れたんだもの。いいの、いいの。」
「すみません。じゃ、遠慮なくいただきます。」
「あっ、怜ちゃんが住んでたマンションね、次の角を右に曲がって50mほど先よ。」
「ありがとうございます。会えてうれしかったです。」
「こっちこそ。また来てね。待ってるから。」
「絶対、来ます。」
和菓子屋のおばさんが教えてくれた所に、サンライズガーデンというマンションがあった。
白いタイル張りの外装は少し薄汚れていたけど、なかなか立派なマンションだった。
「ここなんだ。頭の中にずっとあった場所。」
「何階だったの?」
「多分上の方。階段を使った覚えがあんまりないから。」
「頭の中のアルバムにちゃんと貼り付けとかないとね。」
「もう忘れない。でも、この前の道、こんなに細かったんだ。広い道路を想像してた。」
「それは、怜が大きくなったからじゃない?」
「そうか。小さい自分が見てたから全てが大きく見えたんだ。」
「あっ、あの公園。遊んだ記憶がある。」
「行ってみよう。」
陽を膝の上に乗せ、怜がブランコを漕ぐ。
小さな公園に陽の楽しげな笑い声が響いた。
「思い出した。この近くの保育園に通ってたんだ。その時にみんなでここに来てた。」
「女の子みたいなかわいかった怜はどんな遊びをしてたの?」
「走り回ってたかな。じっとしてなかったよ、きっと。」
「女の子にモテたでしょう。」
「チョコレートもらった記憶はある。でも、小さい頃から女の子に興味なかったからな。」
「女の子は怜に興味あったわよ、きっと。告白されたことだってあったでしょう?」
「日本に帰って来てから1回だけあったな。」
「振っちゃったんだ。」
「卒業式の日。玲を探しに大阪に行く前に。その時は玲に会うことしか頭になかったから。」
「ばかね、怜は。」
「そう。単純だから、宝物をすぐに見つけられた。複雑に考えてたら、いっぱいの中から一番大切な宝物を見過ごしてしまうかもしれないだろ。」
「怜らしいね。」
公園を出て、怜のおぼろげな記憶をたどって歩いて行くと、保育園があった。
きれいに建て直された、桜色の塀のかわいい保育園だった。
「ここに通っていたんだね。」
「多分もっとボロボロだったと思うけど。」
門の前で話していると、中から女の人が出て来た。
「見学の方ですか?」
陽を見て、笑顔で尋ねられた。
「違うんです。すみません。」
「あの、もしかして、reyさんですか?」
「はい。ここに通っていたんです。だから懐かしくて。」
「ちょっと、待っててください。」
女の人が走って中に入って行った。
しばらくして、さっきの人がもうひとりの女の人を連れて来た。
「怜くん。」
「あっ、覚えてます。えっーと、そうだ、恵先生ですよね。」
2人が手を取り合い再会を喜んでいる。
怜が私と陽を紹介してくれた。
「どうしてここにいるの?」
「今日は思い出をたどっていたんです。」
「怜くんの活躍は見てるわよ。」
「知ってたんですか?」
「当たり前じゃない。私のかわいいの教え子なのよ。いつもみんなに自慢しているの。」
「うれしいな。」
「昔から歌が好きで、私のオルガンの演奏でよく歌っていたことを、覚えてる?」
「恵先生が褒めてくれるから、うれしかったんです。」
「本当に上手だったわ。だから、歌手のreyを見て、すぐに怜くんだってわかったの。」
「そんなに歌ってましたか?」
「ええ、ボール遊びが好きで、走り周ってるか歌っているかのどちらかだったのよ。」
「手のかかる子供だったんだ。」
「そんなことなくって、お友達とも仲良くしてたわよ。ねえ、怜くん、少し時間ある?」
「はい、ありますけど。」
「子供たちに歌を聴かせてあげて。きっと喜ぶわ。」
「いいんですか?」
「いいに決まってるじゃない。あなたは立派な卒園生なんだから。」
オルガンを弾きながら、怜は童謡を3曲歌った。心から幸せそうな顔で。
子供たちの目がキラキラと輝いていた。
中でも、一番楽しそうにしていたのが、陽だった。
保育園だから、同じくらいの子供もいる。
会話することはまだ無理だけど、子供同士で通じるものがあるのだろう、立派にコミニュケーションをとっていたのだ。
怜がここで友達と遊んだように、陽にも友達が必要なんだ。
いろんな関わりが、成長につながる。
遊んでケンカして笑いあえる友達と出会わせてあげたくなった。
今日、この町を訪れて、よかった。
怜は、素晴らしい人たちに囲まれて、育ってきたのだ。
怜の思い出は、20年の時を経ても、褪せることなくみんなの胸に刻まれていた。




