第18部
ー私の思い出探しー
今日で放射線治療が終わる。
長かった治療からやっと解放されるのだ。
もちろん、治療が終わるだけで、まだまだ検査のために病院には通い続けないといけない。
だけど、治療が終わると思うだけで、私の心は軽くなった。
そして、頭髪が生えてきたとこも、うれしかった。
今はまだ五分刈りくらいだけど、ベリーショートくらいになれば、ウィッグや帽子ともお別れできる。
油断は禁物だけど、今は全ての人に感謝したい気持ちだった。
病院へは今日が休みの怜に送ってもらった。
「玲、うれしそうだね。」
「うれしいよ。今日で終わるんだもん。」
「長い間、よく頑張ったね。」
「私だけ頑張ったんじゃないよ。怜や陽やお母さんや先生たちのおかげ。」
「俺は全然そばにいてあげられなかったよ。」
「そんなことない。地方からでも無理して帰ってきてくれたじゃない。」
「それくらいしかできないから。」
「帰らなくてもいい、って言ったけど、あれうそだから。本当はすごくうれしかったのよ。」
「わかってたよ、そんなこと。だけど、今回の功労者はお母さんだよ。」
「そうね。お母さんがいなかったらどうなってたか想像もつかない。」
「だから考えたんだ。お母さんとお父さんを誘って温泉に行こうよ。」
「いいね。おいしいご飯食べて、ゆっくりしてもらうのも。」
「だろ?だから玲は、お父さんの都合を聞いてみてくれる?」
「うん。」
「場所は俺が決めとくから。できれば2泊はしたいしね。」
「楽しみだなぁ。」
「期待してて。」
「怜、色々ありがとう。」
「礼ならお母さんに一番先に言わないと。」
「そうだね。今日、帰りにおいしいケーキ買って、みんなで食べよう。その時に、ちゃんと伝えるね。」
放射線治療が終わった。
病院の外に出る。
青空が広がっていた。
シュークリームのような雲の横を飛行機雲が2本。
何気ない、見慣れたいつもの風景。
だけど、今日は少し違って見えた。
太陽の陽射しは暖かいけど、頬を撫でる風が少し冷たい。
目に見えるもの、感じるもの全てが、生きていることを実感させてくれた。
今日から、この瞬間から、また新しい自分として生きていける。
また、スターティングポジションに立てたのだ。
自分の2本の足で、地面をしっかり踏みしめた。
「どこ行く?」
「デパートでケーキ買わなきゃ。」
「ケーキは後で。どこか行きたいとこない?」
「どこって?家に帰らないの?」
「まだ帰らないよ。」
「でも家で陽も待ってるし、お母さんにも悪いし。」
「お母さんに頼まれたんだ。今日は一日中玲といてあげて欲しいって。」
「何、それ。また2人で内緒話?」
「そう。だから今日は玲を俺が独り占めするんだ。」
「もう、また子供みたいこと言って。」
「それに、もうひとつ言ってた。」
「なんて?」
「なんだと思う?」
「お母さんのことだから、きっと変なことだと思うな。」
「陽に兄弟がいてもいいんじゃない、って。」
「うそ、そんなこと言ったの?」
「そう。俺もそう思うよ。」
「お母さんったら。」
「俺はうれしかったよ。」
「もちろん私も陽に弟か妹がいた方がいいと思うけど、今は考えられない。」
「すぐにじゃないさ。玲が元気になったらってことだから。」
「うん。」
「とりあえず、今日は特別な日なんだから、お母さんに甘えてのんびりしよう。玲、横浜行ったことある?」
「旅行で来たことはあるけど、もう何年も前。横浜に行くの?」
「俺、仕事では何回も来たけど、観光した事なかったし。」
「今から横浜に行くの?」
「いや?」
「遅くなったら陽が寂しがらないかなぁ。」
「お母さんはもう陽の二番目のお母さんなんだから、心配ないよ。」
「そうだよね。せっかくのお母さんの好意、無駄にしちゃだめよね。特別おいしいケーキ買って帰らなきゃね。」
病院から直接、横浜に向かった。
少し渋滞はしていたけど、高速道路が子供の頃から大好きだった。
高速道路に乗ると、どこか、遠くの楽しいところに行けるような気がしていつもテンションが上がる。
遠足でも、日帰り旅行でも、泊まりの旅行でも、私のワクワクは高速道路から始まっていた。
ふと、このまま大阪に帰りたいな、と思った。
大阪を離れて、もう5年が経とうとしている。
不意に心の中に、育った家が蘇えった。
懐かしさで、胸がつまった。
実家は小学生の時に引っ越したから、築年数はもう20年以上になる。
私の部屋だった2階の和室は今は物置きのようになっているけど、ずっと使っていた学習机はまだ置いてあるのだろうか。
1階の居間のこたつが大好きだった。あのこたつでもう一度うたた寝がしたくなった。
センチメンタルでノスタルジックな感覚を高速道路は呼び起こしてくれる。
身体の中の、届きそうで届かなかったザワザワした場所をそっと撫でたような気分だった。
「…玲?」
「あっ、何?」
「うわの空だった。」
「ごめん、聞いてなかった。」
「考え事?」
「違うの。高速道路に久しぶりに乗ったなって。」
「3人で海に来て以来だからね。」
「ねえ、怜はシカゴのこと、またに思い出したりする?」
「大阪のこと思い出してた?」
「ちょっとね。」
「シカゴのことはあんまり思い出したりしないな。」
「悪いこと聞いちゃったね。」
「そう言う意味じゃないよ。シカゴは大好きな場所だよ。悪い思い出もあるけど、いい思い出の方が多いしね。」
「そっか。」
「でも、思い出すのは、東京かな。」
「新宿のあのアパート?」
「もっともっと前。」
「いつの頃?」
「5歳くらいまで住んでた東京の町。住所も覚えてないけどね。」
「どの辺かも?」
「全然。だけど、家の前の風景とか近所の商店街の雰囲気なんかは覚えてるんだ。」
「今度、探してみようよ。」
「でも、住所もわからないし。」
「お父さんに聞けばわかるんじゃない?番地までは覚えてないかもしれないけど、町の名前くらいはわかるかも。」
「面白そうだな。行ってみようか。」
「怜の思い出探しの旅だね。」
「玲も、大阪に帰りたいんじゃない?」
「私はいつでも帰れるし。」
「この道は大阪まで繋がってるんだよ。」
「そうね。繋がってるんだね。」
「行こう。大阪。」
「だめよ、遠過ぎるわ。」
「大丈夫。行ってお父さんをびっくりさせよう。」
「本当に言ってる?」
「もちろん本気だよ。」
「何時間かかると思ってるの?」
「お母さんには俺から連絡しとくから。」
「そう言う問題じゃなくて。」
「夜には着くから。」
「もう。怜は何考えてるのよ。」
「玲の思い出をのぞいてみたくなったんだ。」
途中、ドライブインで休憩を取りながら、夜が始まった頃に大阪に着いた。
電話で母は笑いながら、
「まぁ、仲のいいこと。陽のことは任せて楽しんでいらっしゃい。」
と言ってくれた。
父はまだ帰宅していなかったから、昔よく家族で行ったうどん屋に2人で行った。
「この味。そう、この出汁の味と香り、全然変わってない。」
「うまいね。」
「でしょ。東京では食べれない味。久しぶりだなぁ。」
「玲の思い出の味なんだ。」
「子供の頃から食べてたからね。今日食べれんなんて思ってもいなかった。」
「ほら、来てよかったろ。」
怜は、外出する時には、黒いフレームの伊達眼鏡をかける。
うどんの出汁を飲み干した怜の眼鏡のレンズが湯気で真っ白になっていた。
それを見た私は、思わず笑ってしまった。
怜は、レンズを服の袖で拭く。
片方だけ真っ白の眼鏡はさっきよりも間抜けで、お腹が痛くなるほど笑っていた。
「そんなに笑うことないだろ。」
「だって、すごく間抜けだったんだもん。」
「失礼だな、こっちは真面目なのに。」
「間抜けがかわいくて。」
「なんだよ、それ。」
「とにかく、面白いんだってば。」
「ほら、これで面白くないだろ。」
「あのままでもよかったのに。」
「reyが間抜けだったら、ファン減るだろ。」
「そんなとこもかわいいって、逆に増えるかもよ。」
「そんなわけないだろ。」
「私は大好きだよ。」
「まぁ、玲がそう言うなら、いいっか。」
「ねえ、帰りには角のパン屋さんで焼きそばパン買いたい。」
「いいね、焼きそばパン。」
「怜も絶対気にいるよ。おいしいんだから。」
「玲の顔見てるだけでわかるよ。」
「私、そんなに食いしん坊の顔してる?」
「うれしくて仕方ないって顔。そんな玲を見てるだけで、俺もうれしいよ。」
自分でもわかっていた。
ずっとみんなが私を支え、励ましてくれた。
それに応えようと、応えなきゃいけない、と頑張ってきた。
何度も自分のキャパシティを超えて、疲れ切った日も少なくなかった。
無理をするのはやめようと思ったけど、次の日にはまた明るい笑顔を見せていた。
本当の私を取り戻したかった。
笑顔ではなく、笑い顔でいたかった。
怜は知っていた、わかっていたんだ。
だから今日、横浜ではなくこんなに遠い大阪に連れてきてくれたんだ。
やっぱり、私は怜には敵わない。
突然帰って来た私と怜を見て、父はびっくりした。
来るなら言ってくれればいいのに、と言いながら父は笑顔で迎えてくれた。
居間にはこたつ。
木目の天板の角が欠けているのは、私がポットを落としたから。
こたつ布団のシミは、私がケチャップをこぼした跡だ。
肩までこたつ布団をかぶり寝ている私は、いつも怒られていた。
「風邪をひくから、ちゃんとベッドで寝なさい。」と。
気持ちよかったんだ。身体中がポカポカして、熱くなったら足だけ布団から出しては身体を冷ますのだ。
決めた。今日はこたつで寝よう。
怜には客間で寝てもらうけど、私だけ、父は内緒で。
怜と2人で二階に上がる。
父と母の部屋の向かいの部屋が、私が使っていた8畳の洋室だった。
あった。部屋の角に、私が小学生の頃から使っていた学習机が。
机の上にセットしてある本棚には辞書類が並べてあった。
一番上の引き出しを開ける。
カラフルなシャープペンシルやボールペン、定規やコンパスが無造作に入れてあった。
二番の引き出しには、お小遣いで買った小さなメモや便箋などの紙類。
一番下には、卒業アルバムや筒に入ったままの卒業証書。
怜が中学の卒業アルバムを取り出してページをめくる。
「玲は何組?」
「探してみて。」
「あった。3年2組だ。髪の毛、長かったんだ。」
「大学に入るまでは、ずっとロングだったのよ。」
「今の方が好きだな。」
「今は髪の毛ないから、病気になる前ね。」
「いいや、今がいい。中学の玲より高校の玲より病気の前の玲より、今が一番素敵だ。」
「ありがとう。怜がそう言うのなら、信じる。」
「これ、東京に持って帰る?」
「うんん。ここに置いておく。」
「そうだね、またいつだって見れるしね。」
「うん。東京では昔の思い出に浸ってる時間なんかないし。」
「今を大切にしないと、いい思い出だって霞んじゃうからね。」
「頑張って、踏ん張って、生きるから。」
「一緒に、ね。」
結局、怜とこたつで寝転んで話をしているうちに、2人ともそのまま寝てしまった。
想像通り、こたつでのうたた寝は最高に気持ちよかった。




