第15部
ー3つのサプライズー
私のがんの名前は、トリプルネガティブタイプ。
落ち込みやすいけど、トリプルがつくほど私の性格はネガティブじゃない。なのに、どうしてこんな名前の病気になってしまったのだろうか。
できれば、ダブルポジティブくらいにしてほしい。
それならもう少し明るい気持ちになれるのに。
病院のベットに横になりながら、漠然とバカなことを考えていた。
病室は、かなり広い個室。
怜が来ることを考えて、病院と怜が相談して決めた。
確かに、たまにテレビにも出ている怜が病棟内をウロウロしてると、怜を知っている人はパニックになるかもしれない。心拍数もかなり上昇するだろう。
だからと言って、こんなに広い、というかこんなに高そうな病室でなくてもよかったのに。
下の売店で飲み物を買いに行っていた、マックスポジティブタイプの怜が戻ってきた。
「ここ、すごく居心地いいけど、高いでしょう?」
「そんなことないよ。入院も10日くらいだし。」
「もっと小さい部屋でもよかったのに。」
「病院がだめだって。できるだけ部屋数の少ない階にしてください、って。」
「考えたら、そうだよね。」
「それにここなら俺もゆっくり寝れるし。」
「えっ?泊まるの?」
「当たり前だろ。今日から4日間、ずっといるから。」
「いいよ、帰ってよ。」
「なんでさ。いつも言ってるだろ、玲が辛い時はそばにいるって。」
「でも。」
「前の病気の時に、一緒にいてあげられなかったことが悔しかったんだ。だから玲がなんて言ってもここにいるから。」
「もう、頑固なんだから。でも、うれしい。ありがとう、怜。」
入院当日は、いろんな検査や看護師からの説明、手術の担当医師や麻酔科医からの回診などで、かなりハードスケジュールだった。
今日の予定が全て終わった時には、もう夕食の時間だった。
「入院ってこんなに大変なんだ。」
コンビニのお弁当を食べながら、怜がつぶやく。
怜は健康だし、何と言ってもまだ若い。
聞いた話では、病院はおろか、家の近所のクリニックなどに行ったこともないらしい。
「風邪もひかないし、病院に行ったのって、歯医者くらいかな。」
以前の私もそうだった。
風邪なんて病気の内にはいらなかった。
少しの熱なら、病院にも行かず、気合いで治した。
以前の私なら。
元気な頃に戻りたい。
健康であることが、普通だと思っていたあの頃に。
夜は、心が落ち着かなくて、なかなか眠れなかった。
そんな私を見て、怜が私の好きなバラードを囁くように歌ってくれた。
繋いだ手。緊張が少しずつほぐれていく。
入院前のお願いが、叶った。
ゆっくりと目を閉じる。
3曲目の大好きなサビのところは聴くことはできなかった。
翌日には、母が陽を連れて病院まで来てくれた。
1日しか離れていなかったのに、陽の顔を見ると瞳が潤んだ。
優しく、それでいて強く、抱きしめる。
柔らかな感覚、陽の匂い。
こんなに愛しいなんて。
陽と一緒にいられるなら、どんな手術にだって耐えられる。
「お母さん、陽を連れて来てくれて、ありがとう。陽、いい子にしてた?」
「すごくいい子だったわよ。ご飯の前以外はね。」
「やっぱり?陽、お腹が空くと急に機嫌悪くなるの。」
「玲と同じよ。」
怜が笑う。
「玲に似てるんだ、親子だね。」
「でも、顔は怜くんに似て、よかったわよ。」
「お母さん、ひどい。」
「玲にも似てるよ。天使の笑顔が。」
「怜、それって慰めてるの?」
「違うよ。ねぇ、お母さん、玲もかわいかったでしょ?」
「そうね、陽ほどじゃないけどね。」
「やっぱ、お母さんひどい。」
「それはそうと、お母さんよくここわかりましたね。」
「そうなのよ、スマホって、すごく便利ね。ここまでずっと道案内してくれたわ。」
スマホを片手にベビーカーを押す母の姿を想像して、笑ってしまった。
今から胸がなくなるのに、笑えるんだ。
胸がなくても、構わない。胸がなくても、私は笑えるほど、幸せなんだ。
手術室に向かう途中で、ふたつ並んだ指輪にキスをした。
大丈夫。何も心配いらない。上手くいく。
目が覚めた時には、もう陽はいなかった。
離れるのを嫌がる陽を私に見せたくなかったから、と怜が言った。
少し寂しかったけど、怜がいてくれる。
それだけで十分だった。
「いかがですか。」
手術をしてくれた医師が部屋に来てくれた。
「がんはきれいに取れましたよ。痛みはありませんか?」
「まだ麻酔が効いてるみたいで。」
「痛みがひどいようなら言ってください。」
「はい。」
「乳房も左とほぼ同じように再建してあります。左と同じようにきれいな乳房になりましたよ。」
「ありがとうございます。」
「明後日からリハビリを始めます。問題なければ、退院は1週間後ですね。それと、今回は、抗がん剤治療と放射線治療を行います。今後の治療について、退院までにまた詳しく説明します。」
「よろしくお願いします。」
「精神的にも辛いことが多い病気なので、ご主人はそばで支えてしっかりあげてください。」
「はい。わかりました。」
「後1週間だって。」
「先生に聞こえるよ。」
医師がいるときはすごい緊張してたのに、出ていった途端、怜は大声を出して喜んだ。
「聞こえたってかまわないよ。」
「もう。でも、よかった。」
「うん、手術は成功したんだよね。」
「ありがとう。ずっといてくれて。」
「手術室の前で待ってる時、玲の身体が切られてるって思っただけで気を失いそうになったけどね。」
「私、大丈夫でしょ?」
「うん、俺の好きな玲だ。」
「手術の前に指輪にキスしたおかげかな。」
「早速、効果あったんだ。」
「なんだか落ち着いた。」
「じゃ、もうひとつプレゼントするよ。」
「いい、もういい。そんなことしてたら、私の手、指輪だらけになっちゃうじゃない。」
「そしたら、今度は何がいいかなぁ。」
「私、旅行に行きたい。元気になったら3人で。」
「いいね。まだ陽と旅行したことないし。」
「海がいいなぁ。」
「行こう。絶対、行こう。」
「私、治療、頑張るから。約束だよ。」
術後も問題はなく、リハビリも順調に進み、予定通り1週間後に退院できた。
季節は、もう初夏。6月の風は、湿気を含み、少し生ぬるかった。
迎えに来てくれた母と一緒に家に帰って来た。
陽は?と聞いたら家でお留守番、と言う。
怜が帰ってるんだ。だったら、どうして怜じゃなくて母が来たのだろう。
家には3つ、サプライズが待っていた。
ひとつ目のサプライズは父。
陽を膝の上に乗せながら、少し照れながら、でもいつものように落ち着いた声で、おかえり、と言ってくれた。
「お父さん。」
「よく頑張ったな。」
「ありがとう。ごめんね、お母さん取っちゃって。」
「心配するな。ひとり暮らしもいいもんだよ。」
「お母さん、今日までありがとう。」
「何言ってんのよ。これからの治療が大変なんでしょ。」
退院する2日前に医師からこれからの説明を受けた。
今のところ、他の臓器の転移は見られなかったこと。
3週間後から抗がん剤治療を開始すること。
3週間のクールで6回の治療予定だと言うこと。
抗がん剤治療の後に放射線治療が始まること。
抗がん剤治療も放射線治療も通院でできるということ。
そして、抗がん剤治療が始まれば、脱毛してしまうこと。
「通院で済むと言っても、時間はかかるだろうし、しんどくなるとかだってあるんでしょう。それに。」
「毛が抜けちゃうもんね。」
「そんな身体で家事をして、怜くんと陽の面倒なんて見れないじゃない。」
「怜だって助けてくれるし。」
「怜くんに頼まれたのよ。できればいて欲しいって。」
「怜が?」
「玲、みんながお前のことを心配してるんだ。今は、みんなの気持ちを大切にしたらいいんじゃないか。」
「お父さん。」
「お母さんだってそばにいたいんだよ。大変な思いをしている玲をひとりにできるわけないだろう。」
「わかった。そうしてもらう。お母さん、もうちょっとだけお願いするね。」
ふたつ目のサプライズは、アメリカの両親からのプレゼントだった。
箱を開けると、四つ葉のクローバーのペンダントだった。
一緒に入ってあった手紙には、お義父さんの字で、
『四つ葉のクローバーの葉の一枚一枚には富、名声、愛情、健康の意味があり、四枚が揃うと真の愛になる、病気に負けることなく、真の愛を手にして欲しい』と書いてあった。
そして、ペンダントを選んでくれたであろうジェシーの手紙には、
『可愛い娘が辛い時にそばにいれなくて残念でたまらない。でも、玲なら大丈夫。きっと元気になってまた会えると信じている。ラッキーリーフが私たちの大切な玲を守ってくれますように、毎日祈っているから。』と。
怜がどういう風に伝えたのかは知らないけど、お義父さんもジェシーも私のことを心から心配してくれているがわかった。
今度は、陽と3人で、アメリカに行くから待っていて欲しい、と返事を書こう。
ペンダントを付ける。
遠いアメリカにいる2人の思いが、胸を熱くした。
三つ目のサプライズは、なんと、車だった。
お父さんから急に、外に出ようと言われ、付いて行った先が、地下の駐車場だった。
こんなところに何があるの?と聞くと
返事の代わりドアロックが外れる音がした。
返事をしたのは、丸味を帯びた真っ赤なボディの車だった。
「どうしたの?この車。」
「怜くんと父さんからのプレゼントだ。」
「なんで?」
「電車で病院に行くことも大変だからな。」
「でも、タクシーだってあるし。」
「辛くなるだろ。」
そうか。抜けるのは髪の毛だけじゃないんだ。
眉毛もまつ毛も全部抜けてしまうんだ。
「お母さんが送り迎えしてあげるからね。」
「お母さんが運転上手なのは知ってるけど、わざわざ車を買うなんて。」
「怜くんと相談した結果だ。」
「入院とかでお金いっぱいかかってるのに。」
「それでも玲のことを一番ベストな状態で過ごせてあげたい、と言うから父さんも応援したんだ。」
「そんな。」
「娘のために父さんができるとこなんて知れてるからな。」
「ありがとう。本当にありがとう。」
「礼は怜くんに言うんだな。」
その日の夜は、帰って来た怜と5人で、久しぶりに母の手料理を味わった。
母の手料理は、懐かしくてとびっきり優しい味がした。




