第14部
ー無償の愛をー
検査の結果、進行性のがんと診断された。
早急に手術をしなければいけないらしい。
切除は全摘。つまり残っていた右の胸もなくなるということだ。
そして前回と違うのは、手術後に化学療法が必要だということ。
前よりも、悪いのかもしれない。
今度は胸だけではすまないかもしれない。
心が折れそうになる。
だめだ、だめだ。
強くなるって、戦うって、頑張るんだって決めたのに。
こんなとこで立ち止まらないんだから。
手術は、10日後に決まった。
怜のアルバム制作は大詰めを迎えている。
こうして病院に付いて来てくれるけど、本当ならスタジオにいなければならないはず。
いいアルバムを作るために、たくさんのスタッフに支えてもらっている。少しの時間だって無駄にできないのに。
それに陽もいる。
母に電話しないと。
気が重い。また親不孝をしてしまう。
私は何度親を泣かせるのだろうか。
勝手ばかりしてきた。心配ばかりかけてきた。
だけどいつも、最後には笑顔で背中を押してくれた。
そんな親にまた私は苦労をかけなければならない。
来てくれるだろうか。長い期間になる。父親をひとりにして、大丈夫だろうか。
「お母さんに伝えるわ。」
「そうだね。ちゃんと言わないとね。」
「こっちに来てってお願いするつもり。」
「でも、お父さんもいるのに。」
「怜ひとりじゃ無理よ。」
「それは俺も考えてた。」
「陽のお世話をしてもらわなきゃ。」
「誰かに仕事として来てもらうことはできない?」
「退院してからも治療があるし。来てもらうの、反対?」
「一番いいと思う。お母さんなら安心して陽を任せられるから。それに玲も心強いだろうし。」
「家で泊まってもらうことになるけど。」
「全然大丈夫だけど、反対にお母さんが気を使わないか?」
「あの母よ。陽と怜の面倒みれて、多分うれしいんじゃないかな。」
「心配するよ、玲のこと。でも玲のそばにいれるから、遠いところで心配するよりいいかも。」
「じゃ、電話するから。あまりにうるさかったら怜に代わるからね。」
母は電話口で今回は泣き出すことはなかった。その代わり、長い長い重苦しい沈黙があった。母が何か言うのを私は辛抱強く待った。
「入院はいつから?」
「10日後。」
「入院の日に行くから。」
「来てくれる?」
「当たり前じゃない。怜くんと陽の面倒は誰がみるのよ。」
「でもお父さんは?」
「お父さんのことなんか心配しなくていいから。」
「ご飯とかは?」
「自分でさせるから。それくらいできるように調教してきたわよ。」
「調教って、馬じゃあるましい。」
「大変だったんだから。いろいろ家事を覚えてもらうのは。」
「でも馬はかわいそう。」
「いいのよ、私にとってはサラブレッドだから。」
「はいはい、娘にのろけてるわけね。けど今度は放射線とかの治療もあるから長くなりそうだけど。」
「玲が心配してどうするの。お母さんに全部任せて、怜くんと陽のために、ちゃんと治療に専念しなさい。玲が治るまで、そっちにいるから。」
「ありがとう、お母さん。」
「怜くんはいるの?」
「うん。」
「ちょっと代わって。」
電話を切った怜が、泣いてたよ、と言った。
私の電話では泣かなかったのに。
できの悪い娘に気遣いなんていらないのに。
今晩、父に話をしながら、また泣くんだろうな。
ごめんね、お母さん。ありがとう、お母さん。
入院が決まってから、怜は寝る時間を削ってアルバム制作に没頭した。
帰らない日も続き、帰ってくる日も深夜になっていた。
病院で付き添う時間を作るために、スタッフにかなり無理を言ったらしい。
「怜の方が身体壊しちゃうわよ。」
「平気だよ。無理言った分、俺が頑張らないと。」
「お母さんもいるし、そう頻繁に来なくてもいいから。」
「お母さんは陽のお世話してもらうんだから、そんなに苦労かけれないよ。」
「怜にも苦労かけたくない。」
「またそんなこと言う。反対に今は玲のそばにいてあげられなくて悪いと思ってる。」
「私なら大丈夫だから。」
「隠してもわかるよ、玲も寝れてないだろ。」
「そんなことない。ちゃんと寝てるから。」
「辛いよね、玲。」
「本当、大丈夫。陽もいるし、落ち込んでなんていられないんだから。」
「いつでも電話してきていいから。」
「わかった。バンバン電話して仕事の邪魔しちゃお。」
「望むところだ。」
「もう、ちゃんと仕事して。」
「できるだけ早く終わらせるよ。」
怜の言う通りだった。
手術か決まってから、眠れない日が続いていた。
いろんなことを、考えてしまう。
考え出したら止まらなくなるのだ。
怜がいない日は、電灯が消せない。
暗闇の中にいると、恐怖に飲み込まれてしまいそうだった。
陽のお昼寝の時に一緒に少しは寝ているけど、それだけでは睡眠は足りていない。
怜が帰ってきた時には、頑張って元気を出すけどやっぱり見抜かれてしまった。
本当は、怜にもずっとそばにいてほしい。
手を繋いでいてほしい。
眠りに落ちるまで歌を歌ってほしい。
でも、言えない。私のために頑張っている怜にそんなこと言えない。
どうか、入院する前には、この願いが叶いますように、と祈った。
入院の前日、母が大きな荷物を持って部屋に来てくれた。
「玲、大丈夫なの?」
「2回目だよ、もう慣れた。」
「慣れただなんて、言っちゃだめ。」
「わかってる。でもなんでこうなっちゃうのかな。」
「本当にお母さんが代わってあげたいわよ。」
「そんなこと言わないで。」
「そうね。玲なら大丈夫よね。で、陽は?」
「今、お昼寝中。」
「久しぶりだから覚えてくれてるかしら。」
「覚えてるわよ。」
「お父さんも会いたがってたわ。私だけずるいって。」
「治ったらまた大阪に行くわ。友達にも会いたいし。」
「そうね。家でゆっくりすればいいわ。」
「それにしても、その荷物、何?」
「陽と怜くんにお土産持って来たの。」
「そんな気を使わなくてもいいのに。」
「怜くんは忙しいの?」
「うん。でも今日は早く帰って来るって。」
「明日は?」
「明日から4日間お休みにしてくれたの。」
「相変わらず優しいのね。」
「うん。すごく優しい。」
「よかったね、玲。」
「うん、よかった。」
「明日から入院なんだから、今日は2人で食事にでも行ってらっしゃい。」
「怜は4人でって言ってたよ。」
「いいから。またには2人もいいもんよ。」
「ありがとう。じゃ、陽をお願いしょうかな。」
夕方に帰ってきた怜と私は、母に追い立てるように外に出された。
「いってらっしゃい。楽しんできて。」
母には、入院当日に来てもらうことが決まっていたけど、急に入院前日に変更したのは、これが目的だったとわかった。
母親とはそういうものなのかもしれない。
自分のことより、まずは子供のことを考える。
惜しげも無く、自分の命が尽き果てるまで無償の愛を注ぎ続けるのだ。
私は陽に、どれだけの愛を注いであげられるのだろうか。
できるだけ多く、できるだけ深く、できるだけ長く、陽を愛していきたい。
「追い出されちゃったね。」
「ごめんね、家でゆっくりしたかったでしょう?」
「玲と2人でいる方がもっといい。」
「2人だけなんて久しぶりだね。」
「陽には悪いけど、今は玲を独占できる。」
「怜のことおざなりになんてしてないよ。」
「わかってるよ。玲の愛は無限だから。」
「無限の愛なんて、そんな高尚なもの持ってない。」
「持ってるんだよ。玲が気づいてないだけ。」
「そうかなぁ。」
「俺と陽が50%ずつじゃなくて、俺も陽も100%なんだ。」
「怜は数学者?」
「数学は得意だったけとね。でもこれは数学じゃなくて精神論。」
「なんか難しい。」
「難しくなんてないさ。玲の愛は割り算じゃなくて、掛け算なんだ。100%を割るんじゃなくて、100%が人の分だけあるってこと。」
「私が博愛主義者ってこと?」
「違うんだなぁ。簡単に言えばギブ&テイクじゃなくて、ギブ&ギブってこと。」
「テイクを求めちゃいけないの?」
「玲は俺や陽に何かを求めてる?」
「うーん、好きでいてくれたら、それだけでいい。」
「やっぱり玲は俺の理想の女だ。」
「でもね、好きでいてって、かなりのテイクだと思うけど。」
「俺はずっと好きだから、それはテイクじゃないんだ。」
「やっぱり、わかんない。でも、いい。」
「考えるの諦めたな。」
「お互いに好きってことだけわかった。」
「そう。それだけいいんだ。」
「それよりも、明日からは食事制限があるから、今日はとびっきりおいしいもの食べようよ。」
「色気より食い気だな、玲は。」
食事の前に、怜が買い物をしたいと言い出した。
向かったのは、怜が指輪をプレゼントしてくれたお店だった。
ずっと病院にいてあげられないから、玲が俺のことをすぐ思い出せるような物をあげたくて、と怜は左の小指の指輪をプレゼントしてくれた。
「痛くなったり、辛くなったり、寂しくなったらこの指輪にキスして。」
「何の効果があるの?」
「玲を守ってくれるように、願いを込めたから。」
「わかった。そうする。」
「本当は指輪なんかに頼りたくない。全部ほっぽり出して玲のそばにいたいけど、玲、怒るだろ。」
「当たり前でしょ。怜はたくさんの人に支えてもらっているから、歌っていられるんだから。」
「だよな。アルバムができたら、次は玲のための歌を書くよ。だめっていうなよ。今は、玲だけのための歌を作りたいんだ。」
「書いて。すごく聴きたい。」
「待ってて。最高の曲作るから。」
「ねぇ、もう一軒、付き合ってもらってもいい?」
「どこ?」
「携帯を変えたいの。」
「玲のスマホ、最近のじゃなかったっけ?」
「うん、そうなんだけど、ガラケーにしようかなって。」
「何で?」
「調べちゃうから。」
「何を?」
「多分、点滴やお薬の名前がわかれば、どんなものなのかって調べちゃうから。」
「わかりたくないの?」
「お薬の名前や曖昧な情報だけで落ち込んだりするのがいやなの。」
「前もそうだったの?」
「コソコソ調べて、自分の状態を知ろうとしたの。先生の言葉、信じていたのに。なんか卑怯だなって思ったの。」」
「当然のことじゃない?情報社会なんだし。」
「そうなんだけど、今回はしたくないの。醜い自分になりたくないの。」
「玲がそうしたいって言うならそうすればいい。でもガラケー、今も売ってる?」
数は少なかったけど、ガラケーはあった。
その中から私が選んだのは、一番シンプルに作られた機種だった。
機能は電話とメールのみ。
キャッチコピーは、お子様でも安心。
確かに陽のおもちゃになりそうだ。
掌にすっぽり収まるオレンジ色のかわいい携帯がとても気に入ってしまった。
明日からの入院がほんの少し、嫌じゃなくなった。
陽がいないから、いつもは入れない少し高級なレストランで食事を楽しんだ。
周りの席から、reyだ、という小さな声が聞こえたけど、怜は何も気にしない。
変わらない。
怜は以前と何ひとつ、変わらない。
古びた焼き肉屋でも、ソムリエのいるレストランでも、怜はずっと怜だった。
なんだか、それがとてもうれしかった。
帰り道、身体が暖かかった。
熱でも出たのかな、と考えたけど、違うことに気づいた。
左手にふたつ並んだ指輪のせいだ。
身体だけじゃなくて、心まで暖かかったから。
無償の愛は、私なんかではなく、怜が持っているものだと、わかった。
怜の優しさこそ、無償の愛なんだ。




