第13部
ー3人の想いー
「先生、何かの間違いじゃないですか?」
医師の話を聞いて、怜が声を荒げた。
怜に抱かれていた陽が、今までに聞いたことのない怜の声に一瞬固まり、泣き出してしまった。
「すみません、先生。」
陽をあやしながら、怜が言った。
「いいですよ。お気持ちはわかります。で、今回のがんですが、細胞の検査をしないとはっきりとはわかりませんが、再発ではなく、新たにできたものの可能性が高いと思います。」
「先生、玲は治るんですよね。」
「がんの種類にもよりますが、切除は可能だと思います。」
まただ。
またがんが私のところにやって来てしまった。
先生の告知を聞いても、私は驚かなかった。
しこりを見つけてから、なんとなく、多分がんだと考えていた。
怜と医師の会話を冷めた感情で聞いている私がいた。
「細胞検査の結果が来週には出るので、それから治療方針を決めていきましょう。」
「先生、玲を治してください。お願いします。」
3人で、病院の外に出た。
怜は、私の手を強く握りしめている。
冷静だった心が、怜の手の温かさで溶けていく。
それと同時に、感情があふれ出す。
でも、言葉が見つからない。
叫びたいのに声が出ない。
泣きたいのに涙が出ない。
何かにこの思いをぶつけたいのにぶつける相手がわからない。
また傷つかなければならない。
胸が両方ともなくなるかもしれない。
もしかして今度は‥‥
嫌だ、嫌だ、考えたくない。
怜が、どこかで食事して帰ろうか、と言ってくれたけど、くびを横に振った。
どうにかなってしまう前に、家に帰りたかった。
家までの帰り道の記憶が全くなかった。
電車に乗ったのか、タクシーだったのか、それすら覚えていない。
気がついたら、自宅のソファに座り込んでいた。
「玲、泣いてもいいんだよ。」
怜がソファに座り込んで動けない私の肩を優しく抱いてくれた。
「ごめんね。こんな身体で。」
「ごめんって言うな。もう2度とごめんって言うな。」
「私なんかと結婚しない方がよかったのに。」
「何言ってんだよ。」
「健康な人の方が、怜は幸せになれたのに。」
「玲、本当、怒るよ。知ってるだろ、俺がどれだけ玲のことを愛してるか。」
「だって、心配かけて、迷惑かけてばかりで。」
「夫が妻を心配するのは当然の事だ。それに玲は俺に迷惑なんて一切かけてない。」
「私が病気じゃなかったら‥‥。」
「玲は玲だ。何があっても、俺の愛してる玲に変わりないから。」
「怖い。怖いよ。」
「俺がついてるからから。」
「私、どうなるの?」
「どうもならない。ずっとそのままだよ。」
「そんなことない。このままでいられるはずない。」
「玲は負けない。」
「私だって病気になんか負けたくない。でも、2回もなんてひどすぎる。」
「そうだ、神様はひどすぎる。こんなに玲を苦しめるなんて、ひどすぎる。」
「私が何かした?神様を怒らせるようなこと、した?怜、私が悪いの?」
「玲は何も悪いことなんかしてない。」
「だったらどうして?なんで?」
怜の胸の中で、涙が溢れた。
泣いてもどうにもならないけど、そんな事はもうとっくに知っているけど、涙はとめどなく溢れた。
もう何度、怜のこの胸で涙を流しただろう。
怜はいつも何も言わず私の気がすむまで抱いてくれる。
怜は強い。まだ高校生の頃から、怜は強かった。
そして私は弱い。7歳も年上なのに怜よりずっと弱い。
怜のこの胸はそれを教えてくれる。
私も強くならなきゃ。
でも、どうしたら強くなれるの?
どうしたら、この病気に立ち向かうことができるんだろう。
強くなる方法が、戦う手段が、わからない。
隣の部屋から、陽の声が聞こえてきた。
今日は朝から私と怜のいつもとは違う様子に陽も何か気づいていたのかもしれない。
お昼寝の時間がいつもより長かった。
怜が陽を抱っこして戻ってきた。
小さな手を私の方に伸ばし、私に話しかける。
「ママ、大好きだよ。」
そう聞こえた。言葉にならない陽の声だけど、確かにそう聞こえた。
手で涙を拭い、陽を抱きしめた。
「陽、大好きよ。ママ、頑張るからね。病気になんか負けないからね。」
自然と出た言葉に、自分で驚いた。
陽の笑顔が、私を奮い立たせてくれたんだ。
私、まだ頑張れる。もう一度、頑張れる。
戦うんだ。負けるもんか。
怜と陽のそばに、ずっと、ずっといたいから。
もう泣かないから。
怜に心配かけない。
陽を不安にさせない。
涙は病気を克服した時にとっておこう。
悲しい涙じゃなく、うれしい涙にしたい。
絶対に、そうする。
窓の外に目をやると、真っ青な空が広がっていた。
時間は止まらないし、戻らない。
進むだけしかないのなら、その1分、1秒を大切にしていこう。
怜と陽とのこの時を。この普通の日常を。
「怜、散歩行こう。」
「散歩?」
「3人で歩きたい。」
「大丈夫?」
「うん、もう大丈夫。見て、青空。」
「本当だ。さっきまで今にも泣き出しそうな空だったのに。」
「家の中にいるのがもったいないみたい。」
「じゃ、行こう。でも、しんどくなったらすぐに言うんだよ。」
「ありがとう、怜。」
怜の歌を初めて聞いたあの公園まで、ベビーカーを押しながら、ゆっくり時間をかけて歩いた。
「ねえ、怜。」
「何?どうした?」
「1週間後にどんな結果が出ても、私、戦っていくね。」
「俺も一緒に戦うよ。玲はひとりじゃない。」
「怜の腕の中は、私を慰めてくれる特等席なんだって気づいた。」
「今更?遅過ぎだよ。」
「だよね。もう何回もお世話になってるのにね。」
「本当。その度にシャツがびしょ濡れになって風邪ひいてるんだから。」
「そこまでひどい?」
「うん、ひどい。」
「それ、言い過ぎだよ。」
「でもいいんだ。俺の腕の中は玲だけのものだから。」
「怜、大好き。」
「俺も。初めて会った時から、今も、これからもずっと好きだから。」
夜は誰もいない公園だけど、太陽の陽のさす午後はさすがに人がたくさんいた。
私たちと同じようにベビーカーを押す家族、ベンチに腰掛け読書を楽しんでいる人、完璧なフォームで走るランナー、楽しそうな声を上げて駆けていく子供たち。
みんな、今という時を過ごしている。
そして明日も明後日も、今日も同じように日々を過ごしていくんだ。
今日は特別の日じゃないことを、今日は昨日の延長線でその線は明日に繋がっていることを公園にいる人たちから教えてもらった。
空いているベンチに座り、来る途中で買った缶コーヒーを2人で飲んだ。
陽はストローのついたりんごジュースを半分だけ飲み、もう小さなおもちゃに夢中になっている。
「さすがにお昼は歌えないね。」
「歌えるさ。玲のためならどんなとこでも歌うよ。」
「そう言えば、最初の入院の時も怜の歌に励まされたっけ。」
「でもその時はまだ会えてなかったよ。」
「怜がここで歌ってくれた歌、覚えてる?」
「もちろん。」
「原曲に怜の声を合わせて聴いていたの。」
「その時会えてたら何回でも歌ってあげられたのに。」
「でも今度は、本当の怜の歌が私に力を与えてくれるんだよね。」
「もし手術することになったら、手術中でもうたうから。」
「それは先生に怒られるよ。それに、手術中は麻酔してるから聴こえないし。」
「そっか。でも、本当に玲が俺の歌を聴きたくなったらいつでも歌うからね。」
おもちゃに飽きてきた陽が、私と怜に話しかけてきた。
「ほら、陽も俺の歌を聴きたいってさ。」
「そうだね。陽も怜の歌、大好きだもんね。」
「陽、歌って欲しいか?」
「だめ、今はだめだって。みんなにバレるから。」
「別にバレてもいいのに。」
「みんなの邪魔しちゃうでしょう。」
「そっか。歌いたかったのに、残念。」
「じゃ、家に帰ってからいっぱい歌って。リクエストするから。」
「OK。3人の家に帰ろう。」
少し暮れはじめた街の景色を見ながら、来た時と同じように、ゆっくり歩いて家路についた。




