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彼方へ  作者: 原 恵
11/28

第11部

ーふたりにひとりー


怜と出会って5年が経った。


予定通り、クリスマスイブに入籍を済ませた。


怜は、担当している事務所のスタッフに、ハワイに出発する直前まで、絶対に婚姻届の提出を忘れないように、と何度も何度も連絡を入れていた。

スタッフの人は、多分携帯の電源を落としたかったに違いない。

そんなスタッフの人には悪いけど、そんな怜の姿を見て、私は世界一の幸せ者だと思った。



ハワイでの結婚式も無事に終わった。

出席者は、私の両親と怜の両親、そしてユウだけの本当にシンプルな式だったけど、そこには、ハワイの気候に負けないくらいの暖かさと、ハワイの人たちに負けないくらいのとびきりの笑顔があった。


ありがとう、怜。

ずっとそばにいるからね、怜。

幸せになろうね、怜。


心の中で言ったはずの言葉に、怜が何も言わず頷き、私の大好きな笑顔を浮かべた。



6年目からは、恋人ではなく夫婦としての日々が始まる。


一緒に暮らしていたから生活は変わらないけど、戸惑うのは、名字が変わる事だった。

加藤から尾藤に。

一文字しか変わらないけど、やっぱり加藤玲でなくなるのは、少し寂しかった。


でも、私が尾藤玲になると、怜と呼び名が全く一緒になった。


ビトウ レイ。

面白い、と怜は笑うけど、やっぱり変だ。

漢字だって似ている。

絶対、何かで間違いが起こりそうだ。

ただ、世間的には怜はreyで、尾藤という名字はあまり知られていないから、どこかで尾藤玲と呼ばれても周りの人が振り返る事も少ないだろうけど。



そしてもう一つ。

玲さん、はやめてと怜にお願いした。

私が呼び捨てで、怜がさん付けなんて、私が姉さん女房だと宣言しているようなものだ。


ハニー。怜が提案したけど、断った。

ハニー以外で考えて、と言ったら、ベイビー、ジュリエット、シュガーと日本で呼ばれたら恥ずかしい言葉を並べる。


わかった、もう呼び捨てでいい。

なんか芸ないな、と怜は言うけど、ジュリエットよりはずっとマシだ。

これからは玲だからね、と念を押す。


おなじ呼名の夫婦がいたって構わないよね。

これも2人らしくていいかな、って思った。



4月は怜の誕生日で23歳を迎える。


怜が2枚目のアルバムをリリースして、ツアーに入る前、私の体調に変化があった。

念のため、仕事の帰りに市販の検査薬を買い、自宅で調べてみた。

ピンク色の赤い点がはっきりと出た。


恋愛すら諦めていたのに、結婚して赤ちゃんまでできるなんて、がんになったあの頃は考える事もすらおこがましいと思っていた。


怜に伝えなきゃ。

電話?メール?いや、帰ってくるまで待っていよう。

怜の顔を見て言いたかった。

そして、喜んで欲しかった。


夕食を作らないといけないのに、何も手に付かなかった。

わけもなく椅子に座ったり立ったり、部屋の中を行ったり来たり。

赤ちゃんができることがこんなにうれしいものなんだ、と初めて実感した。



怜が帰って来た。

笑顔の私を見て、何かいい事あった?と聞く。


「怜、驚かないでね。」

「何?気になるから早く言ってよ。」

「あのね、赤ちゃんができたみたい。」

「本当?玲、本当に?」

「さっき調べたの。」

「やったね、玲、赤ちゃんだ。」

「でも、病院に行ったわけじゃないから。」

「絶対、赤ちゃんできてるよ。俺、頑張ったもん。」

「ばか。明日、病院に行くわ。」

「俺もついて行くよ。」

「仕事は?」

「そんなのどうでもいい。」

「だめよ。赤ちゃんのためにもちゃんと仕事しなきゃ。」

「本当、大丈夫だって。明日は午後からリハだから。」

「じゃ、一緒に行ってくれる?」

「もちろんさ。ああ、でも本当にうれしいよ。ありがとう、玲。」

「だからまだ早いって。」



翌日、大阪の医師が紹介してくれた総合病院の産科で受診した。


診察室の前にはたくさんの妊婦さんが待っていた。

予約ができなかったから、かなり待たないといけない。


今日は怜に帽子と眼鏡を付けさせた。

いくら結婚しているからといっても、男というだけでも目立つのに、reyがいるとなったらちょっとしたパニックにならないとも限らない。

できるだけ下を向いていて、大きな声では話さないで、とお願いした。



診察室で怜と一緒に話を聞いた。

医師がエコーの写真を見せてくれた。


「おめでとうございます。今、10週ですね。ここに胎児がいるのわかりますか?」

「わかります。」

「6cmですね、大体。」

「さっき心音を聞いたでしょう。元気に育っています。」

「先生、本当に赤ちゃんなんですね。」

「そうですよ。予定日は、11月22日、いい夫婦の日ですね。」

「玲の誕生日の1日前だね。」

「初産だから、予定日通りに出産できるとも限らないから、もしかしたら誕生日が重なるかもしれませんね。」

「22日でも23日でもどっちでもいいです。元気な赤ちゃんが生まれてくれたら、それだけで幸せです。」

「これからつわりがきつくなるかもしれませんが、赤ちゃんのために無理して食べようとは思わないで、食べれる時に少しずつ食事する事を心掛けて下さい。」

「はい。でもまだつわりはないみたいです。」

「個人差もありますからね。ないならないに越したことはないですが、体調管理もしっかりするようにして下さい。」

「そう言えば、この頃よくお腹が空くんです。」

「体重管理も必要な事ですよ。」

「はい。気をつけます。」

「それはそうと、乳がんを2年前にされてるんですよね。それも追い追い診ていきましょう。」

「乳がんの検診については、この病院の秋本先生を大阪の先生から紹介してもらってるんです。」

「そうですか。では、秋本の方にも伝えておきましょう。」

「それと、ご主人は歌手をされているとか。」

「はい。」

「看護師から聞いたところでは、かなり有名な方らしいですね。私はあまり音楽を聴かないもので情報不足なんですが。」

「それほどでもないです。」

「先生、reyさんって、すごい人気なんですよ。」

医師の横にいた看護師の人がフォローする。

「今日みたいに診察室の前で待たれるのも、有名人の方にとっては大変だと思うので、これからは一番最後の診察にした方がいいと思いますが。」

「はい。お気遣いありがとうございます。」

「では、今後は1ヶ月ごとの検診になります。何かあれば、いつでも構わないので、連絡下さい。」



病院を出た途端、怜が抱きしめてきた。


「6cmだって。玲の中に6cmの赤ちゃんがいるんだって。」

「わかったから、もう離して。みんな見てるし。」

「全然構わない。だってこんなにうれしい事、今までなかった。」

「私だってうれしいよ。赤ちゃんできるなんて思ってもなかったし。」

「できたんだよ。俺と玲の赤ちゃん。」

「11月22日だって。」

「みんなに報告しないと。」

「そうね。みんな喜んでくれるよね。」

「もちろん。アメリカでパーティするよ、きっと。」



赤ちゃんは順調にお腹の中で育っていた。

忙しいツアーの合間に寝る時間を削って、怜は帰って来た。


お腹を撫で、その日にあった事を話し、赤ちゃんに向かって歌を歌う事が怜の一番の楽しみだった。


『早く出ておいで

パパとママが首を長くして待ってるから

君のかわいい顔を見せておくれ

君の声を聞かせておくれ


でも急いじゃだめだよ

あわてなくていいからね


君が太陽の眩い光を見たくなる日まで

君が心地よい風を感じたくなる日まで

君がパパとママの顔を知りたくなった日

まで


待ってるから

君に会う準備をして

君を大切にするよ


ちゃんと待ってるから

何も心配はいらない

君を幸せにするよ』


怜が作ってくれた、赤ちゃんのためのこの歌を耳にタコができるほど聞いている。

その上、俺がいない時でも聴かせてあげて、と携帯でもすぐに聞けるように設定してくれていた。


クラッシックが胎教にいいと聞いたけど、怜の作った歌の方が、私たちの赤ちゃんの胎教には一番いいと怜は言う。

もちろん私も、怜の歌う声が一番だと思うけど、怜のいない時には好きな洋楽を聴いている。

赤ちゃんが、飽きないように、と言い訳しながら。



アメリカでユウと遊んでいる時にも思ったけど、怜は子供が大好きだ。

それが自分の子供となると、本当に目の中に入れてしまうんじゃないかな、なんて少し心配してしまう。


もちろん、怜は私の事もいつも気にかけてくれている。


「安定期に入るまで、あんまり無理しちゃいけないからね。」

「そんな今から安静になんてしてられないって。」

「けど、無理はいけないって書いてある。」

「普段から無理してないし。仕事もデスクワークだから。」

「これから仕事どうする?」

「どうしょうか。まだ考えてないけど、産休なんてできるのかな。」

「俺としては、辞めて欲しい。」

「怜。」

「男として、玲と赤ちゃんを守っていくだけの自信も収入もあるから。」

「わかってるよ、怜。」

「赤ちゃんが生まれて、仕事がしたくなったら、また働けばいい。」

「そうだね。私1人の身体じゃないんだもんね。」

「俺と赤ちゃんと3人の身体なんだから。」

「考える。どうするか考えるから、ちょっと待ってて。」



仕事をしながら、家事をしながら、色々考えた。


私から仕事を取ってしまったら、どうなるのだろうか。


仕事は大好きだ。病気の後も、仕事の事を考えたから、早く復帰したかったから、治療の長引く手術方法を選択しなかった。


仕事がなかったら、今の自分は絶対になかった。

何度も挫折から救ってくれたのは、怜の存在と仕事だった。


赤ちゃんが生まれたら、当分はてんてこ舞いだろうけど、育児がひと段落してから、また仕事ができるのだろうか。


実家から母が通える距離ではない。

赤ちゃんが病気をしたら、そばについていてあげたい。


今の仕事に戻るのは、雑誌の編集の仕事を続けて行くのは、やっぱり無理だ。


だとしたら、私は一生、主婦で、お母さんなのだろうか。


専業主婦だって大変な事は知っている。

家庭を守って行くだけの覚悟がいる。


私は怜に甘えているのかもしれない。


怜は会社勤めではないから、休日だって決まっていない。

怜のせっかくの休みの日に私がいない事も少なくない。

怜は何も文句も言わず、夕食を作ったり、掃除をしたりしてくれている。


私といえば、仕事が遅くなった日は、出来合い物を食卓に並べるし、栄養なんか見て見ないふりをすることも多々ある。

身体が資本のミュージシャンが夫なのに。


考えれば考えるほど、ベクトルは仕事を辞める方にしか動かない。


仕事を辞める覚悟ができたのは、1週間後だった。


「怜、仕事辞めることにした。」

「いいの?」

「怜も辞めて欲しいんだよね。」

「でも、玲がどうしても、っていうなら無理強いはしない。」

「決めたの。3人で幸せになるために。」

「仕事してる玲も大好きだったよ。本当にかっこよかった。」

「もう、決心が鈍るような事、言わないでよ。」

「俺のため、っていうならもう一度考えてもいいんだよ。」

「違う。もちろん怜の事を考えてるけど、私だってもっと怜と一緒にいたいから。お休みの日には、怜と赤ちゃんと一緒に過ごしたいの。」

「ありがとう、玲。」

「こっちこそありがとう。今まで文句も言わずに仕事を続けさせてくれて。」



妊娠8ヶ月まで、仕事を続けた。

退社の時には、社内の人達が送別会を開いてくれた。

会の終盤には、仕事を終えた怜が飛び入りで参加した事してくれた。

何人かは怜と仕事をした人もいるけど、大半の人が怜と初対面という事で、大いに盛り上がった。


編集長と話をしている怜の横で、私は周りから羨望の眼差しを浴びていた。


「本当にreyが旦那だったんだ。いいなぁ。

「信用してなかったんですか?」

「本当だとわかっていたけど、実際に2人が一緒のところを見ると、やっぱり驚くよ。」

「玲さん、羨ましいな。」

「本当、こんな素敵な旦那さまなんて羨ましすぎる。」

「普段は普通の旦那さまで、何も変わった事なんてないから。」

「いやいや、いつも仕事してる仲間が雑誌に載っている有名人と結婚してるんだぜ。これって、普通じゃないから。」

「赤ちゃんが生まれたら、うちで独占取材させてくれよ。」

「うちは女性週刊誌じゃないんだから、そんなの記事になんないでしょう。」

「でも、うちの取材を優先してくれるのは玲さんがいるからでしょう?」

「違うって。音楽に対してしっかりした記事書いてくれる、って言ってたよ。」

「じゃ、これからもどんどん取材できるよね。」

「当たり前ですよ。反対にこれからもreyの事、よろしくお願いしますね。」

「もう立派な奥さんだな。」

「違うよ、玲は立派なお母さんだよ。」

「reyがパパなんていいなぁー。赤ちゃんですら羨ましい。」



11月23日、予定日より1日遅れて、赤ちゃんと出会えた。

私と同じ誕生日の、元気な、大きな瞳の、男の子だった。
















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