その男、DV野郎につき
「部屋に戻って、電話でも掛けてたって言いたいんだろう。あいにく、僕はあんた達に興味はない。あんた達のことは忘れて、窓の外を見ていた。遠くで稲光がしていたよ。雲が一瞬照らし出されるけれど、音は聞こえなかった。見ているうちにあんた達のことを思い出して、夢じゃなかったのかと、一応確認に降りて来たんだ」
僕は、話している内にうんざりした気分も忘れて、幻でも見るように二人の男女を眺めた。
女は、オズオズした手付きで、男の身体を拭いている。男は、タオルが頬に触れた途端、邪険に女の腕を振り払い、悪態を吐く。
「全く、イカれた野郎だぜ」
女は恐縮したように、手を引っ込めた。
まるで腫れ物にでも触るような、女の男への態度も不愉快ならば、女を無礙に扱う男の態度も不愉快だ。僕は顔をしかめると、吐き捨てる。
「うるさいな。早く死んだら。そっちの人だけなら、匿まってもいいよ。後のことは、僕が面倒見るからさ。さっさと死んでよ。どっちみち、それだけの出血があったら助からないだろう」
男は、一言では表せないような複雑な表情をする。
怒り、憎しみ、屈辱。中には、悲しみに似た感情もあったかも知れない。
「そうだよな。普通はな」
そう言った後で男は、ふてぶてしい顔で笑った。僕を挑発するように、
「あいにくだがな。俺は死なないよ」
僕は小さく肩を竦めると、思ったことをそのまま口にする。
「そう言う奴に限って早死にするんだ。粋がってて。無茶やって」
男の気持ちを虞ってやる義理もないが、怪我をした身体を労ってやるつもりも僕にはなかった。
男は、なぜか僕の言葉を聞くと、馬鹿笑いをした。僕は、男が笑う理由が理解出来ずに、ただ男をジッと見つめた。
女は腹の傷に響かないか、オロオロした様子をしている。男は喉をゼイゼイ言わせて笑っていたが、その目は少しも笑わずに僕を見ていた。
「お前みたいな奴は、さぞかし長生きするだろうよ。二百年でも三百年でも」
僕は目をぱちくりさせると同時に、少し鼻白んでしまう。
「どうして分かったんだい?」
僕が途惑いながらそう聞くと、男は笑い止めた。顔そのものも、目付きと同じで険悪なものになる。
「はっ、何か? お前は自分が神だとでも言うか、こいつは完全にイカれてやがるよ」
男の揶揄を受け、僕はムッとなる。
「別に、僕は、そう言う意味で」
僕はモゴモゴと言い訳するが、男はそれを手を振って遮った。
「ああ、放っとこ、放っとこ。こいつじゃ、馬鹿げたことも、みんな当り前のことになっちまうだろうよ。自分は神で、天罰も与えられれば、天の恵みでも与えられるんだろう。何なら、神罰ってヤツを当てて見せてくれよ」
僕は、鼻の頭に皴を寄せる。こう言うからかい方は、されたくない。
「本当にうるさいね。僕は確かに頭はおかしいが、頭が悪い訳じゃない。不愉快だから、あんた達の引き取り手を探してやろうか。警察に言ったらいいのか。人でも殺して逃げてるのか?」
僕は二人の側まで歩み寄ると、男を冷ややかに見下ろした。男は嘲笑的に、ハンと鼻を鳴らす。男は僕を脅すつもりか、
「殺した人間の数なんて覚えちゃいないが、百じゃ利かないだろう」
僕は、海水か血の臭いか、生臭い臭いを出来る限り嗅がないようにして、顔をしかめたまま、
「殺せるものなら僕を殺せばいい。殺されても別に構わないけれど、その怪我でどうやって僕を殺す?」と、聞く。
次の瞬間、男は僕の足首を掴み、僕は床に引きずり倒されていた。
それにあわせて、女はうわずった悲鳴を上げる。
僕は両腕と尻を床に着いて、態勢じょう男を見上げた。男は僕の足首を握り締めたまま、
「お前みたいな細っこいガキ一人殺すぐらい、怪我してようと寝たままだろうと簡単に出来る」と、言った。
僕は倒れた姿勢のまま、女の方に視線を移す。女は、済みません済みませんと何度も謝罪し、顔を歪めて「大丈夫ですか?」と僕に聞く。