男と女
男は僕をチラリと見ただけで、不快そうに顔を逸らしてしまう。僕は、顔を上げた女に向かって、喋り掛けた。
「お金はあるから要らないよ。礼も要らない。掃除は、当然してもらう。あとは、いたかったら好きなだけいればいい。出て行きたい人のことなんか知らないけど、疲れ切って動けないと言う人を放り出す気はない。放り出すだけ面倒だ。君達の勝手にすればいい。出て行くなり残るなりね」
僕は男を見て、意地悪く笑った。女は、男を見上げて、お願いと頼んだ。男は憎々しげに、チッと舌打ちする。
「歩けるようになったらすぐ出るぞ」
「済みません」
女は、僕とも男とも付かず、どちらにともなく頭を下げた。
僕はきびすを返して、小部屋に戻る代わりに、二階に上がる階段とバスルームに繋がる扉に向かって、歩き出した。
途端に、男が気色ばむ。
「何処に行く」
僕もそれに、男に倣って男を睨み付けた。
「ここは僕の家だ。何処に行こうと僕の勝手だ。別に、救急車も警察も呼ばない。電話があるのはそこだけだ。まだ通じてるのか知らないし、どうせ呼んでも、来ないかも知れない。《父》が手を回してあったら、頭のおかしい僕の悪戯だろうって、初めに釘を刺してるかも知れないから――何てね」
僕は、自分の言葉におかしくなって笑い出す。男は苦々しげに顔を歪めると、再びその場に腰を落とした。
女が介抱しようとするのを、男は振り払っている。
僕は、もうそれには構わずに、二人の訳ありらしい奇妙な男女を残したまま、部屋を後にした。そのまま僕は階段を上がり、二階の自分の寝室に入った。
暗いまま衣装ケースを開けて、中から真新しいタオルを二枚出す。タオル二枚ぐらいでは、追い着かないだろう。
そう思っていた時、カーテンを開けたままの窓の向こう、ずっと遠くで白い光が明滅するのが見えた。僕はタオルを手にしたまま、窓辺に寄る。暫く見ていると、また遠くでほんのりと空が光った。
雷だが、遠過ぎて音は聞こえない。
僕は暫く窓から外を眺めていたが、手にしていたタオルに気付くと、慌てて部屋から出て階下に降りた。 扉を開ける前、一瞬僕は躊躇したものの、躊躇するより先に手はドアノブを掴んで、捻りながら引っ張っている。
「やっぱりいたんだ」
僕は、先ほどと同じ場所に踞る二人を見ると、ついそう言ってしまっていた。男は僕を見るのも嫌らしく、僕を見ないまま女に向かって、
「あいつは気に喰わない。ここから早く出るべきだ」
僕は、すっかり寛いだ笑いを洩らす。
「嫌味を言ったんじゃないよ。夢でも見たんだと思って。幻覚か。それとも、これも幻覚なのかな。嵐の夜に突然現れた訳ありふうの男女。男は、大怪我を負っていて、二人は追われている。まるで、よくある映画やドラマみたいじゃないか」
僕は、二人の一メートル手前で足を止めると、持ってきたタオルを男の身体の上に投げ掛けた。
「ほら。これを、使うといい」
女は、一枚のタオルは男の傷口に押し当てたが、もう一枚で、床に池を作っている水を拭こうとした。僕は目をぱちくりさせると、口を挟む。
「違うよ。あんたの身体を拭くんだよ。拭かないと結局また床が汚れる。雑巾は後で持って来るよ」
女は恐縮した様子で頭を下げる。女のオドオドした目付きと言い、様子と言い、僕を苛立たせるには十分だ。
卑屈な態度は、僕の好きなところではない。女の態度は、奥床しいと言うより卑屈としか言いようがなかった。
男は、別な意味で僕を苛つかせる。僕を睨むのはまぁいい。粗暴な態度は、あまり気にならない。男は僕を睨みながら高圧的に、
「タオルを持って来るだけにしちゃ、遅いじゃないか」
男は、疑り深い性質らしい。言動を見ているだけで、随分捩れた性格をしているのは分かる。ひねくれ者は別に嫌いではない。
嫌なのは、頭ごなしに人を押さえ付けるやり方だ。
僕は、面倒臭く思いながら男に返す。