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藩からの遣い

 明日の天気も良さそうだと見て、弥介は車の手配を七太しちたに頼んだ。暗い内から作業を初めて、さっさと村から離れたい。

 横になれる分の板だけ残し、囲炉裏も潰した。一晩ぐらい、土間で煮炊きすればいいだけだ。

 弥介が藁縄で板を縛っていると、古くから船主の一族である村一の有力者の片岡から、呼び出しが来た。七太が弥介のことを話したのかと、一瞬疑う。


 呼び出される理由の説明もないまま、片岡の屋敷に弥介は出向いた。いつも通り裏木戸から入った弥介は、いつになく片岡の屋敷が、賑々(にぎにぎ)しいことに気付いた。

 破落戸ごろつきと代わらない浪人と違い威儀正しい侍がいて、厩にも何頭もの立派な馬が入れられて、世話をされている。

 村人相手には板の間で対応するのに、その日は片岡は、弥介を畳の間に通した。

 何かあるとは思った弥介だが、片岡の言葉は弥介の頭では考えられないようなものだった。

 座らず立っていたらしい片岡は、入って行った弥介を迎えるように戸口まで近付いて来る。

 一瞬止まって弥介の全身を呆れたように眺めると、片岡は不満げに云った。

「藩主様が、お前に会いたいと仰られておる。咀喪をせぬようにな」

「何だと?」

 弥介は思わず、聞き返してしまう。片岡は溜め息を吐くと、大儀そうに云った。

「御前の側でも、そのような口を利くのではないぞ」

 片岡の言葉など無視して、弥介は聞き直す。

「藩主がここに来てるって云うのか?」

 弥介が胤ではないかと云われているのは、前藩主のことだ。十六、七年ほど前に亡くなって、代替わりしている。

 確認が取れないからこそ、御落胤かも知れないなどと云う風説が立ったりするのだ。

「確かめたき儀があり、お忍びでお出ましになられた」

 片岡は落ち着いて見せているが、片岡自身にも藩主が出向く理由が分からないようだ。弥介などもっと訳が分からない。

「何でオイラに?」

 片岡は自分から話すことはないとばかりに頭を振って、弥介を促してもう一つの戸の方に歩き出す。


 片岡は首を振りながら、どうでも良いことだけは独り言ちるのを止めなかった。

「お急ぎでなければ、風呂を使わせてまともな着物を着せねば、御前の前にお出し出来るようなものではないのだが」

 大工仕事の途中だったので、顔と手を洗って手拭いで上半身を軽く拭ってきたが、場違いな感じは否めない。

 しかし畳の間で、驚いている場合ではなかった。弥介を呼んだ人間は、母家の一番良い部屋に、当然通されていた。藩主は、四十代後半ほど。

 藩主は弥介を見るなり顔を綻ばせて手招きして、

「ほぅ、そちが弥介か。新三右衛門、二人にしてくれ」

 弥介は、ぎこちなく頭を下げる。

 片岡は深々と頭を下げて、障子を閉めた。


 藩主は、近くに寄るように云いながら、弥介の格好に目を止めて、漁に出ていたのかと聞いてくる。

 弥介は、失礼な格好に違いないと思いながら、大工仕事を少しとモゴモゴと云う。藩主は仕事を中断させて済まなかったなと云いながら、更に近くに寄るように示した。

 藩主は、目を細めて弥介を見ながら、

「もう二十か」と、聞いてくる。

 弥介は困惑しながら、はぁと答える。藩主は気にしたふうはなく、弥介の顔を見つめながら口を開いた。

「まことに兄上に似ておる。目元は母親似か」

 弥介は本当に何を云われたのか分からずに、

「何のことだ?」

 顔の雰囲気が村人とは違うとは云われ付けていたが、母親との容貌の類似を指摘されたことは一度もない。

 藩主は弥介の言葉使いを聞き咎めることはなく、真面目な顔で話し出した。

「そちも聞いている筈だ。今から二十一年は前のこと、前藩主である私の兄は腰元の女性に心を注がれ、その女性が子を宿すことがあった。兄の妻女は子が出来ぬ性質で、腰元の懐妊を知ると、腰元に辛く当たるようになってな。妻女の立場もあって、苦言を呈する気持ちも分からぬではないが、その女性も不憫だ。そこで私は、その女性に城を出てこっそり子を産むよう諭し、母子二人で暫く暮らせる金子きんすを用立てた」

 弥介は、使い回しの物語を聞いているような気分になった。しかしその話をしているのは、前藩主の弟なのだ。

 弥介は眩暈のようなものを感じながら、

「なぜあんたが。いえあなたがそんなことをしたんです?」

 自分が腹の子の親だと云うならともかく。藩主は若者の無知を微笑ましがるように、僅かに笑んで見せて、

「兄が動けば、妻との間で余計に話がこじれてしまうからだ」

 弟だと云うが、藩主は小柄でのっぺりした顔をしていて、弥介には似ていない。藩主は弥介の疑問も知らずに、己の話を続けた。

「長年連れ添ったこともあり、子がなくても兄は妻女を慈しんでおられた為、子の出来ぬことを理由に実家に送り返すことも出来なくてな。どうせ養子は必要だったので、女性にょしょうの産んだ子供が気に入れば養子として迎え、女性を乳母にさせることで話が決まったが。落ち着いてから便りを出すようにと云ったが、そのまま音沙汰もなく、女性の行方は分からなくなった。兄は失意が高じて亡くなり、異母弟である私が跡目を継いだ。産褥で見罷ったのか、子供と二人だけで新たに人生を始めたのか確かめる術もなかったが」

 藩主はそこで言葉を切ると、正面から弥介の顔を捉えた。


 弥介が期待すると同時に、信じられそうにない言葉が、藩主の口から出てくる。

「そちこそ兄の子に違いない。その顔が何よりの証拠だ」

 藩主の言葉にも顔にも迷いがない。

 母親が違うなら、前藩主とは似ていなくても当然かも知れない。弥介の方が、騙しているような気分になってしまう。

 弥介は途惑いを隠せずに聞く。

「何でオイラがそうだと云うことになったんです。どこからそんな話が?」

 藩主は真面目な顔を崩さずに、

「全くの偶然だったのだ。この村の者が不思議な女の話をしているのを、城勤めの者が聞き付けて、色々聞き出してきてな」

 おセイの、ことか。

 荷役で町に出れば、呑み代や花代にすぐに化けてしまう。その為に、賃金は先払いになっていた。

 飲み屋では法螺や誇張された自慢話や怪談話が飛び交うが、お清の話は格好の話の材料だったに違いない。

 今まで明るく話していた藩主はそこで、暗憺とした表情になる。藩主は目を伏せて肩を落とすと、悄然とした声を出した。

「実は、私の息子が流行り病に罹かってしまったのだ。元々身体が弱く、医者に薬も医術も通じぬと云われて、病を癒す手立てはないかと、探させていたのだ」

 弥介は、がっかりしたのか何なのか、ああと云う声を出していた。

「その女と暮らしている男が、嵐で沈んだ船から一人だけ生きて戻ったことや、男の母親が二十年前村に現れて名も名乗らずに、子供を残して亡くなったことまで云われていて、それを聞いた私は若しやと思ったのだ。その女が神仏の使いにしても、力のある呪い師にしても、使いを遣るだけで済むが、その男の素性を直に確かめる機会だと思って来てみたのだ。その必要はあった」

 藩主は嬉しそうに目を細め、弥介の手を握ってきた。


 別れ別れになっていた家族と云うより、旦那と陰間のようなものを感じてしまう。

 弥介は、さりげなく手を引きながら、藩主の顔を見ないで云った。

「顔なんてものじゃなく、オイラがその子供だと知れるような手掛かりは、他にないんですか」

 藩主は少し云いにくそうに、

「兄が与えた銀無垢の簪や櫛、私が持たせた産着用の断ち布などがあった筈だが、調べてもとっくに金に替えられた後ではないかな。勿論何も云い残さずに死なれ、そちを育てる為に、金に替えたと云うこともあるだろうが」

 だったら、祟りに怯えることはなかっただろう。

 芝田を問い質したら、藩主の言葉を裏付けるような話が出てくるのだろうか。

弥介は居心地の悪さを感じながら、

「オイラがその子供だと調べてはっきりするまでは、滅多なことは云わない方がいいでしょう。芝田の夫婦が、櫛も簪も知らないと云って、それが真実でもオイラは信じずに、自分こそ胤だと言い張るかも知れない」

 藩主は諭すような表情をして、云う。

「突然お前の親族だと云われても、信じられなくて当然だ。知らないと嘘を吐いて言い張られたぐらいで、私はそちが兄の子ではないとは思わない。いや、兄の子であって欲しいのだよ。私自身が信じたいのだ。例えそちの母の死に立ち会った者が、何も知らぬと云っても、私はそちを家に迎え入れる。そちの顔を見た時に、それは決めていた。兄に似ていると云うこの奇縁は、無視出来ぬことだ」

 弥介は、己に何が起きようとしているのか理解出来なかった。

 藩主は一人だけで話を進める。

「そちには、家と勤めを用意しよう。最初は勝手も分からないだろうから、簡単な仕事の方がいいだろうが、行く行くはそちに石持ちの武士として、私の右腕となって貰いたい。海に出て鍛えたそちの身体なら、兄のように弓も剣も馬も上達するに違いない」

 そこまで楽しげだった藩主は、沈んだ表情に変えると、

「こんなことを云うのは辛いが、息子が助からなくても、そちに家は継がせられる」

 弥介は困って目を伏せる。何を云えばいいのかも分からない。

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