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墓の際の吉爺

 墓のきわこそが、村人の終宴の場であった。

 村から食料を貰って、細々と生きるだけの人達が、墓の際では暮らしている。昔はもう少し墓との距離があったが、死人が出る度に墓を広げるので、その内本当に墓の際に小屋が並ぶようになった。

 村の者は皆、働けるまで働いて、せいぜい人生を楽しみ、身体が動かなくなる前に、海であっさり死にたいと願っている。

 

 吉爺きちじいの小屋は、小屋と云うより、廃家と云った方がいい。

 壁板には全て隙間があり、小屋の反対側の墓まで見える。

 これでは雨風すら防げまいと思うが、吉爺は健在で、囲炉裏の前でつくねんと座っていた。

 開いたままの戸の前に立ち、吉爺を見ると、弥介はなぜか言葉が出なくなった。

 当り前だが、五、六年会わない内に、随分老けていた。

 吉爺があぐらをかいている上に乗せている左足は、膝から先がない。

 倒れた帆柱に足を挟まれて、切断したのだ。古い傷の為に、切断面は肉が盛り上がり拳のようにまぁるくなっている。

 弥介は、吉爺が普通に暮らしていた頃のことは知らない。吉爺に会うのは、その日の食料を届けに行く時だけだった。

 吉爺の姿を今更不憫に思うこともない筈だが、弥介はぎこちなく、

「やぁ、爺さん」と、声を掛けた。

 耄碌して弥介のことも分からないかと思ったが、爺さんは目を見開いて、弥介か?と云った。吉爺は感嘆した様子で、

「顔を見なきゃ、誰か分からねぇぐらい立派になって」

 墓の際の連中は、まだ子供だった弥介が食料を持って行くと喜んでくれた。

 ただでさえ少ない食料を切り詰めて作った干物を、弥介におやつにしろとくれようとしたりする。

 村の者達よりも、優しかったと今では思う。その優しさを、弥介は見ないようにしてきた。

 村にだって、勿論親なし子は他にもいた。

 病気で母親が死んで、父一人子一人だったのが、父親も海で死んで、一人きりになる者もいる。

 しかし村の人間である限り、血縁者が引き取ってくれるものだし、係累まで絶えていたとしても、村の人間の子供として、育てて貰える。

 やはり、村の人間ではなかった女の子供である弥介の扱いは、違った。他の子供にはさせない仕事も、弥介には回された。

 例えば、吉爺達に食料を届けることだ。

 養っている分、せいぜい役に立って貰おうと云う損得感情が、弥介に対しては働いたのだろう。

 その他の親なし子は、村の宝に変わりはないが、村の者ではない弥介はそうではないと云う訳だ。

 弥介には罪はない。だから、吉爺達は弥介を不憫がっていたのだろう。同病相哀れむと云う奴に違いない。

 弥介は子供心にも、墓の際の連中に気に入られるよりは、人の嫌がる仕事でも文句も云わずにやって、少しでも村人に役に立つと思われたがっていた。

 吉爺達と親しくしていると、村人達に追われるかも知れないと、それが弥介は怖かったのだ。

 一人前になると、ようやく村の者として受け入れられ、弥介は食料運びの任からも解かれた。

 自分の生活があり、楽しみも知った弥介は、ここに住む者のことなど思い出しもしなかったし、死者が出て、お清め代欲しさに弔いの為に人足として出る時以外、墓に近付くこともなかった。

 嵐から生還して、一時の熱狂が薄れ、おセイが現れる前は、余計に思い出さないようにしていた。

 芯から嬉しそうにしてくれている吉爺を見ると、弥介は申し訳ないような気分になる。

 まるで、両親がいなくて祖父母に育てられていたのに、少し大きくなるとその恩を忘れて、祖父母を顧みなくなった小倅にでもなったような、気分だった。

 久しぶりに祖父母に会って、祖父母が自分を恨むどころか、自分の成長を喜んでくれていることを知った時のようなものではないだろうか。

 弥介は柄にもなく孝行したいような気分になって笑みを浮かべて、

「顔を見たら分かるか?」と、優しく聞いてやる。

 吉爺は、満面の笑みを浮かべ、欠けた歯も剥き出して、何度も頷いた。

「分かる。分かる。村の男の顔じゃねぇ」

 弥介は、スッと心に風が吹き込んだような気がして、笑みを消すと、

「そのことで聞きたいことがあるんだ」

 吉爺も困惑げな顔になると、

「何ぞ耳に挟んだかいな?」

 と、云って、弥介を伺うようにした。弥介は、

「爺さんなら知っていて、オイラにも話してくれると思ったんだ。生きていてくれて何よりだ」

 吉爺は、再びちょっと笑顔になると、

「食い繋げる食い物があって、身体が弱ったりしない限り、人間はなかなか死なないもんさ」

 土間がない代わりに、床板は処々腐って抜け落ちて、地面が見えていた。

 囲炉裏と云うより、穴の開いた土の上で火を興しているようだ。縄の先に一人用の鍋がぶら下がっている。鍋は舐めたように綺麗だ。

 弥介は、小屋の中には入らず、持って来た袋を吉爺に差し出した。

「話しするのに酒もなくて悪いが、オイラもここんとこ酒にはとんとお目に掛かってねぇんだ。代わりに、一緒に暮らしてる女の郷里きょうりの珍しい食べ物を持って来たんで、味見してやってくれや。袋の中身に水入れて、鍋で煮るだけだから」

 中に足を踏み入れなくても、互いに手を伸ばすだけで物の受け渡しが出来る。吉爺は、複雑な表情をして、弥介から袋を受けとった。

「そりゃ、済まねぇなぁ。何、儂も昔はよぉ呑めた口だが、いま酒なんか口にしたら、その時点であの世行きだ。それにしても、もうかかあまで貰ったか。まぁ、もうそんな年だもんなぁ」

 確かに弥介は、もうそのと云われるほどの年だ。

 弥介の遊び仲間は、もう殆ど身を固めていて、乳呑み子がいる者もいる。娘が若過ぎるとか、喪の関係で、祝言しゅうげんは上げていなくても、決まった相手は皆持っていた。

 働けた頃なら、気ままが一番と、大きなことも云えたが、今は小さくなっているしかない。弥介は、

「いや。オイラは甲斐性無しだから、まだ独りだ。女は、村に住ませてくれってオイラの家に居候してて、その女に食わせて貰ってる始末だ」

 と、答えた。爺さんは、楽しそうに笑う。

「それはそれで、ええ身分でねぇか。本当なら、もっと楽な暮らしが出来てたかも知れねぇんだ。嬶なんて、あれこれ欲しがるばかりで面倒なもんだ。絞りとられるだけ絞りとられて、役に立たなくなったらお払い箱さ。どこの血のお陰か、せっかくの男前の顔だ。利用せにゃ勿体無い。別嬪でも、性悪な女狐に捕まっとらんで良かったってぇもんだ」

 久しぶりに話せる相手が出来て、吉爺が喜んでいるのが分かる。

 喋る相手が出来ると、何でもかでも喋りたい気分になる。初めて会ったお清に、弥介があれこれ喋ったように。

 弥介は吉爺の気持ちが分かるので、そう云うもんかねと、穏やかに返してやる。

 吉爺は、意味もなくそうだそうだと繰り返し、鍋に袋の中身を早速入れた。半分入れたところで吉爺は顔を上げ、一緒に食ってくかと聞いてきた。

 弥介は慌てて、女と一緒に食うからいいと断る。いつ、どう洗っているのか分からない鍋や器で、吉爺と食事をするのは流石に腰が引ける。

 気を悪くさせただろうかと弥介は思うが、吉爺は別に、不快には思わなかったようだ。

 女がいるなら仕方ないよなぁと呟きながら、竿かんを半分だけ割って鍋に入れ、残りの雑穀と半分の竿は、欠けた椀に移した。明日の分にするのだろう。

 吉爺は、弥介が工夫して、竿に塗った味噌の指に付いたのを、ペロペロと舐める。

 味噌を塗って乾かせば、そのまま味噌味の炊き物になる。

 吉爺は、欠けた壷に欠けた椀を浸して鍋に水を汲んだ。

 弥介は思わず、少し水が多くないかと声を掛ける。吉爺は、歯の少ない口を指し示しながら、

「汁気の多い方が、食い易いんだ」と、答える。

 弥介は合点して、ああそうかと答えた。

 

 吉爺は、澳を掻き興し、積み上げてあったそだを細い順にくべた。

 弥介は頃合いを見計らって、爺さんに喋り掛ける。

「その女なんだがな。名前は明かしたくないって云うんで、呼ぶ時不便だから、名前を付けたんだ。おっ母の名前のおキヨを読み換えて、おセイって付けたんだが」

 弥介は、爺さんの顔色の変化を見逃さなかった。吉爺は、明らかにうろたえた顔をする。弥介は、

「そうなのか?」

 吉爺は、弥介から目を逸らしたが、弥介は構わず続けた。

「爺さんは知らないかも知れないが、芝田には娘がいて、これが自分の親父が、オイラの母親のことをおセイと云ったと云うんだ。オイラの母親は、本当はおセイなのか? 爺さんも、それを知ってたってことだよな?」

 吉爺は、暫く黙ったまま、燃え上がる炎を見ていた。弥介がじれてきた頃吉爺は、ようやく重たげに口を開いた。

「単なる噂で、子供の耳を汚しちゃなんねぇし。違っても、どっちも嫌なぁ思いをするだけだし、事実が洩れたら、間違いなく村は、藩にお取り上げされちまう。船主が困るだけならいい。漁師にとっちゃあ、役人が村を治めたって問題ないが、小浜こはまから追い出されたら、他んとこじゃ飢えの心配もある。だから、云わないんだな」

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