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真珠の飾り簪

 おせいに捨てられたかと思って心配していた己が、今となってはおかしかった。

 お清が帰って来なかったのは、金に替えて生活の足しにしようと、あの真珠をとりに行っていたからなのだ。

 手元にあるあれが、全てでもないらしい。


 なぜそんな大切なことを、弥介になど知らせたのだろう。

 真珠のことは黙って、こっそり金に替えてまとまった金を作り、弥介の元を離れてから、少しは余裕のある暮らしを始めても良かったのだ。

 お清が、小浜こはまでの暮らしを分かっていないのはともかく、真珠を金に替えることをすぐには思い付かないほど、生活に疎い。

 

 何よりも、人を疑うことを知らないようだ。

 弥介が、お清を食い物にすると思わないのか。

 今だって十分弥介は、お清に恵まれている。

 金に替える物があると分かれば、余計に当てにするようになって、弥介は荷役にやくにすら付かなくなるかも知れない。

 お清はそんなこと考えもしないのか、例え弥介がお清の得た金で酒を飲んだり、自分の着物を買っても構わないと云うのか。

 なぜ弥介なのかと云う疑問を、お清に向けることはなかったが、その疑問はしこりのように胸に残りそうだった。

 *

 お清が夜鍋して作った真珠の髪飾りは、当たった。

 お清の作った物を弥介が売りに行き、お清が昔見た外国の貴人の付けていた髪飾りに似せて作った物だと云うと、人伝に話が広まって、似せた物ではなくそっくりな物をとか、もっと大きく派手な作りにしてくれとか、注文がくるようになったのだ。

 一度そうやって人気に火が付いてしまうと、止められなくなると云うことを、弥介はお清に云い忘れていた。

 流行りと云うものがあることは知っていたが、何が流行るか分からないし、まさかお清の作った物が、新たな金持ちの女達の流行りになんなんて、弥介は思ってもいなかった。

 

 少し余裕のある村の女達も、こぞって自分用に、お清が作った意匠を真似た髪飾りを付けるようになったほどだ。

 但し、一旦流行って、お清が作った物と認識されると、お清が作った物以外は、紛い物となる。

 お清が作り、弥介が売りに行く物だけが、本物の印と云う了解が生まれていた。

 お清の過去が分からないのも、この場合は役に立った。

 お清の膚の白さや油を塗ったような黒髪や細やかな立ち居振舞も、船主達の女房や娘にとっては好ましく映ったようだ。

 お清は、外国の貴族の船に拾われて、貴族の家で下働きをしていたことがあるのだと、まことしやかに噂されている。

 初めてお清が、その髪飾りを作って見せてくれた時は、弥介も確かに外国の意匠は変わっているなと感じたものだ。

 がしかし、注文がある度に手を替え品を替え作られる物も、どこか見慣れぬ意匠をしているのだった。

 お清は、最近では自分で考えて作るのだと言っているが、異国情緒漂うそれらは、お清が何度となく過去に見ていた物が、映し込まれているようにしか見えない。

 思うままに作って尚、それらしく見えるほど、お清は外国の風俗に通じていると云うのもありそうだ。

 そうして作る度に以前とは違う物が出来るので、一度買った女達も、一つと云わず、また別のをと求めてくることになっている。

 お清は、次から次へと頼まれる注文に応える為に、毎晩夜遅くまで起きている。

 髪飾りが売れるようになったお陰で、日々の食事に米も野菜も上るようになった。

 お清は、遅くまで夜鍋をしても、朝になると必ず海にも出て行き、以前と変わらず半日は家に帰って来ない。

 保存の利く食べ物もあるし、そもそも今なら金を出して買うことも出来る。

 弥介はお清に、毎日海に出なくていいと云うが、お清は絶対に聞き入れない。その内倒れるのではないかと心配だが、やめさせることも出来ない。

 

 お清が出かけた後、弥介は筵を敷いて干物を並べたり、縄に吊し、海鳥や猫に気を付けながら、保存食作りに勤しむ。

 その日の朝も、お清を見送った後、弥介は暇潰しの作業を始めていた。

 その最中に、子供の頃からの遊び仲間だった辰吉が、興奮した様子で弥介の所にやって来た。

 何かと思っていると、辰吉は弥介の前に来て、

「お前の女房、あれは何だ。人間じゃないぞ。おっとろしい」

 弥介は、何を言われたのか咄嗟には分からず、ただ辰吉を見上げた。

「お前の女房は、浜には来てねぇことはみんな知ってる。一体何処で、獲物をとってるのかオイラは気になって、後を着けてみたんだ。そしたらあの女は、磯で着物を脱いで」

 辰吉がそこまで言った途端、弥介は立ち上がって、辰吉の腕を掴んでいた。

「人の女の何を見てやがる。最初から、そのつもりだったんじゃねぇのか」

 辰吉は、虚を突かれたように目をぱちくりさせると、ハンと嘲笑的に鼻を鳴らした。

「あんな厚みのない女」

 弥介は、お清を侮辱されて、咄嗟に辰吉を張り飛ばしていた。

 辰吉は、地面に尻餅を着いた。

 近所で、同じように干物を釣っていた女が、辰吉の様を見て笑いながらからかった。

「自業自得だよ。人の女房に、横恋慕なんかするのが悪いのさ」

 辰吉は、殴られた痛みに顔をしかめながらも、そう言うんじゃねぇと言い返し、身体を起こした。

 古い付き合いで、辰吉とは本気の殴り合いも何度もしているぶん、今の一発など挨拶のようなものだ。

 辰吉も殴られたことには腹を立てずに、弥介に懇願する調子で、

「オイラは別に、そんなことを言いにきたんじゃねぇんだ。その磯ってのが、屏風岩の側で、オイラはてっきり海に身投げすんだと心配したんだろう」

 村の端にある切り立った崖は、屏風岩と呼ばれている。遮る物なく崖に当たる波の余波を受けて、屏風岩辺りの磯は危なくて近付けなかった。

 

 弥介は驚いて、口を噤んだ。辰吉が、こことばかりにまくし立てる。

「船だって、磯に寄せたら、波で岩に叩き付けられるってのに、お前の女房は、魚みてぇにスイスイ泳いで、海草やら貝やら集めて、笊に入れるんだ。あんなこと人間に出来ることじゃねぇよ。きっと、海に棲む化け物なんだ。お前が、いい男だからって岡惚れして、お前にとり入って、生気を吸い取る気に違いねぇ」

 弥介は、辰吉の言ったことを、どう受け止めていいのか分からなかった。

 確かに、あんな所を泳ぐなんて、並みでなくたって人間様には無理だ。

 辰吉が、嘘を吐いているとは思わなかった。嘘を吐くなら、もっとありそうなことを言うだろう。

 辰吉の言ったことは本当だろうが、弥介はわざと軽く受けとる。

「お前は、昔から、祟りだ、天罰だって話が好きだったよなぁ」

 弥介は、ほんの僅かでも、お清を化け物だと疑った自分が嫌だった。

 お清は、村の者とは違って、変わっていることは知っていた。弥介はその事実を、殊更気にしないようにしてきた。

 例え化け物がいたとしても、お清がそんな物だとは思いたくない。

 お清は、本当に良くやってくれているのだ。

 辰吉は、真面目腐った顔で、

「ありゃ本物だ。お前だって、その目で見たら思う筈だぁ」と、言い切った。

 弥介は、お清を化け物になどしたくなかった。

 まがりなりにも日々を暮らしていけているのは、お清のお陰なのだ。

 例えお清が化け物で、辰吉の言う通り、弥介をり殺そうとしているのだとしても、弥介はお清を人間だと思い続けたかった。

 化け物なんて、血も涙もない生き物だが、お清をそんな物と一緒にはされたくない。

 

 弥介は、余計なことをした辰吉に腹を立てながら、殆ど咄嗟に嘘をでっち上げて言い返した。

「お清の住んでいた海は、ここいらの比じゃねぇほど荒いんだ。そんな海辺で暮らし慣れた者にとったら、ここらの海なんて池みたいに静かなもんさ」

 自分でそう言って、弥介は本当にそんな気になってきてしまった。

 お清の郷里は、珍しい保存食があり、不思議な海草の採れる海なのだ。ここらの海とは違っていて、当り前だった。

 海の色だって、南の方では、空みたいな色をしていると言うではないか。

 先程の女が、

「へぇ、そんなとこからあん人は来たのかい」

 と、口を挟んでくる。

 辰吉は、ブスッとした顔をした。

「それもきっと、お前を騙す嘘なんだ」

 お清が自分を騙していると思うと、弥介はたまらなくなった。

 お清は、弥介と一緒に暮らしていても、弥介にも心を開いてくれていないことになる。名前や生い立ちを語らないのだって……。

 いや、お清にもお清の都合がある。

 自分の胸一つに収めておきたいことだってあるだろう。

 弥介は、辰吉の口振りが気に入らなくて、

「オイラだって、嵐の海を三日間、板を頼りに渡りきったんだ。人間その気になれば何でも出来る。荒れた海でも泳げらぁ。それとも、水夫かこ何人も飲み込んだ海から帰ったオイラも化け物ってことか。古馴染みの、オイラを化け物扱いするか」

 と、喰って掛かった。

 弥介だって大海原を板切れだけで、三日三晩の嵐を耐え抜いたのだ。

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