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夫婦の真似ごと

 隠したい、消したい過去があるなら、村人が母にしてやったように、ソッとしてやるべきだろう。

 おせいのことを、根掘り葉掘り聞いてくることを考えれば、母だって別にソッとしておいて貰った訳ではないのだろうと推測は出来る。

 

 海に出られなくなって村人の態度が一変して以来、弥介は村人達には無愛想になった。今では、人の視線が煩わしくてならない。

 お清と二人でいる時だけ、人の視線が気にならずに済んだ。

 お清は決して、人の目を見ない。

 仕事の時に邪魔だろうと、括り紐を見つけてやってきても、お清は髪の毛を垂らして、いつも顔を隠すようにしている。

 村人達は、顔が醜い所為だとか、反対に美し過ぎるのだと好き勝手に云っているが、弥介だけはお清が、美しくはないが、かと云って醜くもない顔をしていることを知っている。

 

 お清には奇妙なところも幾つかあるが、弥介は別に気にならなかった。

 お清が身体を開くのを拒む限りは夫婦にもなれないし、そうなれば赤の他人だ。

 足が悪くても内仕事をしなくても、顔を隠したり目を伏せる癖も、一緒にならないのなら、弥介が口出しすることではない。

 同じ小屋で寝起きし同じ食事を食べる仲なら、お清だから困ると云うことはない。

 

 その日も日が陰ると、弥介は干物を露に当たらないように土間に運んで積み上げ、暗くなるまでそだを拾った。

 お清の海草の火種は、人が出歩かないような遅い時間や天候の悪い時以外は使わないようにしていた。

 今のところ、弥介の小屋から青白い光が洩れていると云う噂は立っていない。そんなことが見つかれば、それこそ気味悪がられるに違いない。

 火種の海草は、お清のところでは日常品なので、人に分けたり売ったりするほどはないと云う。

 この辺りにはないと云う物を、お清はどうやってか、定期的に手に入れている。

 それもお清の不思議の一つだ。

 

 お清は、旅支度は一切していなかった。懐や袂に、幾つかの包みや袋を入れていただけだ。本当は、それほど遠くから来たのではないのではないか。

 荷物を苦にして、途中で置いて来たと云うこともあるかも知れない。

 弥介は、そだを集めて小屋に戻ったが、まだお清は戻っていなかった。お清が先に戻った時は、夕餉の支度を初めているが、そうでない時は弥介が用意をする。

 その日はいつもの時間を随分過ぎても、お清は帰って来なかった。

 弥介は、お清が何処かで蹲っているのではないかと心配になって、辺りに探しに出た。小声で呼んでも返事もなく、お清も見つけられなかった。

 誰かの家に行ったなんて考えられないので、家々を回ってお清の行方を探したりはしなかった。お清を見なかったと聞いて回ったりしたら、喧嘩をしたのか、逃げられたのかと云われるのがオチだ。

 

 怪我でもしたか、海で溺れたか。

 

 今朝小屋を出る時は、別にいつもと普段通りだったと思う。

 お清は性質が大人しいので、思うところがあっても、表には出さない。喜怒哀楽も小さく、声に出して笑ったり喚いたりすることもない。

 気の付かない弥介には、尚更お清の胸の裡など分かりようがなかった。

 弥介のことだから、お清がいなくなる前兆のようなものも見逃していたに違いない。

 弥介は家に戻って、一人で遅い夕食にした。

 その最中に、戸を揺する音がした。

 弥介はおもてを上げて、

「お清か」

 と、声を上げる。

 引き戸が開けられ、蹲ったお清の姿が見える。弥介は椀を置いて慌てて立ち上がると、土間に降りた。

「動けなくなったのか?」

 お清から、ざるに載せられた今日の収穫を受けとる。

 お清は、最初の日のようにいざって小屋の中に入って来ると、引き戸を閉めた。弥介は、ざるを土間の隅に置く。

「済みません。思い付いてこれをとりに行っていたので、戻って来るのが遅れました」

 お清は、袂から小さな袋をとり出して、弥介に手を差し出すよう促す。弥介の手の平の上に、コロコロと仄白い粒が転がった。

 弥介は僅かに、目を見開いた。

「真珠じゃないか。こんな物も持っていたのか?」

 村の女達は、素潜りで採った鮑やなんかの貝から見つけた真珠を売って、小銭を稼ぐ。

 たくさん見つかる物ではないが、玄人ともなると、集めた真珠で飾りなどを作って、船主の妻やめかけ、娘などに、バラで売るよりはずっといい値で引きとって貰っている。

「ずっと貯めてあった物で、これを売れば、お米も味噌も着物も買えると気が付いたんです」

 町に行けばともかく、村の両替屋では買い叩かれる。

 小浜こはまの村の者だと知られれば、名前の知れ渡っている範囲の町や村の両替でも、値を下げられる。

 豊かな小浜の者に、これ以上追い銭をやる必要はないと云われるのだ。村の両替に持って行けば同じ二束三文でも、目ぐらいは掛けて貰える。

 この村で生きて行く為には、そうしておくのが一番利口なのだった。

「外国では、真珠を潰して粉にして飲むと、長生き出来ると申します。薬一包が、金貨一枚にもなるそうです。長生きの薬として、売られてはどうでしょう。小判一枚とはいきませんでしょうが、きっと暫く麦飯には困らないだけのお金にはなるでしょう」

 弥介はそれに、首を振った。

「例え本当に長生き出来るとしても、鐚一文出さないだろう。舶来で入った薬なら、例え魚の骨の粉でも、小判一枚と云われたら出すに違いないがな。連中が買うのは、全部名前なんだよ。やれ舶来の食べ物だ、やれお武家様も使っている品だ、やれ将軍様も飲んだお薬だ。旨い旨くないとか、好みに合う合わないとか、効く効かないは関係ないんだ」

 お清は黙って、真剣に弥介の話を聞いていた。

 お清の前では、弥介は特に饒舌になる。

 他の村人と話していても楽しくなくなって、黙り込んでいることが多くなった反動で、お清に対しては何でも話したくなる。

「舶来って言葉が舌を喜ばせ、偉い人と同じって点が、目を楽しませ、気分を良くさせるんだよ。それをオイラ如きが云ったら、貧乏人には分からないことだって切り返されて終わりだ。確かにオイラは学もないし、何がいい物かなんて教えられてこなかったら、見る目がないのかも知れないがな。でもオイラなら、効かない高い薬より、効く高い薬の方が欲しいと思うぜ。気の触れたババァでも、乞食坊主が作った薬でも」

 弥介はそこまで云って、肩をすくめた。お清は肩を落として、

「お金を得ると云うのは、難しいことですね。これがあれば、今のような最低限の暮らしではなく、少しは余裕が出来ると思ったんですが、所詮無知な妾の考えることでした」と、云う。

 弥介は慰めるように、

「髪飾りか何かを、作ったらいいと思う」

 弥介はそのまま言葉を続ける。

「変わっていて珍しい装飾品なら、船主の女房どもなら買う筈だ。連中は旦那方と違って、名前だけに飛びつくことはしねぇからな。かんざし商が云ってたぜ、そこそこの物と違って高価な物ってのは、都の女がみんな持ってるって勧めるより、目の高い都の女が幾人か持ってるって云った方が、女はその気になるんだと」

 人と同じで人と違う物が欲しいと考える女と云う生き物は、弥介には特に良く分からない。

 お清は考えるようにして、

「前に、外国の船に乗った女性を遠くから見たことがありますが、その人は身分の高い方らしく、美しい真珠の髪飾りを付けておられました。その髪飾りなら、見よう見真似で作れると思います」

 弥介は喜んで、お清の手を思わず握った。お清の手は、いつものように冷たかった。

「それを話したら、必ず買い手は付く。売れたら、一回ぐらい贅沢して米の飯も食いたいが、後は麦にしておこう。残りの金は、お前の着物を買うのに回そう。その真珠はお前のなんだから、お前がまず欲しい物を買わないとな」

 お清一人で暮らしている方が、今よりよほど楽な暮らしが出来るだろう。弥介に分けるぶん、お清の取り分が減る。

 男手がないと不自由だと村の女は云うが、男の弥介にしか出来ない役割など何一つ弥介は果たしていない。

 漁に出て米や野菜や着物を買う為の金は稼いでいないし、子宝は勿論お清の肉を悦ばせることもしていない。

 お清にとっての弥介の存在価値とは、何なのだろう。

 何もしてない、愛してやってもいない。それでもいいのか。

「妾は、何もいりません。弥介さんが、一人で暮らしていた時と同じように暮らせるように、妾はしたいだけなんです」

 弥介には、お清の気持ちが分からない。

 弥介を養うぶん必要になる労力も厭わないほど、弥介の側にいたいと云うのだろうか。

 弥介は言葉を失くす。

「お清」

 なぜ、弥介なのか。弥介は分からないので、逃げた。

「そう云う話は、売れてからだ。飯にしろ。今日はいつもより遅いんだ。腹が空いただろう」

 弥介はそう云ってお清の手に、真珠の粒を返した。

 そのままきびすを返して、床に上がる。

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