貴方様のお側にいたく
昔は、遊び人気取りでいられたが、今となっては女の扱い方が分からないのは問題だった。
相手にならないと、女に恥を掻かせるなと恨み言を云われ、相手になった時には安く見ないでくれと怒られる。
この女の場合は、どう扱えばいいのか。
おぼこの少年でもあるまいし、女一つ扱えないと云うのが癪に触る。女は細々と、
「済みません。お借りした物を、少しでも濡らしたなくて」
語尾が尻すぼみに消える。
弥介は、早まらなくて良かったのかと思いながら、苛立ちをぶつけるように云う。
「貸すと云ったら貸すんだ、一々気にしなくていい」
女は、怯えたように済みませんと繰り返す。
線の細い女だ。
村の女は強い。気丈でなければ、気の荒い男どもとは釣り合いがとれない。
すぐに喧嘩や、罵声の応酬が始まるのが、弥介達のような平民だ。
船主なんてのは、声を荒げることもないし、弥介達のような人間を、怯えと同時に見下し切った目で見たりする。
生まれた時から絹にくるまれ、甘い菓子を与えられてきた金持ちの子供など、殴りでもしたら首がポキンと折れそうだ。
村の子供達などは雑草と同じで、踏まれようが殴られようが、簡単には潰れそうにないと云うのに。
所詮、育ちと云うのが違うのだ。
年中日に焼けている村人と違い、金持ちはみんな生白い。
それを云えば、女の膚も白かった。
奇妙な明かりの所為かと思ったが、見下ろす自分の手は、青白い光の中で翳っている。二月ほど外に出ていないとは云っても、色は殆ど抜けていない。
女は足が悪いので、あまり出歩かないから色が白いのかも知れない。
弥介は、小屋が温まって来てようやく人心地付きながら、
「それにしても、立てたんだな」
と、女に声を掛ける。
「少しなら、普通にも歩けます。ここに来るまでに歩き疲れてしまいましたが、少し良くなりました」
床に腰を掛けたのか、キィと床が軋んだ。
「そうか。そりゃ良かった。食い物もそろそろ煮えたようだし、温かいもんを食べて、ゆっくり休みな」
弥介は立ち上がり、棚に伏せてあった椀を持って戻って来る。
「椀はこれ一つしかないんだ。あんたが先に食え」
床の端に、着物を巻き付けて座っている女に、弥介は椀を差し出す。
「出来たら先にお水を。もう少し落ち着いてから、妾は戴かせて貰いますから」
弥介は自分の気の付かなさを呪って、ピシャリと額を叩く。
そのままきびすを返し、棚から縁の掛けた陶器のグイ飲みをとって、甕から水を汲む。
「ほら」
水を差し出すと女は頭を下げ、両手で受けとりながら、有難うございますと云った。
「そう畏まる必要はねぇ。オイラはただの役立たずの屑だ。あんたが高貴な血でも引いてるって云うんなら、余計にオイラなんかにへり下る必要はねぇよ。まぁこっちは育ちが悪いんで、お大名様の筋だって云われたって、言葉一つ改められねぇけどよ」
弥介は、女に背を向けて囲炉裏端に戻ると腰を下ろした。
椀の中に鍋の中で煮えているドロリとした汁を入れ、そのまま木杓子を使って吹いて冷ましながら、啜り込む。
食材に付いた塩味の他に、舌にピリッとくる辛さがあった。山椒とも山葵とも辛子とも違うが、淡泊な白身の魚には良くあった。
弥介はズルズルと音を立てて、汁物を煽りながら喋る。
「変わった味だが、なかなか旨いな。久しぶりに、まともな物を食った気がするよ」
久しぶりに、気兼ねもなく話せる相手が現れて、弥介は嬉しかったのだと思う。
普段は自分はお喋りな方ではないと思っていたが、何日もまともに喋らないと、やはり人恋しくもなるのだろう。
女は弥介の方に身体を向けて、
「お身体を、壊してしまわれたんですか?」
「壊れたのはオイラさ」
女は怪訝がるように、
「え?」
見知らぬ行きずりの女の前で、自分を偽る必要もないだろうと、弥介は素直に口を開いた。
「壊れたのは頭か心か。すっかり憶病風に吹かれて、海に出ようとすると足が竦むんだ。大の男とは思えない情け無さだろう」
胸の奥の方で、ジリジリと自分を焦がす炎が燃え上がる。情け無いのは、自分自身だ。
「貴方様のような人間が、何日も海の上で、板切れ一枚を頼りに過ごしたら、海が怖ろしくならない訳がないでしょう。そうですか。それで、海に出なかったのですね」
口を動かす手を止めて、弥介は顔をしかめて女を見る。
「あんた、やっぱりオイラのことを誰かに聞いてきたんだな」
女は更に顔を落として、
「済みません」と、謝った。
弥介は女から顔を逸らし、椀の中を睨む。
「別にいいさ。オイラはこの村のお荷物で、嘲笑と侮蔑をせいぜい浴びて、村の連中の憂さ晴らしの道具になるぐらいしか出来ないんだ。他に行くところがないんならここにいていいが、自分の食い扶持が稼げるってんなら、小屋を立てる算段をした方がいい。ここにいてオイラの面倒なんか見てたら、あんたまで馬鹿にされるぜ」
弥介はそこまで云うと、一気に椀の中身を啜り込み、新たに鍋からよそい直した。女は細い笛のような声で、
「構いません。ここに置いて欲しいんです。貴方様のお側に」
弥介は、訳が分からなくて、おかしな気持ちになる。
「おいおい。いきなりオイラに惚れたってこともないよな。まさか、あんたと何処かで会ったことがあるのか?」
弥介はふと思い付いて、マジマジと女を見つめた。女の顔は、髪で隠れていてはっきりしない。
若くて力のある弥介は、荷役として駆り出されることも多く、あちこちの町や村に出たことがある。
城下町にも、一度行ったことがある。そんなそちこちで、懇ろになった女の全てを覚えている訳でもない。
女は、弥介の言葉に小さく頷く。
「一体いつ、何処で会ったってんだ?」
弥介は、困ってそう聞いた。
だから弥介は、気が利かないと云うのだろう。
あの時の逢瀬が忘れられず訪ねて来た女になら、張り飛ばされても仕方がない。
女は小さくなって、
「お見かけしただけです」と、云った。
そう云われて弥介はホッとなる。
これで知らなくても言い訳が立つ。
弥介は二杯目も平らげて、三杯目で椀を満たす。それでもまだ符に落ちないことがあった。
「それでオイラの許に来たのか?」
女は、それにも頷いた。
弥介は椀の中身をグルグルと掻き回し、グッと一気に煽る。口に付いた汁を手の甲で拭いながら、
「まっ、好きにしろ。オイラは誰とも夫婦にゃなりたくないが、あんたがいたいと云うんならいたいだけいればいい。嫌になったら、出て行くがいいさ」
女がここに残って、本当に毎日の食事の用意が出来ると云うなら、弥介は助かるだろう。
今度は、女に養われていると陰口を叩かれるに違いないが、これからは荷運びだけに精を出したら、貰った日銭で麦や野菜を買って、二人分の着物ぐらいならい買えるかも知れない。
カツカツの生活で、酒一つ飲めないだろうし、女に土産一つ買って帰ってやれないだろうが、そうやって新しい生活を始めるのも悪くないかも知れない。
四杯目をズルズルと啜り込む途中で、弥介は鍋の中身が随分減っていることに気付き、むせそうになった。人に分けて貰うなら、せめて半々にすべきだろう。
弥介は、自分が半分は食べてしまった椀の中身と鍋の残り、後一杯半ほど分しかないのを見比べて、オズオズと女の方に椀を差し出した。
「済まねぇ。食い過ぎちまった。食い掛けだけど、鍋の残りと足したら、こんだけで足りるだろうか」
女が息を洩らすようにして、少しだけ笑った。
「妾なら、一杯あれば十分ですから」
親しくもない女に、自分の食いさしを差し出すのも何だろう。
腹が減っているなら、そんな悠長なことも云っていられないが。
一人で殆ど食べておいて何だが、
「あんたは、しっかり食べて太った方がいい」
弥介がそう云うと、女は消え入るような声で、聞く。
「肉の薄い女はお嫌いですか?」
はっきり云うのも憚かられて、
「肉付きのいい女なら、少々乱暴に扱っても心配そうにないが、あんたみたいな身体じゃ触れただけでバラバラになりそうだ」
女は有難がる様子で、
「本当にお優しい方です」
弥介は今まで、まかり間違っても、そんな云われ方をしたことはない。
自分でも、優しいだの情が深いだの云われると、尻がむず痒くなる。
弥介は、椀の残りを喉に流し込むと、
「やめてくれ。オイラはそんなもんじゃねぇ。あんただってオイラがどう云う人間か分かれば、すぐに出て行く気になるさ」
と、吐き捨てる。
弥介は云って、女に囲炉裏の側に来て食べるように勧めた。
女は床に膝を上げ、ゆっくりといざりながら、
「貴方様が出て行けと云うまでは、何処にも行きません」