女の申し出
女はそのまま、土間に踞っている。
雨に濡れそぼっているのだから、上がれとも云えない。
盛大に火を焚ける余裕があれば、濡れた着物のまま床に上がっても着物も床も乾いただろうが、心細い澳ではまともに暖をとることも適わない。
女に着せられるような乾いた着物も、手拭い一つ、雑巾一つない。
「家の人間すら、まともに食事もしていないんだ。あんたには、何一つ出してやれねぇ。薪もなけりゃ、食い物もねぇ、もちろん酒なんて物もない」
弥介はそう云って、肩を竦める。
食事は泣いても笑っても一日一度。漁の後にとれた魚などを届けてくれるが、帰りが遅れたり、忘れられたり、はたまた悪意を持って遅らせている可能性もあるが、朝から午後遅くまで時間はマチマチだ。
何にしろ、今日の弥介の割当なら、全部自分で昼に食べてしまった。
「火の種と食べる物なら、持っております。鍋を遣わせて下さるなら、二人分の食事は用意出来ます。良かったら、御一緒に食事をさせて戴けませんか?」
弥介には願ってもない申し出だが、こっちは何一つしてやれないことを思うと、複雑な気分になる。
しかし、小屋に入れてやった礼だと思えばいい。
「一晩の屋根の代わりだ。有り難く頂戴しようか」
女は、板間の側まで這いずって来て、胸元からゴソゴソと包みをとり出した。
油引き紙に包んであった物をとり出し、手を伸ばして囲炉裏の火の上にくべた。
澳から小さく火花が上がったかと思うと、青色の炎が上がる。途端にプンと生臭い匂いがするが、小屋の中は一気に明るくなった。
とは云っても、明かりは弥介の良く知っている橙々色ではなく、夜光虫のような薄青白い光だ。弥介は思わず、
「何だ、これは」と、大きな声を出す。
炎を上げているのは、黒い髪の毛のようなモジャモジャとした物だ。
「ここでは採れない海草を、干した物です。長く燃えますから、うちでは大体これを使います」
弥介は素直に感心して、
「遠い異国には、人の言葉を喋る鳥もいるし、暖かい海には、目の覚めるような色の魚もいると云うしなぁ。それどころか、山一つ越えただけでも、珍しい物はあると云うが、本当なんだなぁ」と、云う。
弥介は、ひっかぶっていた布団を退けて立ち上がると、吊り棚から鍋をとった。ここ暫く、鍋を使えるほどの食材には、お目に掛かっていない。
弥介は、女に鍋を渡してやる。
女は鍋を持ってズルズルと、水甕へと這い寄っていく。
弥介は慌てて女から鍋をとり戻し、自分で水甕を開けて鍋に水を注いだ。水の量はこれぐらいかと女に聞き、女が頷くのに合わせて、
「済まねぇな。人と一緒に暮らしたことがないんで、気が利かねぇんだ」
昔から、気の利かない子だ、気の利かない男だと、周囲の者には云われていた。
それでもまともに働けた内は、気が利かないぐらい大したことじゃないと慰められていた。
こんな身になって後は、稼ぎがなくても、これで少しは気が利いたら良かったのにと、嘲られることにもなっている。
今も弥介は、女が這うのを見るまで、女には自分と同じように簡単に歩いて行って、水を汲めないことに気が付いていなかった。
人の言動など気にして育って来なかった為、弥介には他人のことが分からない。
女は細い声で、
「いいえ、とても情け深い方です」と、云う。
弥介は、誉められても我事とは思えなかった。
自分のしたことは、初めから女の気を引く為だったのかと思いそうになる。
弥介の立場からしたら、養ってくれる人間は喉から手が出るほど欲しいものだ。
足萎えだろうが、二人分の食事ぐらい用意を出来ると云うなら、それ以上何を望むことがあるだろう。
今となっては普通の女は、弥介の許になど来てくれない。
「馬鹿云うな。おいらは、単なる碌でなしで、あんたが食い物をくれるから、あんたの機嫌をとろうとしてるだけだ」
弥介は、無愛想に言い返す。
足萎えの女に養って貰うほど、自分は誇りを捨てていない筈だ。
女は女で、弥介のような男でもなければと云う思いが、あるのかも知れないが。
弥介としては、この女の為に、もう一旗上げてやろうと思うぐらいの気概が欲しい。そうでなければ、男と云えないだろう。
女は無言で、胸元から別の大きな包みをとり出すと、鍋の水の中に放り込んだ。
「一度に使ったら勿体無いだろう」
と、弥介は慌てる。
女は、油引き紙を畳んで袂に入れた後、小さな袋をとり出した。袋の中の粒をパラパラと鍋の中に振り入れながら、
「明日の朝には、海に出て食べられる物を採って参ります」
明日の朝も、弥介に食べさせてくれるつもりでいるのか。