小浜の船、嵐に遭う事
弥介は、朦朧としたまま目を開けた。
弥介はぼんやりと、自分は生きているのか、死んでいるのかと考える。
死んでいれば地獄か極楽にいるのだろうから、弥介が足掻いてもどうしようもないが、まだ生きていると言うなら、苦しいのはこれからかも知れない。
弥介の乗っていた船は、嵐に遭って海に沈んだ。
波を受けて割れた船底板の一部がたまたま手近にあった為に、弥介は板に這い上がり、海が静まるまでずっとしがみ付いていた。
途中で意識を失い、嵐がやむのは見ていない。
弥介は、ようやく自分がまだ生きているらしいと認識した。
身体は鉛のように重く、もうすぐ死ぬと言われても不思議とは思わない。それでもまだ弥介は、死んではいなかった。
自分が生きているとはっきりしてようやく、同じ船に乗っていた者達はどうなったのだろうと考える余裕が出来た。
弥介と同じように、板切れを掴めたなら生きているかも知れないし、嵐がやんだ後に、他の船に助けられた者もいるかも知れない。
例え全滅しても、悲しむ者は、家族ぐらいなものだろう。その家族すら、弥介にはいない。
漁師が五人ぐらい死ぬより、漁船が一艘駄目になったことの方が、惜しまれることだろう。
漁船に乗るのは、小浜では貧乏人だけだ。これが他の村なら、動ける男は皆と言うことになるが、小浜には富む者と貧者がいる。
近隣の村人は、小浜は豊かだと羨みやっかむが、小浜の者全てが豊かな暮らしをしている訳ではない。
他の村では、不漁になれば全員が飢えて死ぬし、大漁となれば全員が腹がくちくなるまで満たされる。
確かに小浜では、疫病みの年寄りだろうが、弱い赤ん坊であろうが、飢え死にすることだけはない。だが、豊漁の時だけの贅沢とも無縁だった。
味が良く値の張る魚介類は漁税の名の下に全て船主に巻き上げられ、彼らの懐を肥やし、船に乗っている者には僅かの賃金と、日々の糧にする雑魚だけが与えられる。
賃金を貯めて船を買おうにも、米などの食料一つ、布一つとっても高価で、日々の生活を慎ましく暮らすだけで、金は右から左に消えていく。
海で働くのは辛く危険で、その憂さを張らせるだけの遊興費はない。その為に借財を重ね、首が回らなくなり、結局船主の元で、最低限の食い扶持だけを保障されて、一生タダ働きする羽目になる。
それが小浜の豊かさを支える礎であり、小浜の富の本質でもある。富む者はますます富み、貧しい者は貧しいまま、弥介のように使い捨てられて、いつかは海で死んでいくのだ。
弥介は目覚めてからも随分長い間、身動ぎ一つもしなかった。やがて身体の感覚が戻って来ると、弥介は自分が戸板にうつ伏せになり、右腕を水の中に浸していることが分かった。
どれだけ気を失っていたのか分からないが、辺りは小暗く、弥介の着物は乾いて、塩気の為に、干物のように固まっているのが感じられた。
麻痺していた全身の感覚が戻るにつれ、弥介は水に浸した指先に絡み付く微かな刺激を感じた。
一瞬弥介は、細く靭な女の指に絡み付かれたように錯覚したが、海の中でそんなことが起こる筈がない。
弥介は、総毛立つ。
水死者の死体のように水に浸ってふやけ、肉が崩れ、魚に突つかれた無残な腕を想像して、弥介は怖々腕を引き上げた。腕は白くふやけ冷たくなっていたが、魚に啖われることはなく無事だった。
気付くのが遅れれば、右腕を失うことになったに違いない。
弥介は、ゾッとしつつも安堵した。
弥介は、僅かに頭を起こす。周囲を見渡しても見えるのは波頭だけで、船影一つ、船の残骸一つ見えなかった。
無論、陸の姿など見えない。もう少し伸び上がろうとすると、途端に船板が揺れて弥介は、海に落ちそうになった。
辛うじて、身体が横たえられるだけの板切れだ。今まで傾かなかっただけでも奇跡だろう。
弥介は、板に指を立てて、自分の起こした波が静まるのを待つ。一旦放り出されてしまったら、もう二度と這い上がれないだろう。
掴む物があるだけでも随分違うが、水の中に長時間身体を浸していては、それだけで体力が消耗する。
弥介は、冷静に自分の命の期限を計算した。水がなくても、二、三日は保つ。お湿り程度の雨が定期的にあれば、十日以上生き延びられるだろう。
そもそも弥介がこのような目に遭った嵐が、もう一度でもくれば、それで弥介の命運も終わりだ。嵐がなくても、二、三日の内に陸に辿り付けなければ、弥介も助からないと見ていい。