まるで寝物語のように
男は素っ気無く、この辺りに伝わる話だと言う。それ以上話す気はないのかと思うと、男はおもむろに口を開いた。
「ちょうど二百年前の、こんな嵐の夜、海からやって来た一人の女が、男の元を訪れた。それが、全ての悪夢の始まりだった」
僕の方が擽ったくなって、クスクスと笑い出す。男は嫌そうに、顔をしかめて口を閉ざした。
「お前がイカレてるのは分かったが、何がおかしいんだよ」
憤然として言う男に、僕はごめんと謝る。
「だって僕に、お話してくれる人なんて、今までに一人もいなかったんだもん。こうしていると、まるで夜寝る前にお話して貰ってるみたいでしょう?」
僕は、そう言って枕を胸に抱き寄せた。
「俺はな、お前も辛い人生を送って来たんだな、可愛そうにって同情して、慰めてやるような優しい人間じゃないんだよ」
男は、嫌味ったらしい表情と毒々しい口調で、そう言った。僕は気にせず、男の手を掴んで指を絡める。
「昔話を聞かせて貰ってる気分で僕が聞いてたって、あんたには関係ないことでしょう。もう笑わないから、続きを話してよ」
ねっ、ねっと僕は甘えた声を出す。男は、気持ち悪い奴だと、甚だ失礼なことを言ったが、続きは話してくれた。
「女は、人魚だった。惚れた男と一緒になりたくて、嵐に乗って陸までやって来たんだ。男は、人魚を使えば大儲けが出来ると踏んだ」
例え人魚と言え、女の気持ちを踏みにじる酷い男だ、とは僕に限っては思わなかった。僕は、
「見せ物にしたの?」と、聞く。
「知らないのか?」
男は、僕の無知に呆れたようだ。何が?と言うように、僕は首を傾げる。
「人魚の涙は真珠になり、人魚の血を飲めば、病は癒え、人魚の肉は、不老不死を齎すんだよ」
僕は初耳だったので「へぇ」と言って、男に話の続きを促した。男は苦々しい顔付きで、言葉を続ける。
「初めはうまくいったんだ。真珠に替えた涙と血を売って、男は大金持ちになった。人魚は何もなければ不老不死だが、大怪我をすれば死ぬ。人魚を生かしておけば、涙も血も幾らでもとれるが、肉は下手をすると一度しかとれない。流石に男もその時は、不老不死なんて信じてもいなかった。勿論確かめようもなかったが、売れるものならと人魚の肉は、出来るだけ高く売ろうと最後にとっておいた」
僕は、金勘定の話には興味がないので、ベッドに頬杖を着いたまま、ふぅんとだけ相槌を打った。
男は自分の話に夢中になっているようで、僕の様子には気付いていなかった。男はそのまま話を続ける。
「男も欲に目が眩んでいたが、不老不死の誘惑や巨万の富に目が眩んだ連中に、男と人魚は命を狙われ、追われるようになったんだ。逃避行の中、男はひどい怪我を負わされ、死の一歩手前までいった。そこで死んでいられれば、本当に良かったと思う。それなのに人魚は、己の肉を死に掛けていた男に与えたんだ」
僕は、ようやく話にのめり込んだ。僕は、喜々として口を挟む。
「凄いね。究極の愛じゃない。下手をすれば、人魚は肉を食べさせたことで死んだかも知れないんでしょう? それとも死んじゃったの?」
男は無愛想に、死んでないと首を振る。そして憎々しげに「愛なもんか」と、吐き捨てた。
僕は、不満を露わに唇を尖らせる。
「だって、一緒になりたくてわざわざ来たのに、利用されるだけ利用されたんでしょう。そんな奴を、自分の命の危険も顧みず助けようとするなんて、よっぽど愛してなきゃできないよ」
僕がそう言うと男は、
「復讐なんだよ」と、言った。
男の声が、あまりにも苦しげだったので、僕は言葉を失くしてしまった。男は、淡々とした声になると、話に戻った。
「あと一歩と言うところで、男は死ねない身体になった。老いることも死ぬこともないどころか、人魚と違って、大怪我をしても死ねなくなった。深い傷でも、治療をしなくても治る。痛みにも鈍感になった。もう、普通の暮らしはできない。人は、男よりも先に死んでいく。だから男は人魚と共に、海で生きるしかなくなった」
僕は、話はそこで終わりだと思ったが、何と相槌を打っていいのか分からなかった。
男が、または人魚が哀れだとか、男の自業自得だとか、言うことは色々あるのだろうが、僕には言えることがない。その辺が、僕の頭がおかしい証明なのかも知れない。
僕はただ、ふぅんとだけ言った。しかし男の話は、それで終わった訳ではなかったのだ。