日常
十月。
倉石市立倉石第二高校、食堂。
わたしこと高原 京子は目の前のとある人物を睨みつけていた。
そいつは昼休みになってすぐ走って食堂に行っても売り切れ必至の大人気の惣菜パンを当たり前のように食っていた。
そいつの名を白川 真。
くしゃりとした髪に小柄な背丈。
学年はわたしと同じ一年生。
どことなく暗い雰囲気のある一年であり
こいつはわたしが見る限りではどうやってか、わたしより先に毎回食堂に現れて惣菜パンを食っているのだ。
ちなみにわたしはこいつのせいでいつも惣菜パンを食べれずにいるのだ。
…いつか念でも送って腹痛を起こさせてやる。
わたしがずっと睨みつけているのに気づいたのか白川はわたしを見ると
ぼそりと小さな声で
「あの、なにか用があるんですか?」
初めて仇敵に声をかけられた。
「む、別に何にもないよ。たださ。」
「?」
「どうやってわたしより先に惣菜パンを食べているのか不思議でさ。」
「ああ、それはですね。走ってるんですよ。」
参考にならん。わたしだって授業が終わる直前に走ってきたこともあるのに。
「む〜。」
わたしは四月に貰ったオリエンテーション用の学校の地図とにらめっこをしていた。
どう考えたってわたしのクラスの方が近いのになぜ奴はあんなにも速いんだ?
「高原さん?」
いや、待てよ南の渡り廊下を使う手は?
「高原さん?」
いやそれでも大した差にはなるまい。
「高原さん!」
女性のハスキーな叫び声。
見れば右手に教科書を携えた今年大学を卒業したらしい新人国語教師。
あ、しまった。
「ひどい目にあった…。」
結局、先生にたっぷりと絞られて解放されたのは午後6時。
「高原さん、大丈夫だった?」
とわたしに話しかけてくれたのは片瀬 保奈美。
縁なし眼鏡に肩の辺りで切りそろえられた髪に少し小柄な背丈。
片瀬さんの性格は地味なほうの部類に入るだろう。
イメージとしてはと大人しい図書委員といったかんじだ。
「片瀬さん、待ってくれててありがとう。」
「うん、いいよ。でも何で怒られてたの?」
それは言いにくい。まさかどうやって惣菜パンを白川より先に奪取するかなんて考えていたなんて口が裂けても言えない。
「ごめん、すごく個人的なことだから言えない。」
「うん、そっか早く帰ろう。」
「あぅ、もう外真っ暗じゃん。」
思わずそう言ってしまう。
太陽はもう沈んでいるらしくあたりは暗い。
「くそう、これも全部白川のせいだ―!」
「何で白川くんの名前が出てくるのかなぁ。」
ぼそりと片瀬さんの一言。
しまった、口を滑らした。
「あ、う。まぁ関係ないよ。関係ない。ただこう誰か無作為に怒りをぶつけてみようと思って―。」
あれ、何か墓穴掘ってないかわたし。
「あれ、でも何で片瀬さんが白川の名前の名前知ってんの?」
たしか白川は目立つほうではないしルックスがいいわけでもない。
わたしだって彼奴が惣菜パンをわたしの目の前で食わなければわたしだって気づかなかっただろう。
「あ、うん。知らないの?結構一年の間では有名だよ。」
「なんで?」
「それはね。」
「むぅ。」
なるほどそういうことか。
わたしは片瀬さんと別れた後に思案する。
要するに奴ことは白川は重い貧血であるらしく、先生に頼んで教室から保健室に移動していくことが多いそうな。
お陰で授業の途中でクラスから離れていく彼を責める声は多いらしく、それが一年生の間に数ヶ月の間に伝播したらしい。
保健室と食堂は同じ階にあるため走れば1分ほどで食堂につく。
それならばわたしに負ける道理はない。
―――と。
なんろう?
アレは。
いつも何気なく歩いている通学路の途中の何の不自然さもない裏路地。
なのに今は。
何か甘い蜜が気体になって停滞しているようなそんな雰囲気。
頭に入ってくる危険信号。
きっとあそこには。
好奇心と恐怖心が交差する。
わたしが
わたしは一歩踏み出していく、明るい光を放つ電灯に近づく蛾のように。
係わっていいものは
ぴちゃり。数日前の水溜りがまだ乾いていないのかわたしの足元ではそんな音がする。
ない。
わたしは頭の悪い生き物が餌を捜し求めるみたいに足を進める。
出よう。
歩いているだけのはずなのに息がひどく荒い。
出よう。
ぴちゃり。また水溜り。最近買ったスニーカーが汚れてしまうけど気にはしないことにする。
今なら間に合う。
ぴちゃり。水溜りがさっきより深くなった気がする。
出よう。
オオオンン。
どこかで犬の遠吠え。
この先には。
さっきから水溜りが鬱陶しい。
わたしが
水溜りを避けて通るために視線を落とす。
許容しきれるものはない。
―――――あ。
体が凍る。
見れば裏路地にはわたしと変らない年頃の女の子の死骸が転がっていた。
水溜りだと思ったのはこの女の子の体中の体液。
それが女の子の風穴の開いた左胸を中心にして広がっていた。
「ああ、ひぁ。」
わたしはぺたんとその場にへたりこむ。
ぐちゅり。
女の子から何か、トマトでも握りつぶしたような音。
めぎゃり。がごきばり。
今度は小枝を連続でをへし折るような音。
結果―。
ゆらりと胸に風穴を開けられた女の子が立ち上がった。
「―へ?」
わたしの間抜けな声。
にこり、と骨格を変形させたような歪さで女の子が笑う。
「こンバンハ。オハナシがアルンダケド聞イてくれるカナ?」
焼け付いた女の子の声。
「ネェ、ワタシのエサにナッテクレナイ?」
ばきゃり、とアルミ缶を潰したような音。
女の子の左腕。
そこから。
血と肉がこべりついた骨が鉤爪みたいにして左腕の皮を突き破って出てきていた。
ぎりぎりと女の子の左腕がぜんまい仕掛けのおもちゃみたいに振り上げられる。
「なん、ひぁ。っで。」
横隔膜が痙攣したのか声がまともにでない。
アニメとかなら叫び声が出るのだろうが今出てくるのは涙と叫び声とも呼べないしゃっくりみたいな息。
「あ、い、ひっあ、やぁ。」
わけが分からない。
どずん。
「ア・・・れ?」
その呟きは女の子のもの。
見れば。
女の子の体に何か銀色の何かが突き刺さっていた。
「エ…あガ?」
その銀の何かは時代劇でしか見られない、わたし達のようにマトモに生きている人間にとっては見ることの出来ないもの
日本刀が深々と少女に突き刺さっていた。
路地に響く声。
「雑魚が。調子に乗りやがって。」
かちゃりと時代劇でしか聞けない鍔鳴り。
そこには―。