序章
とある夜のこと。
月は綺麗な満月。
日頃誰一人として近づかない裏路地。
――ハァ、――アぁ。
すでに存在しないはずのソレの呼吸は乱れ、意識は断裂している。
されど呼吸が乱れるのは疲労からではない。
ソレはただ単純に恐怖していた。
自分を追いかける狩猟者に。
ソレは見かけはただの少女だった。
汚れがひとつもない白いワンピース、透き通るように白く細い腕。
ただ、その右のわき腹がごっそりと抉られていなければの話だが。
少女はズルズルと這うようにして移動している。
焼け爛れた声。
―――アアァ、イヤダ。ハァ、シニタクナイジニタクナイ
――――アァ、――――ハ・・・。
少女は何かに憑りつかれるように逃げていく。
――と。三つ目の角、ソレは突然這うのを止める。
――アア。――――アアアァァァァ。
少女は目の前にある状況に絶望する。
目の前には少女を狩る者がいる。
少女を狩るものは少年だった。
小柄な背丈にくしゃりとした髪。
学生なのだろう、校章がついたブレザーを着ている。
ごくありふれた日常で見かける少年はどこか異質。
その理由は右手に持った抜き放たれた日本刀か。
月の光を反射する日本刀は武器であることを忘れさせるほど美しかった。
それともこの状況をじっとカメラみたいな無機質な目でソレを見据える少年自身か。
ソレは独白を始める。
――ナンデ・・・。―――ワタシが死ナナイとイケナイノ?―――ワタシノ病気ハ簡単ニ治るッテお医者サマはイッテタノニ。
―ダガラ、ワダジハ生キレル。ダカラオネガイワタシハジニタクナイ。
支離滅裂な言葉。
それでも少女の言葉は言葉にならなくとも人のココロを動かす、間違いなく悲痛な叫びだった。
だが、
どぶん。
水に大きな石でも投げ入れたような音。
瞬間、少女の叫び声。
―――アアアアアアアアアアアァァァァァァイダイイダイイダイイダイイダイイダイイダイ、コンナノヤダ、ジンジャウダズゲデ
見れば少女の肩に日本刀が深々と突き刺さっていた。
―――ヤメデ、ヤメテ。ヤメテ、イダイイダイイダイ、ハヤグヌイテェ
されど少年の表情は変らない。
そればかりか突き刺した日本刀をゆっくりと回転させる。
―――ア、ア、アア、ア、ァアアアアヒィ。
ゆっくりと日本刀を抜きもせずに少年は少女の首へと近づけていく。
まるでそれはステーキを真っ二つに裂くかのように。
そして―
アアアアアアアァァァァァ。
少女の絶叫が路地に反響する。
「終わったようだな。白川 真。」
少年ー白川 真は声のするほうを向く。
路地に響く暗い声。
路地には男が立っていた。
2m近い長身。黒く蝙蝠の翼めいたコート。
月の色をそのまま髪に写したような銀の髪。
「ああ。」
白川 真は天を仰ぐ。
裏路地を照らすように月が空に昇っていた。