7 電話
旦那が会社から帰ってきて3人で夕食をとっていた。この日のメニューは息子の好きなチキンパイにした。作るのが面倒なので頻繁には登場しないメニューだったが、この日は息子に心配をかけたお詫びとそれから喜ぶ息子の顔が見たかったので腕をふるうことにしたのだ。喜んで嬉しそうにしている息子とは対照的に、旦那はとても疲れており口数も少なかった。まあ、普段から旦那はこんな感じだったので私は気にもしないでいた。息子はパイを頬張りながら学校のことをいろいろ話してくれてた。
「全校集会がね、退屈でさ、神様がどうとかなんとかって、僕は宗教に興味ないから空想の世界をふらふらしていたよ。でも他のみんなはちゃんと聞いているみたいなんだ、真面目な顔をしながら頷いていたり、手を組んでお祈りし初めたり、なんか不思議だったよ。不思議というより気持ち悪かったかな。」
息子はそう言いながら身震いをするジェスチャーをした。正直私も宗教はどちらかといえば苦手だ。しかし息子とはいえ宗教の悪口は言いたくないし、言ってほしくもない。私は無難に答えておくことにした。
「そう、ここには宗教を推敲している人が多いのかしらね? 都会に住んでた時はそうでもなかったわよね。」
そう私が言うと旦那はけだるそうに口を出してきた。
「ここは田舎だからな、宗教場へ顔を出すことも社交の1つなんだろう。俺は宗教は好きではないけどな。疲れたから寝るよ。」
そう言い残して旦那は寝室へと行ってしまった。本当は今日のことを話して相談にのってもらいたかったのだけれども、疲れていると言っている時に変な話をすると怒り出すので黙っていることにした。
「 パパ、またコンピュータゲームかな? それ意外することないみたいだしね。」
息子はため息をつきながらそう言った。
「 そうね、疲れたって言う時はいつも部屋にこもってゲームだものね。でもね、新しい会社で気苦労も多いのよ。好きにさせてあげましょうよ。」
私もため息をつきながらそう答えた。今考えるとこの町へ引っ越してきた時から旦那も少しづつおかしくなっていたのだろう。以前から面倒くさい人だったので私はとうの昔に愛想をつかしていたが、それでもまだ息子は父親を慕っていた様子だったし、旦那も息子のことは気にかけている様に見えていた。しかしこの町に来てからはいつも疲れたしか言わなくなり、コンピュータ意外と向き合うことが無くなってしまった。そんな父親に息子もついに愛想をつかしたかの様だった。もともと私が専業主婦なのをいいことに、育児をまったく手伝うことすらしなかった人だ。しいていえば、お金にはこまらないシングルマザーといった感じだろうか? そのためか息子はものすごいママっ子になってしまい、父親とは少し他人行儀のところがあった。しかしこの後の出来事を考えると、もしかしたらこの2人にはもともとお互いにあまり愛情がなかったのかもしれない。
その日の夜、みなが眠静まってから私は例の番号に電話してみることにした。警察署で婦人警官から教えられた番号だ。実は電話をすることは少し迷っていたのである。何と言ったらいいのだろう? 電話をしてしまったらもう後戻りができなくなるような気がしたのだ。しかし何処から? 何から後戻りするんだ? 今の気持ち悪いモヤモヤを抱えているのもとても嫌だった。考えすぎだろう、たかが電話、しかも相手は婦人警官だ。
ー すべてが終わった今思うことは、もしこの時私が思い直して電話をかけなかったら、そうしたら私達家族はどうなっていたのだろうかということだ。どちらにしても今の結果が訪れたのだろうか? それとも別の世界で別の生活をしていたのだろうか? しかし私はこの時電話をしてしまったし、かけたことを後悔していない。私の心は崩壊してしまったけれども、それでも今の私は幸せだから。ー
私は受話器を持ち上げて記憶していた番号をゆっくりと押し始めた。するとまるで電話の前で待ち構えていたかのように、私が息をする間もなく相手がでた。私は何と言ったらよいのか解らずにだまっていると電話の相手が話を始めた。
「あら、あなたね。おいしいお菓子をつくったのよ。おすそ分けしたいから今からそちらに行ってもいいかしら?」
思ったとおり電話にでたのは今日お世話になった婦人警官だ。変なことを言っている。私にそっと番号をわたしたり、関係のないお菓子の話をしたり、まるで監視でもされているかのように振る舞っている。電話では話たくないということなのだろうか? だとしたら彼女の目的は私に会いに来ることだろう。そう私は頭の中で考えて電話でこう答えた。
「まあ、ありがとう。ちょうど甘いものが食べたかったのよ。お茶を用意して待っているわからすぐに来てね。」
そう言うと私は電話を切った。なにかがおかしい。なにかが私のまわりで起こっていた。一体私は何に巻き込まれているのだろう? リリーといい婦人警官といい、彼らは私になにを伝えたいのだろう? 私は気が狂いそうになるのをなんとか正常に保つことができるようにぎゅっと自分を抱きしめた。しっかりしなければ……、混乱している場合ではないのだから。
翌朝私は息子を起こさなかった。それどころか私自身もベッドから出なかった。いや、ベッドから出ることができなかったというほうが正しいだろう。今日は絶対に息子を家から出すまい、そして学校を変えなくてはいけない。そうすればすべてが無かったことになって、もとの生活にもどれる。そのようなことを考えながら私がベッドでぐずぐずしていると、何も知らない旦那が息子を起こしてしまった。
「起きているか? ママはまだ寝ているんだ。ママが朝寝坊するなんてこんなこと1度もなかっただろ、きっと新しい環境でとても疲れているだろうから寝かしておいてあげよう。さあ、朝食を食べて学校だ。」
よけいなことを! なんだってしたこともないことを、よりによって今日に限って息子を起こすなんて! 私が飛び起きて息子の部屋へ行くと、どうやら旦那はすでにキッチンへ行ってしまったらしく、息子は眠たそうにベッドの上で目を擦っていた。突然入って来た私にびっくりした息子はただでさえ大きな目をますます大きくして唖然としながら私を見つめた。止めなくては。私は息子の額に手をあてて慌てて言った。
「ねえ、顔が赤いわ。熱があるのよ。今日は学校お休みしましょう。」
そう言う私に息子は笑いながらいった。
「大丈夫だよ。昨日だって早退したんだよ。お友達ができなくなっちゃうよ。ママ、はやく朝ご飯食べようよ。」
そう言うと息子は私おいてパジャマのままキッチンへ行ってしまった。1人部屋に残された私は気が抜けたようにベッドへ腰かけた。気がつくと昨夜の婦人警官との話を思い出していた。