50 中腰
「じゃあ、お菓子作りのレッスンを続けましょうか? さあ、こっちに来てオーブンをのぞいてごらんなさい。」
オーブンには電気がついてるのでとても明るくて中がよく見えた。じっと見ているとパイの皮がフツフツと膨らんだりしぼんだり、なんだかとてもリズミカルで見ていておもしろかった。
「ああやってね、パイの色が黄金色になって皮がフツフツしていたら大抵の場合できあがっているわ。取り出してみましょうか? オーブンミトンをはめて頂戴。」
突然のおばさんからの指示に僕はちょっとドキドキしてきてしまった。
「今? 僕が取るの?」
僕がおばさんにそう聞くと、おばさんは大丈夫よという顔で僕に言ってくれた。
「ええ、オーブンを開ける瞬間にけっこう熱い蒸気が出てくるからそのつもりで驚かないでね。そして結構重たいからそれも覚悟しておいてね。大丈夫そう?」
そうなんだ、熱くて重いのか。僕はパイのお皿も熱いんだろうなと思い恐る恐る聞いてみた。
「はい、あの……、パイのお皿ってやっぱり熱いんですか?」
僕の質問があまりにもくだらなかったのだろうか? おばさんはちょっとびっくりしながらも優しく教えてくれた。
「ええ、とっても熱いわ。だって180℃の中に入っているのよ。だからオーブン用のミトンはものすごく分厚くできているのよ。これを着けていればちっとも熱くないから心配しなくても大丈夫よ。じゃあいい? 開けるわよ。」
そう言うとおばさんはオーブンをゆっくりと開けてくれた。僕は中腰になって構えた。りんごのパイのいい匂いがしたかと思ったらおばさんの言う通り、もわっとした熱い空気が僕の顔にかかった。思ったよりもずっと熱くて僕は思わず後ずさりをしてしまった。
「あら、大丈夫?」
おばさんが心配そうに僕を覗き込んだ。僕はなんとなく自分が情けなくなってきてしまった。オーブンを相手に中腰で戦っている自分を想像するとなんだか可笑しいんだか悲しいんだか……。でもここで負けてなんかいられない。僕は気合を入れた。
「はい、僕がんばって取ってみます。」
僕は顔をオーブンからそらせて目だけをパイにむけた。そして腕をそおっっとのばしてパイ皿を掴んだ。本当だ。少しも熱くないや。そしてそおっと持ち上げた。うわっ、重い。
「すごく重いね。これみんな僕達のお腹の中に入るの?」
僕は再び下らないことを聞いてしまったらしい。リサが僕の後ろで吹き出していた。そしておばさんまで少し笑っていたが、それでも僕の質問にはきちんと答えてくれた。
「まあ、ふふふ、重さの半分はお皿よ。さあ、そのパイをテーブルの上にある鍋敷きの上において頂戴。」
ふう、わりと重労働なんだな。ママもよくお菓子を作ってくれるけれども、ただ単にパイ皿をオーブンから取り出すだけでもこんなに大変なんだ。気がつくと僕は少し汗ばんでさえいた。
「ありがとう。ごくろうさまね、クリスくん。じゃあ、お茶にしましょう。リサが紅茶を入れてくれているわ。うちはね、いつも私がオーブンを開け始めるとリサがお茶を用意してくれるのよ。」
おばさんはそう言うと僕の着けていたオーブンミトンをそっと外してくれた。ああ、どうやら今日の僕のレッスンは終わったようだ。僕がリサの方を見るとリサはおばさんの方を見ながら優しく言った。
「そうよ、ママと私はとてもチームワークがいいの。」
そう言うとリサは紅茶のセット一式が乗っているお盆を持ちあげてテーブルへ運んだ。
「さあ、冷凍庫にアイスクリームも入っているわ。りんごのパイにはアイスクリームが一番よね。」
おばさんが冷凍庫を開けようとしたときに玄関のチャイムがなった。
「まあ、なんて素晴らしいタイミング。お茶の時間きっかりに来るなんてさすがポールだわ。リサ、出て頂戴。」
そう言うと今度はおばさんは僕のエプロンを外してくれた。




