39 汚物
エドワード先生との会話が決裂してしまった僕は保健室を出て教室へ戻ることにした。正直僕はこの時かなりヤケ糞になっていてもう逃げだしたいという気分ではなく、それよりも僕をイジメた事をアームストロングに後悔させてやろうとしか考えていなかった。僕がこの国の出身ではないというただそれだけの理由で僕に敵対心を燃やし、教師という立場を利用して僕を苦しめるアームストロングが許せなかった。僕には何の落ち度もない。そんな僕をあれだけ苦しめ悲しめた代償はきちんと受けさせなければ気が済まなかった。そしてアームストロングにイジメられるのもこの豚の弱点を見つける手がかりになるかもしれないし、復讐する方法を思いつくかもしれないと勝手に考えて僕は強気になってしまっていたのだ。僕をイジメたいと思うならイジメられてやろうじゃないか、この時の僕は何も怖いことなどなかった。どん底だった僕は今以上酷い事など起こるはずがないと勝手に思い込んでいたのだから。勢いだけで行動してしまった僕だったけれど、実際はアームストロングを甘く見ていたということをあっという間に思い知らされることになるのだった。僕が教室へ戻りドアを開けるとどうやら算数の授業だったらしく、黒板には簡単な3桁の掛け算がいくつか書いてあった。教壇にいたアームストロングは手にしていたホワイドボード用のペンを机へ置くと嬉しそうに僕を見た。僕はアームストロングを睨みつけて言った。
「遅くなりました。」
そう言って教室のドアを閉めて自分の席のへむかって歩きだした。もしかしたら何か罠でもしかけてあるのかもしれない。誰かに足を差し出させて僕を転ばせるつもりか? それならばそいつの足を思いっ切り踏みつけてやる。それとも僕の席に何かいたずらでもしてあるのか? それならばその机をアームストロングに投げつけてやる。僕はどんなことが起こっても対処できるようにゆっくりと慎重に歩いた。しかし僕が構えていたにもかかわらず、驚いたことに何にも起こらなかったのだ。何も起こらないなんてかえって嫌な予感がした。僕が席に着くとアームストロングは言った。
「さて、クリスが席についたところで授業に戻りましょうか。いいですか、3桁の掛け算は……。」
僕にはアームストロングの声など聞こえてはいなかった。どうして何にも起こらないのか、アームストロングは僕に怒鳴ることすらしなかった。それがあまりにも不気味すぎてやっぱり保健室から戻ってきたのは間違いだったのではないかと早くも再び恐怖でいっぱいになってしまい、保健室を出てきたことをものすごく後悔した。そんな僕の心配をよそに午前中の授業が何事もなくすべて終わった。僕は給食の時間が恐ろしかった。また何か汚い物を無理やり食べさせられるのではないかと思ったからだ。どうしよう、逃げようか? いや、今まで何にも起きなかったんだ、給食の時間だってきっと何も起きない。僕がもやもやとした気分でいるとアームストロングの声が聞こえた。
「ほらみんな、きちんと列を作って食堂へ行きますよ。」
クラスの奴等は文句を言ったり喋ったりしながらも列を作り始めた。何だか今日は変だ、何だか違和感がある。でも僕は何が変なのかがよくわからずに言われるままに列に加わった。僕達が列を作り終わるとアームストロングは先頭に立ち僕達を誘導しながら食堂へむかった。僕は何にも食べたくはなかったが、それでも配給の列に並んで給食を貰った。僕は誰からも一緒に食べようと誘われることもなかったので窓側の席に1人で座ってパンを食べようとちぎり始めた。しかしどうしても食欲がわかなかったので結局パンを細かくちぎっただけで片付けようと席を立とうとした。そして腰を上げようとした時に僕の回りに数人のクラスの奴等が立っていることに始めて気が付いた。
「ねえ、ちょっと手伝って欲しいの。私達と一緒に来てくれないかしら?」
その中の1人が僕に言った。もし回りにいるのが男子だったら僕も警戒していただろう。でも女の子だったのでなんの疑いもなしに僕は手伝うことにした。
「うん、いいよ。ちょうど僕も食事が終わった所だし。どうしたの?」
僕は彼女達について一緒にに食堂を後にした。
「ねえ、さっきも聞いたけど何を手伝ってもらいたいの?」
僕は返事がなかったのでもう一度聞いてみた。でも彼女達はただひたすら歩いているだけで何にも答えてはくれなかった。誰一人として何も喋らないのだ。普通女の子の集団といったらお喋りばかりしているものなのに。僕が何かがおかしいと思った瞬間に彼女達が急に立ち止まった。ここは……。気が付くと僕は職員用のトイレの前にいた。どうして職員用のトイレなんかの前で立ち止まるんだ? 僕がそう疑問に思った瞬間に急に女の子の1人がトイレのドアを開けて僕を中に突き飛ばした。僕がよろけて床にひざまづくとトイレのドアが閉まり鍵がかけられた。騙されたんだ……。こいつらアームストロングに手を貸したんだ。僕は何てバカなんだ。僕から血の気が引くと同時にひざまづいている僕の前に汚らしい黒い毛がボウボウに生えている汚い生足と足の甲の肉がはみ出している真っ赤なピンヒールが現れた。ああ、このみっともなさはあいつしかいない。僕が恐る恐る顔を上げるとそこには思った通り、醜いアームストロングの顔があった。アームストロングも恐ろしかったけれどそれと同じくらい僕はこの臭すぎる匂いも恐ろしかった。まさか……。
 




