3 悪臭
「おはようございます。」
私と息子は挨拶したがおもいっきり無視され、ホーワードの口からは飽きもせずにお得意の自慢話が出てきた。
「見てご覧なさい。すばらしい教師達でしょう。この学校のためにこの私が特別に選んだ者たちなんですよ。クリス、あなたは本当に本当にラッキーですね。本来ならば中途で編入なんてとうてい不可能なのですよ。この街に住んでいるすべての子供達が私の学校に通いたがるものですから、ものすごいウェイティングリストの数なんですよ。」
このばあさんはボケているのだろうか? 何度も何度も同じ話ばかりしている。だいたいそのものすごい数のウェイティングリストに並ぶ子供達はどこに行ったんだ? 一瞬にして消えてしまったのか?どうして引っ越してきたばかりの私の息子がその人気校に入ることができたんだ? 賄賂だって渡していないのに。この矛盾にホーワードは気づいていないのだろうか? それともわかっていて虚しい作り話をしているのだろうか? 私はこのホーワードの話を聞きながら様々なことが頭の中をぐるぐるとしていた。しかしこの国には学校のランクが政府によって付けられていた。そして確かにこの学校はこの政府による調査によると教師の質も生徒の質もトップクラスだったのだ。それにしても……。私はホーワードのこの矛盾しまくる自慢話にいいかげんに嫌気がさしていた。そしてその嫌気が頂点に達したのは優秀で美人な人気者だという息子の担任となる教師を紹介された時だった。
「クリス、こちらがあなたの担任のアームストロング先生です。とても優しくて思いやりのある先生ですからね。この私が自ら選び抜いた教師から指導してもらえるのですから、あなたは本当にラッキーですね。」
そういって紹介された豚、もとい教師はものすごい不細工な肉の塊だった。いや、べつに容姿などどうでもよかった。しかしこの肉の塊はこともあろうことにセルロイドの割れまくった汚らしい太股をさらけ出しパンツが見えるくらいの超ミニスカートをはき、ブラジャーの線がくっきりわかるピチピチのシャツを着ていたのである。あげくの果てにちりちりの頭には大きなピンク色のリボンが刺さっていた。みっともない……。私はおもわず声に出してしまいそうだった。さすがの息子でさえも唖然として開いた口が塞がらなくなっていた。当然だろう、息子にとって教師というものはつねに彼ら生徒達のお手本であったのだから。きちんとした身なりは当然のこと、きちんとした体系を保っていた。どの様に堕落しただらしのない生活をしたらここまでぶよぶよになるのだろうか? 私が飽きれて口もきけないでいるとアームストロングはちりちりの毛をくるくると指で絡めながら大きなため息とともに口を開いた。
「あんたが新しい生徒なの? クリスと言う名前だから白人だとばっかり思ったよ。」
豚からでた始めての言葉がこれだった。いや、豚に失礼だから豚と呼ぶのはやめよう。豚は綺麗好きだというし、なによりも可愛らしい。アームストロングは実に醜くかった。醜い外見をもつ者は心が醜い者が多いというのはまんざら外れでもないな、私は始めてアームストロングを見たときにそのように思ったことを今でも覚えている。それに言葉も下品だ。どうしてこんな出来損ないが教師なんてやっていられるんだろう。そして当然アームストロングの言葉に私は内心ムッとし、 ”白豚が何様だよ” と思いながらも怒りをこらえてにっこりしながら答えた。
「父親が北欧人で母親の私はアジア人なんです。」
人種差別などこの町へきてから1週間、何度も受けている。そんな下らない町なのだろうから気にしないことにしていた。くだらない人間に腹をたてるだけ時間と気力の無駄だ。
「なに? 北欧? じゃあこの国の血が全く入ってないじゃないのさ? なんでここにいる? 国に帰ればいいじゃないのさ。」
アームストロングの次の台詞はこれだった。どちらかというと気性の激しい私は怒りで爆発しそうであったが、これには心が優しくオールウェイズスマイルがモットーの息子でさえも流石に笑顔を作ることができなかったようだ。息子の顔は思い切り引きつっており体も硬直してしまっている様に私には見えた。どうして、どうして私はこの時に息子を連れてこの学校を去らなかったのだろうか? 私の頭もかなり混乱していたのだろう、それ以外には息子をこんなところに1人で残していった理由が考えられない。私は入学手続きをするために職員室へ残ることになったが、息子はアームストロングにつれられて教室へ行ってしまった。息子の後ろ姿があまりにも寂しそうで私の胸はとても痛んだ。
教室を持たないホーワードは教師達が次々と各教室へむかい1人残されて退屈になったのだろう、書類を記入している私の所へ来て飽きもせずに自慢話を始めた。私は心のなかでは口が悪いが、ネガティブなことであればそれを口にするこほとんどなく、心に止めておけた。相手をするのすら面倒くさかったので、私はホーワードの自慢話にあわせておくことにした。
「本当に息子はラッキーですね。アームストロング先生も優しそうですし、あなたのようなこんなに素晴らしい副校長がいればこの学校も安泰ですね。」
嘘ばかりを並びたてた台詞に思わず吹き出してしまいそうになる自分を押さえ、そして心の中では舌を出しながら私はお得意のおべっかを使った。普通の人間ならこれが嫌味だと理解できるのだろうが、なにせ頭の悪い女だから私の言っていることを本気にしてニヤニヤしている。オールウェイズスマイルがモットーの息子とは異なり、私のモットーは ”バカはおだてるに限る” である。こんな所に長居したらますます気分が悪くなると思った私はとっとと手続きを終えて校舎の外へ出た。すると驚いたことに、まだまだ沢山の父兄と子供達が校庭に残っていた。中には息子より年が上に見える子達もいた。
「ママ、学校いやだよ。家に帰ろうよ。」
子供達の口から聞こえてくるのはみな同じ台詞だ。泣いている子までもいる。都会の学校では見たことのない不思議な光景だった。
「アームストロング臭いから嫌よ。」
1人の女の子が泣きながらそう言っているのが聞こえた。アームストロング? 息子と同じクラスかしら? 9歳の息子は5年生だ。私はその子の所へ言って声をかけてみることにした。
「おはよう、ねえ、あなた5年生かしら?」
私の突然の声かけにその子はびっくりした様子だったけれども、母親にもたれながらそっと私に向って頷いてくれた。本当は少しその子と話がしたかったのだけれども、その女の子は母親に引っ張られながら教室まで連れていかれてしまったので、私は諦めて1人で校舎を出た。家へ帰ろうと歩き出した時、さきほどの母親が私の所へ駆けつけて来てこう言った。
「 あの、よければ家にお茶をしにきませんか?」
そして母親の後ろではまだ女の子は泣き続けていた。泣くほど学校が嫌だなんて、可愛そうに。
「娘は今日は家に連れて帰ることにしたの。今担任の許可を取ってきたところなのよ。」
そう言うとその母親は娘をぎゅと抱きしめた。この町と人々に良い印象を持っていない私はこの突然のお誘いを少し考えたのだが、この母親の娘を見る心配そうな顔を見ていたらこの人達は信用できるのではないかと思い、思い切って誘いを受けることにした。それに私はこの女の子とも話がしたかった。こうして私はリリーとリサに出会ったのであった。