32 拉致
「お前そんな恰好で何してるんだ。学校に行きたくなくて家を飛び出したのか? 靴すらはかないで、情けないなあ。」
そう言いながらアームストロングは醜い顔をより醜くして笑いだした。僕が逃げることもできず呆然と立ち尽くしているとアームストロングはゆっくりと車のドアを開けて僕の側に来た。
「逃さない。お前をボロボロにするまで逃さない。」
ヘドロのような匂いがアームストロングの口から臭った。そしてアームストロングは僕の腕をその汚い手で掴んだ。折角シャワーで綺麗にしたのに、僕の腕がまたアームストロングに汚される。僕はもうそれこそ気が狂いそうだった。本当に何もかも諦めて気が狂うことを選んだらもしかしたら楽になれたのかもしれない。
「お前をボロボロにするまで逃さない。」
再びそう言うとアームストロングは僕を無理やり車の中へ押し込んだ。その時ふと反対側の道路に誰かが歩いているのが車の窓から見えた。あの後ろ姿は事務員のおじさんだ! 僕に一筋の希望が見えた。おじさん、お願いだよ僕に気づいて!
「助けて、僕を助けて。」
僕は夢中で叫んでいた。おじさんは僕の声が聞こえたのだろうか? 立ち止まり一度振り向いてキョロキョロとしていた。突然声を出した僕に驚いたアームストロングが僕の口をとっさに塞いでしまった。それでも僕は負けじと助けてと言い続けた。しかし塞がれてしまった口からは当然声など出ずにそしておじさんは僕に気がつくことなく再び歩き出してしまった。
「お前、声を出すんじゃないよ。今のはただの怠け者の用務員のジジイだ。あんな奴どちらにしても助けを求めるだけ無駄だよ。」
そう言いながらアームストロングは僕の口の中に汚らしいハンカチのようなものを突っ込んだ。そして楽しそうに笑い出したかと思ったらアームストロングはピンクのフリフリが付いたまるで幼稚園児が持っているような鞄から携帯を取り出して電話をかけはじめた。どこにかけているんだろう。電話の相手が出るとアームストロングはいつもとは違った猫っかぶりの甲高い声で話し出した。
「朝早くから恐れ入ります。私ディーロッジのアームストロングと申しますが、クリスのお父様でしょうか?」
こいつパパに電話してるのか? パパはだめだ、アームストロングの嘘を見抜く力もない。パパに電話してどうしようっていうんだ。もう家へだって帰りたくないし帰ったところで学校に連れていかれるんだ。アームストロングは僕の顔をみるとニヤニヤして続けた。
「実はクリスが靴もはかずに歩いているのを見つけまして、私が保護しているのですがどうしましょう? ええ、ええ。ええ、はい、わかりました。どうぞご心配なく。私がきちんと学校まで連れていきますので。はい、いいえ。教師として当然のことですわ。では失礼致します。」
電話をきるとアームストロングは汚い顔を再度僕にむけてニヤリと笑った。
「お前の親父はホントにチョロいな。あなたのような素敵な教師に恵まれて息子は幸せです、だってよ。まあ、それは本当のことだけどな。ああ、それからな、親父が靴を持ってくるそうだよ。お前は私と一緒に学校へ行くんだ。この美人教師アームストロング様直々のエスコートだ、お前は本当に幸せ者だな。ますますクラスの餓鬼共から嫉妬されるぞ。」
僕はパパのバカさ加減にほとほと嫌気がさしていた。こんな奴にコロッと騙されるなんて……。そして僕はアームストロングの内面だけではなく外見の醜さと汚さにも参っていた。もう歯向かう気力すら残っていなかった僕はそれこそ気が狂ってしまえばいいと、いや、気が狂って何もかもわからなくなってしまいたいと心底願っていた。




