2 学校
「それでは、学校は来週から始まります。その時に担任に紹介しますから出席をとる10分前に職員室へ来てください。クリス、あなたの担任の先生はねえ、とても優秀で美人で生徒達に人気があるのですよ。あなたは本当にラッキーなのですよ。本来なら順番待ちが長く続いていて途中入学なんてありえないのですから。本当に、この学校は素晴らしくて……。」
副校長であるホーワードの自慢話がまた始まった。呆れ果てた私はもう話を聞くのすらやめることにした。同じ話をまともに聞いていても腹が立つだけだ。しかし息子は下らないホーワードの話すら熱心に聞いている様子だった。この後もホーワードの自慢話はまだまだ続き、開放された時には外はもう薄暗くなっていた。夏休みのため学校には少数の教師しか来ていないようだった。当然生徒達もまだ来ていない。そんな中で行われる学校見学など30分もあれば終わるだろうと思っていたのに気がつくと3時間も経っていた。3時間もホーワードの下らない自慢話に付き合わされたのだ。しかも同じ台詞の繰り返しを。私は学校の門をくぐり外にでた時にようやく呼吸をすることができた。ものすごい開放感だった。しかしそんな私をよそに息子の方は嬉しそうに私に言った。
「ママ、引越しは寂しかったけど、でもきっとこの学校楽しいよ。僕の先生美人だって。ちょっと楽しみ。」
9歳児は美人好きだ。そりゃ、不細工より美人の方がいいだろう、男の子だ。しかしそんな無邪気な息子から笑顔が完全に消えるのに少しも時間はかからなかったのだった。
9月の初めに学校が始まった。興奮してよく眠れなかったという息子は、朝ご飯もあまり食べられない様子だった。
「大丈夫?ご飯食べないとお昼までもたないわよ? 」
私は相変わらずわけのわからない不安でいっぱいだったが、初日ということもあり明るく振る舞う努力をした。
「大丈夫だよ、ママ。昨日の夜に沢山食べたからお腹がすいてないだけだよ。ママの朝ご飯はいつも通りとてもおいしいんだよ。」
無邪気な息子になぜだろう、私はよりいっそう不安になり思わず口から本音が出てしまった。
「ねえ、もし具合が悪いのだったら学校お休みしてもいいのよ。良く寝れば元気になるし。」
本当はこのまま息子を家へ置いておきたかった。それくらい私は不安だったのだ。しかし肝心の息子は食卓を離れると歯を磨き制服に着替えて学校に行く気満々だった。まだ家を出る時間は少し早かったけれどもどうやら息子はじっとしていられない様子だった。
「ママ、僕準備できたよ、はやく学校に連れて行ってよ。前の学校みたいに授業の前に校庭でサッカーしている生徒達がいるかもしれないよ。そうしたら僕、仲間にいれてもらうんだ。ママ、早く行こうよ。」
この国では 10歳以下の子供の1人歩きは禁止されていた。治安があまりよくないのでしかたがないとは思っていた。治安の問題だけではなく、 ”車の国” と呼ばれていて歩行者などただの貧乏悪者あつかいだった。車がないから歩いていると本気で思っているらしかった。運動や健康という言葉はこの国には存在すらしていないかのようだった。そしてどんなに狭い道路でもものすごいスピードで走っていく車ばかりで事故が耐えないことでも有名だった。子供を守るには1人で外を歩かせたくないというのも頷けた。当然子供達の学校への通学も親同伴である。息子の通う小学校は私たちの家からとても近くにあり、歩いて2~3分しかかからなかったが、こんな距離ですら親は同伴しなくてはいけなかったのだ。もうこれだけでもすでにこの国は十分おかしいではないか。どうして車を運転する者達は子供の多い通学路すら普通に運転することができなかったのだろうか? どうして様々な理由をつけて子供達をしばりつけて監視しなければいけなかったのだろうか? 長い人生の中のほんの一時だけだったが、私と息子はなぜこんな所で生活することができたのか本当に不思議だ。
楽しそうにはしゃいでいる息子にそそのかされて、私も息子を送っていく準備を始めた。ホームルームの時間にはまだ早すぎたけれども、息子の言う通りもしかしたら早く通学して校庭で遊んでいる生徒がいるかもしれない。学校までのほんの短い時間だが、息子はどんなにこの初日を楽しみにしていたかということをいろいろと話してくれた。例の美人先生と会えるのを楽しみにし、そして新しいクラスメイトとの出会いを心待ちにしていたことが私にもよくわかった。しかし、残念ながら学校に到着した私達は静まり返った学校の校庭にがっかりすることとなってしまった。誰1人としてそこにはいなかった。
「誰もいないわね、まあ、夏休み明けだからしかたがないわね。普段はもっと賑やかなのかもしれないわよ。」
私は息子を慰めたかったのだが、何と言っていいのかわからなかった。
「そうだね……。」
私が息子の顔を見ると彼はうつむいしまっていてとても悲しそうに見えた。
「そんなにがっかりしなくたっていいじゃない。きっとすてきなお友達ができるわよ。」
本当にそうなって欲しい。息子はとても明るいし人なつっこく今までも友達はたくさんいたので、友達作りに関しては私は何も心配はしていなかった。たとえこの学校にホーワードの様な下らない教師がいても良いお友達に恵まれればそれがなによりだとこの時は思った。10分位息子と校庭に立って誰かが来るのを待っていたが結局誰も来ることはなかったので、少し早かったけれども職員室へ行くことにした。学校が始まっただけあって職員室にはたくさんの教師達がおり忙しそうにバタバタと動きまわっていた。ホーワードは私と息子を見つけると、失礼にも自分の方へ来いと手招きした。まったく人を何だと思っているのだろう、出迎えるという事も知らないのだろうか? バカの多い国で有名だがホーワードは正真正銘バカでどうしようもない女だな、と思いながらも私は息子と共にホーワードの方へ歩いて行った。