12
心地よい風が身体を吹きつける。
梨音の《空間転移》によって無事街の外へ出ることができた俺たちは飛行しながら目的地へ向かっていた。
今までに亡霊と戦闘した回数はゼロ。
目下では数十体の亡霊が指をくわえながら俺たちを見ている。
「真志さん、あなた賢いわね」
「だろ? 亡霊の行動範囲は地面限定だからな」
ティグリスの賞賛を自慢げに受け止める。
亡霊には羽がない。
そう。奴らは空を飛ぶことができないのだ。
だからこそ、俺たちは亡霊と戦闘せずに済んでいる。ホント、ティグリスとルナに羽があってよかったよ。もしどちらかが飛べなかったら、今頃数十体もの亡霊を相手にしているせいで半分以上も距離を稼げていなかったのだから。
「運ぶ身にもなってくださいよ。結構大変なんですよ」
不意に俺を抱きかかえているルナが文句を言ってきた。
「よかったじゃないか。筋力トレーニングができて」
「よくないですよ。それともトノサマは筋肉モリモリの女性がいいとでも言うのですか?」
「うーん……まぁ、ないよりは」
チラッとルナの胸元を眺める。
「落としますよ」
「ごめんごめん、今のは冗談だ」
本気で落とされ兼ねないのですぐに謝っておく。コイツ、自分の胸にかなりのコンプレックスを抱いているからなあ。
「でも安心しろ。俺は今のままが一番いいと思っているぞ」
「嘘つかないでください」
「嘘じゃねえよ。大事なのは見た目。大きければいいってもんじゃない」
「トノサマ……」
ルナが頬を赤らめる。
そう。大切なのは大きさではない、見た目なのだ。
その人の体形に合っているか、どうか。
すなわち、いくら大きくても不釣り合いだったら意味がないのだ。
その点においてルナは完璧といえるだろう。
スレンダーな身体に似つかわしい大きさ。
それ以上でもそれ以下でもない。
まさに理想。
本人は気にしているようだが、絶対にこのままがいいと思う。
それに小さい方が感度はいいって聞くし……。
ティグリスがコホンと咳払いした。
「真志さん。前々から思っていたけど、あなたとんでもない淫獣ね」
「なっ!? なんだよいきなり!?」
「だってこんな状況だというのに平気でえっちぃトークをしているのよ?」
「……全てルナのせいだ。コイツと一緒にいたらそうなっちまうんだよ」
「勝手に人のせいにしないでくれます!?」
頬を膨らませてプンスカと怒るルナ。
でも事実だ。俺は元から変態だったわけじゃない。
健全な……そう、健全な一般男子高校生だったのだ。
それなのにルナが、この変態痴女契約者が現れたせいでおかしくなってしまったんだよ。
いつの間にか、こんなに平然と変態トークができるほどに。
ティグリスがクスッと笑った。
「しばらく見ないうちにずいぶん成長したようね、ルナ。あなたもしかして女になったの?」
「はい? 寝ぼけているのですか? 私はもともと女ですよ」
「いえ、そういう意味ではなく……っと、見えてきたわね」
ティグリスが前方を指さした。
あぁ、確かに見えてきたよ。自殺願望者の赴く、亡霊の巣窟が――。
数百メートル先に見える崖。
もとい、大きな穴。
文献から得た情報通りであれば、直径三キロメートル、深さ二百メートル。
その下に広がる亡霊に占拠されてしまった街――リリム街。
現在、亡霊の巣窟と呼ばれている場所だ。
俺たちは周囲に亡霊がいないことを確認してからゆっくりと穴の手前に降り立った。
「問題はどうやって下まで降りていくか、だな」
リリム街の入り口は一か所。
壁に沿ってできた狭い道だけ。
一応、ルナたちの羽を活かしてそのまま降りるという方法もあるが、
「対ミフィール用のトラップ。まだ残っているのかしら」
そう。ティグリスが呟いた通り、通路以外には様々なトラップが仕掛けられているのだ。
仕掛けられたのは数百年前、ミフィールとの大戦争の時であるが……大戦終了後、すぐ亡霊に占拠されてしまったため、すべてのトラップが解除されているとは限らない。
もし対ミフィール用のトラップが作動すれば、大事に至ることは間違いないだろう。
ルナがちょいちょいと服の袖を引っ張った。
「トラップって、一体どんなトラップがあるんですか?」
「なんだお前、知らないのか?」
「はい、興味ありませんし」
「興味ないって……まぁいい、簡単に説明してやるよ。まずは――」
と、無知な子にもわかりやすく説明してあげる。
リリム街の住民は最初で最後の対ミフィール用の兵器を作り上げた人たちである。
最も有名な兵器はラピスブラッドであるが、他にもミフィールにのみ有効だといわれる毒ガス、斬りつけた直後に身体が炎上するといわれる魔剣、ミフィールの存在を感知した直後、対象の首を切断しにかかる真空の刃など、恐ろしいものが多数存在するといわれている。
仕掛けられているトラップは毒ガスと真空の刃。
もちろん解除されている可能性はあるし、数百年の時を経て使い物にならなくなっている可能性も十分に高い。
が、ゼロというわけではない。
現にラピスブラッドは効果を発揮したのだ。安直な行動は慎むべきだろう。
「どうしてリリム街に住んでいた人が最初で最後の対ミフィール用の兵器を作り上げた人たちなんですか? 技術が広まっていないことが不思議なんですが」
「さぁな。詳しいことはわからないけど、数百年前は俺たちみたいな迷人なんて存在しなかったからな。他の街へ行き来する人がほとんどいなかったんじゃねえのか?」
昔のことなんて知らないけど、迷人がこの世界に出現するようになってから人の行き来が少しずつ増えてきたといわれているため、あながち間違ってはいないだろう。
結局、トラップの危険性を考慮した結果、非正規ルートでの侵入は止めておくことに決まったのだが、
「通路を下ることも難しそうですね……うじゃうじゃいますし」
「そうなんだよな」
ルナの言う通り、唯一リリム街へ繋がる通路にはここから見える時点で数十体もの亡霊が存在している。
あれだけの数を一度に相手するのはいくらなんでも無謀だろう。絶対に無事では済まされない。
「なぁ、ティグリス。《空間転移》で下まで降りることはできるか?」
「無理ね。地を踏んだこともなければ見たこともないわ。条件を満たせていないのよ。というか、下はもっとすごいはずよ。ラピスブラッドがどこにあるのか把握していないのに、どうやってそれを見つけ出した上に持って帰るつもりなのよ」
「それは……んー、やっぱりここで一時間待つしかないか」
「一時間? どういうこと?」
「亡霊の活動時間だ。一時間後、亡霊は三時間の休息期間に入る」
亡霊には活動時間というものが存在する。
基本的には八時間行動したら三時間の休息を取る。
もちろん全員が全員一度に休息期間へ突入するわけではないが……そこは人間と同じ。夜に眠る人が多いように一度休息期間に入れば、ほとんどの亡霊が姿を消すのだ。
ティグリスが意外そうな顔をした。
「なんでそんなことがわかるのよ」
「以前亡霊の出現時に襲われただろ? その時から逆算すればすぐに答えは出る」
と、当然のように答えると、ティグリスはなぜか得意げな顔をしているルナの方を向き、
「あなたのご主人様、頭おかしくない?」
「なっ!? なんでそうなるんだよ!?」
「だって普通覚えてないわよ、亡霊に襲われた時間なんて」
「そうか? 風紀部隊に務めている奴なら基本中の基本だぞ」
特に第三課の隊員はほぼ全員が覚えているだろう。
なにせ第三課は街の外に出る任務が基本だから――。
「時間は間違いないのよね?」
「おう。念のためにもう一度計算してみるけど……うん、間違いない」
「そう、わかったわ」
どうやらティグリスは信じてくれたようだ。
「じゃあ一時間後に行動するってことでいいのね?」
「あぁ。だから制限時間は三時間。それまでの間にラピスブラッドを見つけ出すことができなかったら一度ここへ戻ってくる必要がある。犯人がどれだけ気長かわからない以上、なるべく一度目の侵入で例のブツを大量に入手しておきたいけど――」
「無茶して死んだら元も子もないからね」
「そういうこと。全力は尽くすがその時はその時だ。街に戻るわけにはいかないからな。失敗した場合、この場で八時間待つ破目になる」
「しかもそうなった場合、寝ることすら不可能になるわね。体力的に考えるとなんとしてでも一度目の侵入で成功させないと」
と、俺とティグリスはお互いに頷き合い、
「わかったか、ルナ」
「わかったわね、ルナ」
「え、なんで私に確認を取るんですか?」
二人してルナを見つめると、彼女は納得がいかないと言いたげな顔をした。
「お前が一番残念な思考回路をしているからに決まってるだろーが」
「トノサマ!?」
「真志さんの言う通りよ。あなたバカなんだから、しっかりわたくしたちの言うことを聞きなさいよね」
「ティグリスまで!?」
と、当然のように残念な子扱いをした結果、ルナは――。
「どうせ、どうせ私はアホの子なんですよ……」
拗ねてしまった。その場にしゃがみ込んで土を弄っている。
これだけ自覚させておけば大丈夫だろう。
あとは一時間、なるべく亡霊との戦闘を回避しながら待つだけだ。
そして一時間後。
入り口付近に群がっていた亡霊が霧散したのを確認してから、俺たちはすぐに坂を下り始めた。
亡霊の巣窟に入るのは今回が初めて。だから崖に沿ってできた坂道を素直に下っていけば目的地へ辿り着けるのか不安だったけど、
「案外、すんなり降りられたわね」
「逆に何も起きなかったのが怖いくらいだな」
そう。なんと特に問題もなく一番下まで降りることができたのだ。
対ミフィール用のトラップが発動したわけでもなければ、時間外にも関わらず複数体の亡霊に襲われたわけでもない。
ここまでかかった時間はだいたい二十分。
亡霊と一度も戦闘していないため、帰りは余裕を持って四十分くらいは見ておいた方がいいだろうか――。
「それよりも問題はここからだな」
無事辿り着いた先は、森と化した街だった。
石畳を貫通している巨大な木。腐敗してボロボロになった屋根に生えた謎の植物。カビによって真っ黒くなった窓ガラスや異臭を放っている風呂桶と思しきものなど。
数百年以上放置されているとは知っていたが、まさかこれほど酷い状態だとは思ってもいなかった。
これではラピスブラッドを探そうにも、どこを探せばよいのか全く見当がつかない。
「迷っている暇なんてないわよ」
立ち止まった俺を見兼ねたのか、ティグリスが腕を引っ張った。
「わかってるよ。でも、闇雲に探してもダメだろ」
「それはそうだけど、何かいい案でもあるのかしら」
「んー、いい案ねえ……」
少し考えてみる。ラピスブラッドの在り処を――。
ミフィールとの戦争時に作られた切り札。この街に住んでいた民がどんな考え方をしていたのかはわからないが、いくら対ミフィール用のトラップを仕掛けているとしても切り札を安直な場所に保管するはずがない。
もしミフィールにラピスブラッドを盗まれ、それを無効化する何かを生み出されてしまったら。
そう考えれば、必然的に――。
「よし、中心部へ向かおう。厳重に保管できそうなところとか、隠し通路があったらそこをあたっていく」
「……なるほどね。それじゃあわたくしは」
と、ティグリスが何か提案しかけたところで。
「早速、お出ましみたいよ」
「そうらしいな」
俺も気配を感じ取った。
右方に一体。左方に一体。
計二体の何か。
まだ姿を確認したわけではないが……この感じ、亡霊で間違いない。
すでに武装済みの俺が《漆黒の大鎌》を召喚すると、ティグリスが手を横に出し、
「ここからの戦闘は全てわたくしに任せてもらってもいいかしら?」
「なんでだよ。二人でやる方が安全だろ」
「体力の温存。真志さんにはいざという時にあの力を開放してもらうことになるから」
あの力、か……。
「できることならアイツには身体を譲りたくないんだけど」
「あら? そんな余裕があると思って?」
「……わかったよ。でも本当に一人で大丈夫なのか?」
「大丈夫」
「亡霊を二体同時に相手なんだぞ?」
「大丈夫よ。わたくしをなめてもらっては困るわ。《完全再現》の力、見せてあげる」




