第二話 招かれざる「気配」と、初めての共同作業?
ギルドから受け取った錆びついた鍵を差し込み、重い扉を開く。 そこは、数十年分の埃が粉雪のように積もり、至るところに巨大な蜘蛛の巣が揺れる、文字通りの廃屋だった。普通のお嬢様なら悲鳴を上げて卒倒するような光景だが、紬の目にはここが「自分好みにカスタマイズできる宝の山」にしか見えていない。
「……いいわね。この荒れ果てた感じ、まさに誰も寄り付かない聖域ってわけね。よし、まずは徹底的な清掃。それから防音・遮光・湿度の管理……。社畜時代、デスクの下でいかに快適に寝るか腐心した『極限状態でのQOL向上術』を見せてあげるわ」
紬は腕まくりをすると、さっそく市場へと買い出しに走った。路銀は限られているが、睡眠環境への投資を惜しむのは、彼女の辞書にはない。 まず着手したのは、光と音の完全遮断だ。 紬は市場で、現地の猟師が防寒用に使う安価で分厚いフェルト生地を大量に買い込んだ。さらに、以前王都で回収した「アルミ蒸着の保温ブランケット」を裏地に仕込み、それを贅沢に二重に重ね合わせ、異世界特有の建付けの悪い窓枠に、端切れを詰め込みながらピッチリと留めていく。
「異世界の窓は隙間風が多すぎるのよ。これじゃあヒューヒューという風鳴りで脳が覚醒しちゃうし、冬の寒さで血管が収縮して睡眠が浅くなるわ。こうして四隅を密閉すれば……よし! 『完全遮光・防音・断熱カーテン』の完成ね。これで昼間でも室内は新月のような真夜中。一級遮光カーテンも真っ青の暗黒空間だわ」
紬は満足げに頷いたが、このアルミ層が図らずも「魔力の反射・遮断」という副次効果を生み、外からは魔力が一切通らない不気味なブラックホールに見えることなど、知る由もない。
次に着手したのは、家の心臓部――寝室である。 紬は寝具店で「中身が偏っている」と叩き売りされていた安価な羽毛を回収し、一度屋上で天日干しにして湿気を飛ばした。そこに、道中の森で採集しておいた、ラベンダーに似た鎮静効果のあるハーブを乾燥させて混ぜ込む。
「ただの枕じゃないわ。これは現代の人間工学を意識した『オーダーメイド枕』よ」
紬は、自分の首のカーブを支えるのに最適な高さをミリ単位で探り、ハーブと羽毛の比率を調整していく。後頭部が沈み込み、頚椎が自然な曲線を描くその感触は、異世界の高級ホテルでも味わえない至福のフィット感を生み出した。
さらに、清掃にも現代の知恵を投入する。 「魔法なんて高級なものは使わないわよ。ハーブを焼いた灰を撒いて、埃を吸着させてから一気に掃き出す。これ、おばあちゃんから教わった生活の知恵よ。灰に含まれるアルカリ成分が汚れを落としてくれるし、ハーブの消臭効果でカビ臭さもサヨナラだわ」
数時間後。外界の音は、石造りの分厚い壁と自作の防音フェルトによって完全にシャットアウトされた。光も、埃も、一切届かない。 そこにあるのは、リラックス効果抜群の淡いハーブの香りと、天日干しでふっくらとした清潔な寝具の匂いだけだ。
最後に、紬は吸い込まれるようにベッドへ倒れ込み、その弾力を全身で確認した。
「……あぁ、これよ。これこそが私が求めていた『有給休暇』。準備は完璧に整ったわ」
彼女は満足げに、頬を枕に沈めた。 スマホの容赦ない通知も、上司のヒステリックな叱責も、王子の傲慢な高笑いも届かない。この世にたった一つ、安藤紬が自分の手で築き上げた「安眠の城」。
「まずは……そうね。とりあえず明日の夕方まで、一度も起きずに寝倒してやるわ。おやすみなさい、世界……」
紬は至福の表情で、顎まで毛布を引き上げた。 彼女の意識は、綿菓子が溶けるようにゆっくりと、しかし確実に、深くて甘い眠りの底へと沈没していった。




