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聖女の力は安眠のために。〜ブラック企業帰りの私は、現代知識で冷徹公爵を寝かしつけます〜  作者: サバ味噌饅頭
第2章:フェルゼン領のボロ家と、安眠の第一歩

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8/10

第一話 理想の「暗闇」を手に入れる

王都を離れて一週間。ガタゴトと揺れる乗合馬車の苦行を終え、紬が降り立ったフェルゼン領の街は、深い針葉樹の森に囲まれ、ひんやりとした清涼な空気に満ちていた。


「……完璧。このマイナスイオン。空気が美味しいっていうか、肺が洗われる感じ……。排気ガスの味がしない空気がこれほど贅沢だなんて、日本にいた頃の私に教えてあげたいわ」


紬は、あの傲慢王子から投げつけられた「路銀」の入った革袋を、懐の中でぎゅっと握り締めた。この中身は、彼女にとって「人生初の自由」を買い叩くための、何にも代えがたい軍資金だ。一銭たりとも無駄にはできないし、余計な見栄に使う気もさらさらなかった。


彼女が不動産ギルドに駆け込み、真っ先に目をつけたのは、街外れのどん詰まり、森の境界線にぽつんと立つ古い石造りの空き家だった。


「お、お嬢さん。本当にあそこでいいんですか? 他にもっと、こう、新しくて日当たりの良い、可愛いらしいお部屋もありますよ?」


地元の不動産ギルドの職員は、提示された格安の価格に秒速で飛びついた紬を見て、引き攣った笑顔で必死に引き止めた。


「日当たりなんて最悪でいいんです。むしろ日光は敵ですから。それより、この物件だけ異常に安い理由は何ですか? 事故物件? それとも白アリ?」


「いえ……白アリなんて可愛いもんじゃありません。そこは十年前から空き家で、夜な夜な『この世のものとは思えないうめき声』が聞こえてくると評判の幽霊屋敷なんです。不気味な黒いモヤを見たっていう証言もあって、教会も『呪われている可能性がある』と匙を投げた物件で……」


職員が声を潜めて恐怖を煽るが、紬の反応は彼の予想を斜め上に裏切った。


「幽霊? 結構じゃない。騒ぐタイプじゃなければ、最高のルームメイトよ」


紬の言葉に、ギルドの職員は完全に言葉を失った。 彼女にとって、物理法則を無視して現れる霊体よりも、就業規則を無視して現れる「追加の修正依頼」の方がよほど呪わしく、おぞましい存在だった。


「いいですか。午前二時に『このフォント、なんか違う気がするんだよねー』とか枕元で囁いてくる上司や、バイブ音だけで心臓を跳ねさせるクライアントからの着信に比べれば、ただ虚空を見つめてシクシク泣いているだけの幽霊なんて、むしろASMR(癒やしの環境音)だわ。除霊? 必要ないわよ、寝息代わりに聞いてあげるから」


紬は、半ば強引に奪い取るようにして古い錆びついた鍵を掴み、意気揚々と街外れの「幽霊屋敷」へと向かった。


たどり着いたその家は、確かに凄まじい外観だった。 鬱蒼とした森の木々に飲み込まれかけ、石造りの壁には不気味な黒い蔦が這い回っている。だが、紬が真っ先に確認したのは、建物の「構造」だった。


「……完璧。この壁の厚み、見てよ。中世ヨーロッパ風の建築かと思いきや、防空壕並みの重厚感じゃない。これなら近所の子供が騒ごうが、ドラゴンが咆哮しようが、室内には一デシベルのノイズも通さないわ」


彼女はギィ……と不気味な音を立てる扉を開け、中へと踏み込んだ。 室内には重苦しい空気が淀み、不動産屋が言った通り、隅の方には「どろり」とした不気味な黒いモヤが溜まっている。普通なら腰を抜かす光景だが、紬は鼻をくんくんと鳴らした。


「……ふむ。カビ臭さはあるけど、この冷気……。地下水が近くを通ってるのかしら。天然のクーラーね。湿度は少し高いけど、これは加湿器いらずだわ。喉と肌に優しいじゃない」


彼女は、部屋の隅でゆらゆらと揺れる「黒いモヤ」に近づくと、それをまるで見慣れたゴミ箱か何かのように無造作に手で払った。


「ちょっと、そこ。そこは私のベッドを置く予定地だから、少し避けてくれる? 悪いようにはしないから。……ああ、この床の石の冷たさ、最高。ここに寝転がって、そのまま石像になりたい……」


紬の聖女としての無自覚な「癒やしの波動」が、彼女の言葉と共に部屋中に広がっていく。 すると、あんなに不気味だった黒いモヤが、なぜか「ひっ」と怯えたように縮こまり、部屋の換気口から外へと逃げ出していった。呪いすらも、紬の「寝たいという圧倒的な執念」には敵わなかったのだ。


「さて。まずは遮光ね。この窓、全部板を打ち付けてやるんだから……」


紬は、麻袋から現代日本の知恵の結晶である「アルミ蒸着の保温ブランケット」を取り出した。そして市場で買い込んできた、現地の猟師が使う分厚いフェルト生地。これらを二重に重ね合わせ、異世界特有の建付けの悪い窓枠に、端切れを詰め込みながらピッチリと留めていく。


「異世界の窓は隙間風が多すぎるのよ。これじゃあヒューヒューという風鳴りで脳が覚醒しちゃうわ。こうして四隅を密閉して、アルミ層で光を遮断すれば……よし! 『完全遮光・防音・断熱パネル』の完成ね。これで昼間でも室内は新月のような真夜中だわ」


次に着手したのは、寝室だ。紬は市場で叩き売りされていた安価な羽毛を回収し、一度屋上で天日干しにして湿気を飛ばした。そこに、道中の森で採集しておいた、鎮静効果のあるハーブを乾燥させて混ぜ込む。


「ただの枕じゃないわ。これは頚椎のカーブをミリ単位で計算した『オーダーメイド枕(異世界版)』よ」


さらに、ハーブを焼いた灰を撒いて埃を吸着させてから掃き出すという、おばあちゃんの知恵袋的な清掃術を投入。数時間後、外界の音は石造りの分厚い壁と自作の防音パネルによって完全にシャットアウトされた。光も、埃も、一切届かない。

そこにあるのは、リラックス効果抜群のハーブの香りと、天日干しでふっくらとした清潔な寝具の匂いだけだ。


「……あぁ、これよ。これこそが私が求めていた『有給休暇』。準備は完璧に整ったわ」


紬は吸い込まれるように、自分が作り上げた暗黒の聖域へと倒れ込み、顎まで毛布を引き上げた。


「まずは……そうね。とりあえず明日の夕方まで、一度も起きずに寝倒してやるわ。おやすみなさい、世界……」


紬が深い眠りに落ちたその瞬間、家全体が「魔力を一切通さない不気味なブラックホール」と化し、その気配を世界から消した。

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