第三話 「追放」は、最高のご褒美
「――おい。聞こえているのか、無能聖女」
重厚な石造りの裏門の前。紬は、二人の騎士によって無造作に地面へ放り出された。 「うぐっ……」 冷たい石畳の感触が頬に伝わる。本来なら絶望する場面だが、紬の脳裏をよぎったのは「ひんやりして気持ちいい……このまま寝かせて……」という、筋金入りの現実逃避だった。
「……あ、れ? ここは……」
「城の裏門だ。殿下からの温情に感謝しろよ。本来なら不敬罪で牢屋行きだが、『見るのも不愉快だから、路銀を握らせてさっさと放逐しろ』とのことだ」
一人の騎士が、面倒くさそうに革袋を紬の足元に投げ落とした。中からは、チャリンと鈍い金属の音がする。
「これが路銀と、最低限の食糧だ。あとお前の汚い私物も、この袋に入れておいた。……いいか、二度と王都へは戻ってくるな。お前のような『偽物』がうろついていると、真の聖女様の評判に関わるからな」
騎士は、紬の肩にかかっていた現代のビジネスバッグ――今はボロボロの麻袋に詰め替えられたもの――を投げ捨てた。 紬は、泥のついた石畳を這うようにして、その袋を手繰り寄せる。
「……えっと。確認ですが。……私、もう働かなくていいんですか?」
「はあ?」騎士が、汚物を見るような目で紬を凝視した。
「だから……、明日の朝イチの会議も、修正依頼への謝罪電話も、クライアントとの深夜の会食(接待)も……。もう、行かなくていいってことですか? 『君、明日から来なくていいよ』って……つまり、そういうことですよね?」
「……当たり前だろ。お前は『無能』として国から捨てられたんだ。仕事なんてあるわけがない。今後はどこかの街で野垂れ死ぬか、細々と平民として暮らすんだな」
騎士の言葉は、本来なら人生の終わりの宣告だ。だが、今の紬にとっては、**全能の神が授けた「赦し」**に他ならなかった。
「……有給休暇だ」
「あ?」
「無期限の……、全額支給(路銀付き)の……、有給休暇だぁぁぁぁ!!!」
紬は、震える足でよろよろと立ち上がると、天を仰いで両拳を突き上げた。 その背後で、王都の夕闇に沈む豪華な尖塔が、まるで彼女の自由を祝うキャンドルのように見える。
「やった……。やったわ! 誰にも進捗を聞かれず、好きなだけ寝ていいのね! 納期もない! 上司もいない! 異世界召喚、神アプデじゃない!!」
「な……っ。お、おい、ショックで頭が狂ったのか?」
「ふふっ、あははは! さようなら、エドワード殿下! 目の下に肝臓の疲れが出てたけど、せいぜい無理して頑張ってね! 私は一足お先に、最高の寝床を探しに行かせてもらいます!」
「行け! 行け、この狂い女め! 呪いが移る!」
騎士たちに門を閉められ、重厚な閂が下りる音が響く。 一人、王都の外へと続く街道に立ち尽くした紬は、麻袋の中身を改めた。
(……えーと、路銀が少しと、カピカピのパン……。そして、私の『聖遺物(オフィスからの私物)』……!)
袋の底から出てきたのは、転移の引き金となった**「錫のアロマキャンドル」、使い古した「ツボ押し棒(通称:社畜の杖)」**、そして……最後のエナジードリンクの空き缶。
(……これだけあれば十分。まずは、王都の喧騒が届かない場所へ行くわ。……湿度が安定していて、マイナスイオンが溢れていて、何より……『重度の不眠症』が一人もいない、静寂の聖地へ……!)
紬は、26年の人生で培った「効率的なリサーチ能力」をフル回転させた。 空の色、風の冷たさ、そして土の匂い。
(……北よ。北へ行くのよ。冷たくて清潔な空気。そこにはきっと、最高の睡眠環境が眠っているはずだわ……)
フラフラとした足取りながらも、紬の瞳には、現代での死んだような光ではなく、「安眠」という名の狂気的な情熱が宿っていた。 彼女が歩き出したその道は、後に「安眠の聖女の巡礼路」と呼ばれることになるのだが、今の彼女はただ、一刻も早く「横になりたい」という本能に突き動かされているだけだった。




