第二話 異世界の洗礼と、理不尽な「無能」宣告
「――目覚めよ、救世の聖女よ! 我らが祈りに応え、今こそその大いなる力を示せ!」
鼓膜を突き抜けるようなテノールボイスが、脳の奥深くに響いた。 紬は殺意を覚えた。いや、正確には「殺意を抱くためのエネルギー」さえも惜しいほどの、凄まじい不快感に襲われた。 せっかく、深海のような至福の暗闇に沈もうとしていたのに。目覚まし時計にしては、この音声はあまりにもデカすぎるし、情緒というものがない。
重い瞼をミリ単位でこじ開けると、そこは会社のグレーな天井ではなかった。 視界に飛び込んできたのは、無駄に高いドーム状の天井と、複雑な紋章が刻まれた大理石の床。そして、自分を囲むようにして立つ、時代錯誤な甲冑を着た騎士や、刺繍だらけの法衣を纏った神官たちの集団だ。
「……撮影? もしかして、寝ぼけてロケ現場に迷い込んだ?」
紬は這いつくばったまま、掠れた声で呟いた。
「おい、何をボケている! お前は選ばれたのだ。魔力不足に喘ぎ、滅びの淵にある我が国を救うためにな!」
中央に立つ、金髪をこれでもかと縦に巻いた派手な男――この国の第一王子、エドワードが尊大に言い放ち、一歩詰め寄ってきた。紬の意識はまだ半分泥の中にあったが、広告業界で鍛えられた状況把握能力だけが、かろうじて「あ、これ流行りの異世界召喚ってやつね」という結論を弾き出した。
「召喚……、代理店、通した……? 契約書は……?」
「何を訳の分からぬことを! 立て、無礼者。王子の前だぞ!」
騎士の一人が紬の腕を強引に掴み、引きずり上げる。膝がガクガクと震え、紬の視界は白黒の砂嵐が混ざる。
(それより、体が重い。……寝かせろ。石の床、冷たくて最高に気持ちよさそうだったのに。……この騎士、筋トレのしすぎじゃない? 腕が鉄パイプみたいに硬くて痛いわ……)
「さあ、聖女の力を示せ! 鑑定の水晶に手をかざすのだ!」
逃れられない力で祭壇へと連行され、巨大な水晶の前へと立たされる。周囲の神官たちが、期待と熱狂の入り混じった眼差しで紬の指先を注視した。
「殿下、ご覧ください! この者からは、かつてないほど濃い『疲労』……いや、『静寂』の気配が漂っております! きっと凄まじい浄化の光が――」
「ふん、当然だ。我が国の威信を懸けた儀式だからな。さあ、早くしろ!」
エドワード王子の急かすような声に押され、紬は力なく水晶に触れた。
(はいはい。光ればいいんでしょ、光れば……。これ、眩しかったら目に悪いな……)
ピカッ。
「…………え?」
水晶が放ったのは、深夜のコンビニのレジ横で売られている、使い捨てライター程度の――それもガスが切れかけた時のような、弱々しい淡いピンク色の光だった。
「…………これだけか?」
王子の声が、低く震える。神官が慌てて水晶を叩き、何度も鑑定魔法を重ね掛けした。
「鑑定結果……。聖女、固有スキル《リラックス・オーラ》。対象の精神を、わずかに……本当にわずかに落ち着かせるのみ。……戦闘能力、浄化能力、ともに測定不能。……というか、皆無です」
「……何だと? 測定不能ではなく、皆無だと申したか!」
一瞬の静寂の後、エドワード王子の顔が屈辱でどす黒く染まった。彼は大股で紬に歩み寄り、その顔を覗き込む。
「貴様、私を馬鹿にしているのか! 救世の力はどうした! 魔物を焼き払う雷は? 枯れた大地を蘇らせる奇跡はどこにある!」
「……そういう、派手なやつは……、別の人に、発注してください……。私、……もう、電池切れ、なので……」
紬は王子の剣幕に怯えるどころか、至近距離で見える王子の「肌荒れ」が気になっていた。
(……この王子、性格悪いし食生活も偏ってるわね。ビタミンB群が足りてないわ。……あと、声がデカすぎて耳鳴りがする……)
「電池だと!? 貴様、やはりゴミではないか! 我が国が求めているのは、敵を蹂躙する強力な光だ! こんな、ただ『落ち着くだけ』の地味な女、誰が必要とするものか!」
「殿下、落ち着いてください……!」
「黙れ! 召喚費用をドブに捨てたも同然だ。おい! この女を今すぐ城からつまみ出せ! 幸い、同時召喚されたあちらの女子高生の方が『光の聖剣』を持っていた。聖女の役目はあの子一人で十分だ。こんな可愛げのない、隈だらけの女、見てるだけで不愉快だ!」
エドワードは吐き捨てるように言うと、紬を一度も直視することなく、汚物を見るような仕草で手を振った。
「連れて行け! 二度と私の視界に入るな!」
騎士たちに両脇を抱えられ、紬はズルズルと引きずられていく。
(連れて行け……、つまみ出せ……。素敵な響きだわ。これでようやく、誰にも邪魔されずに眠れる場所に、ポイ捨てしてもらえるのね……)
神殿を出る間際、紬はちらりと、隣の部屋で華やかな光に包まれ、「すごーい!」とチヤホヤされているもう一人の召喚者を見た。
(……頑張ってね、女子高生。その『チヤホヤ』の代償は、たぶん山のような残業よ。……私は一足お先に、定時退社(追放)させてもらうわ……)
意識が遠のく中で、紬は生まれて初めて、自分の「無能」を誇らしく感じていた。




