第九章:真珠SOS
第九章:真珠SOS
わー!すごい!都会だー!と思ったけどすぐに船で通り過ぎた。三人揃って涙を飲んで世界一お金持ちの町を水平線の向こうに見送った。動いているのは私たちなのに。海は広いな大きいなと聞いてはいたけど三日も見ているとさすがに飽き、サマンサが船酔いに苦しんでいる。ふらふらになってずっとジャックにもたれかかるのであんなところやこんなところが不可抗力で当たってジャックがウハウハ状態、こういう状況でなければ引っ叩くんだけど今はサマンサが大変だから降りてからにしよう。これから行く町は平山の麓とは少し違う感じの、でも都会とは言えない町。この辺になるともう知識がないので「らしい」しか言えない。あーあ、「ふぇりぃ」に乗れると聞いて喜んだのに微妙に小さいし一番安い部屋。お前らが遅れるからここしかない、というのが中央の言い分で、間に合っていたら豪華だったのかは定かではない。たぶん豪華だったのだろう、惜しいことをした。
船酔いというのはなる人はとことんなるしならない人はそうそうならない。いっそ酔った方が何も考えなくていいのになあとよぎったけどどこかから「うげぇぇぇ!」と聞こえてきて思い直した。嫁入り前の娘が、なんて声出すのよ。ジャックがサマンサの背中をさすっているのを遠目に見て、その向こうの海に大きな陰が見えた。あれ?と思っていたら、居合わせた人が教えてくれた。
「実験生物の一部が野生化したものです。すごいでしょう」
ああ、要するにサンドクラブみたいな生き物が海にもいるんだ。空高く噴き上げられた潮が、その大きさを雄弁に物語っている。水中をマッハで泳ぐという噂すらある海棲実験生物は、あることないこととんでもない生態を囁かれ、体の一部を極度に肥大させたものは別種としてリストアップされる。何を信用して何を疑うかに、研究者の腕が出る、とその人は語った。アシザワさんというその人は、代々生物学を研究しているそうだ。
この町の近海には、不思議な生き物がたくさんいる。ヒトデを二つくっつけたような油獣は、地下資源を狙って上陸を繰り返し、ミサイルで追っ払われているとか。昔はこの地域で隆盛を誇った生き物だけど、今は共存もできない害獣。いつまでもしつこいものだ、とアシザワさんは語った。なんでもこの船には科学者が乗っていて会議をしているらしく、博士を呼ぶアナウンスがあるとアシザワさんは行ってしまった。なんの会議だろう、国際平和会議とかそういうそのまんまの会議だったら船ごと沈められそうだけど、そういうのがあるとは聞いていない。次の経由地点に着くまで、浮かんでいてね。その後はいいから。私は船にお願いすると、ジャックたちの様子を見に行った。
サマンサは完全にグロッキー状態、ベンチで目を回して寝ている。ジャックはさすがにやることがなくなって、周りにいた子供たちのガキ大将になっていた。平山で教わったアクションをやってみせると好評で、次は火を吹いてみせて!とせがまれて困っている。子供達はまるで、ちっちゃな怪獣。キャーキャーワーワー言ってて、かわいいものね、なんて言ってたのは最初だけで引き倒された観葉植物を脳天に食らって「おんどりゃー!」と叫んでしまった。泣かれても困るからすぐ矛を納める。船自体の得体はしれないんだから何が乗ってるかわからない。吸血攻撃とかしてきたらどうするのよ。
ジャックよろしく平山で教わったという船の上での立ち方をサマンサが試している間に、私は野暮用をすませる。ほっといてもいいでしょ、気が紛れるだろうし完成したらあらゆる打撃に耐えれるらしいし。スケベに迫られても自衛できたら、いいわよね。そう言って船の事務室へ。予定外のルートを辿っているから旅費を出してもらおうとしたら領収書が必要だというのが先端民主主義国家の近代的思想だ。三百年ほど前はそういう決まりはなかったらしい。千年以上前なら、逆にあったかもしれない。
廊下で、アシザワさんに出くわした。このルートをよく使うというアシザワさんに船内地図のある場所に案内してもらった。その途中で、アシザワさんに聞いた。何の会議ですか?アシザワさんはギラっとこっちを見て、あまり関わらないように、と言っていた。眼帯の一つ目男なんて前にも見たことがあるのに、すごく怖かった。キラーさんとは違うのかもね、眼帯が逆だし。理由になっていないけどそういうことにしておいた。私が怖がったのがわかったのか、アシザワさんはお詫びにと言って取り出した。ブローチになった真珠。アシザワさんの故郷の名産品だそうで、昔はいい額で取引された上物らしい。今はお金にならないものだけど、お近づきの印に渡すことがあるという。そうですか、と受け取って船内地図を見せてもらい、手続きを済ませた。「口説かれてるじゃん!」とジャックに言われるまでそういうのはわからなかった。
船酔いにはだいぶ慣れたというサマンサと子供たちにもてはやされてすっかりいい気になったジャック。ディサピアにこの世代の男の子がジャックしかいないから知らなかったけど両足で踏み切って二階の窓に飛びつける子というのは非常に珍しいらしい。通りでシャワールームにその手の対策がされていないと思った、普通はできないんだ。サマンサとジャックは大粒の真珠を見て「綺麗っちゃ綺麗」と非常に失礼な感想を残した。真珠に必死になった女性がたくさんいる時代もあるのに。私も急に熱が冷めてあまり考えなくなった。貰い物だから胸につけてるけど。
明日の朝には港に着く、というタイミングで船内のホールをうろついていた。乗る時はウキウキしたけど二日も三日も乗るような船ではなく、そこそこ飽きている。ホールの向こうには、あれが科学者たちだろうかという集まりがあって、不意に声をかけられた。アシザワさんは、私がブローチをつけているのを見て喜んだ。科学者たちには、つけている人とつけてない人がいて、アシザワさんが渡していったらしい。あなたにも、見せたいものがある。そう言って船の中を案内された。
連れてこられたのは薄暗い部屋。貨物室だろうか。まあ男に襲われたぐらいで音を上げるような私ではない。今までディサピアで何度スケベに言い寄られてそいつらの××××を握りつぶしたか。ジャックが半泣きになって、やりすぎだと止めたこともある。だから襲われたってやっつけれる、と思ったんだけど、アシザワさんが連れてきた場所はそういうものではない。水槽に入った培養液、ホルマリン漬けの生き物の欠片。船酔いしなくたって吐き気がするものがたくさんある。アシザワさんは、綺麗でしょう?と聞いてきた。どうかしてるんじゃなかろうか、学者ってこうなのだろうか。私が戸惑っていると、アシザワさんは私の胸についたブローチを指差した。ほら、それ。これが何なのかと考える前に、船内放送。博士が呼び出された。行かなくては、と呟くアシザワさんだけど。
「なんで?」
呼び出されたのはイワモトという博士、アシザワさんが行く必要はないはずだ。イワモトが呼ばれましたので、と理由にならない理由を口走るアシザワさんは、それよりも、と胸のブローチをもう一度指差した。綺麗でしょう?……私は怖くなって、真珠のブローチを引きちぎって投げ捨てた。カツン、と音がして周りにあった機械から、ノイズがした。発信器?それ以外にも、もしかしたら……。アシザワさんはニヤッと笑うと、左目の眼帯を脱ぎ去って……ついでに顔の皮を全部剥ぎ取って、見たことのないような単眼の怪人になった。計画は進行中。手駒は一千年以上前に揃っている、と怪人は部屋を見渡した。
強力な個の戦力を使った支配計画は、主要都市に人口が集中している必要がある。現代がそうではないのならば、組織。都合よく動く手駒が、各個支配して上層部に献上する仕組みを、作っておけばいい。大昔完成した試作品、ある生物を基盤に凶暴性を高め、後はコントロールするだけ。それも今に、可能となる。全ての思考力を取り上げれば……そう口走った単眼の怪人を、何かが撃ち抜いた。培養液の中から飛んできた流れ星のような弾丸に貫かれ、怪人は倒れた。残ったのは私と、異形の生物。いつからか壊れていた水槽の中から、怪物が現れた。筋張った体に狂気の宿った瞳、言葉が通じる相手ではないのは見て明らか。倒れた怪人が、ヒイヒイと笑った。我々の海に眠る、真珠のように美しい海で生まれたこの世で一番恐ろしい怪物だ、と。見るがいい、こいつを使って……怪人は踏み潰されて、溶けて消えていった。思わず銃を抜き、二発、三発と撃ち込む。怪物に開いた穴は、すぐに塞がって毛ほども効いていない。何者なのか、どうすればいいのか、何もわからないまま私は立ち尽くした。怪物は何も言わないけど、わかった。彼はもう、自分が誰なのか、なぜここにいるのか、全て忘れてしまったのだろう。声一つ出せない私には、何もできることがなくて。
トン、と怪物の肩を誰かがはたいた。怪物が振り向くとババっと飛び退って、出たな、怪獣!へーんしん!とバカ丸出しのジャックが叫んでいる。逃げて!と叫ぶ前に、怪物が踏み出した。ジャックはまるで怖がりもせず、チッチッチ、とカッコをつけて、怪物の出した光には怯まない。掛け声と一緒にバシッとパンチを一発入れてご丁寧に残心までつけると、怪物が倒れた。やったよ、平山の、エッチなカッコのおねーさん!と涙を流して師匠に報告するジャックだけど、そんなわけない。相手は私が見たってどうしようもない化け物、いくらジャックがメガトンパンチなんていきがったところで大して強くはなかったはずだ。なんで倒れたの?何をしたの?ジャックは何を驚いているかわからないようで、怖い相手だと思わなかったらしい。お腹すいたとサマンサが言い出して何か食べるから保安官も一緒に、と探していたら出くわした。今ここで、何が起きていたかはわからなかったらしい。周りにあるホルマリン漬けを見てウゲー!とマジ吐きしていたから本当だろう。倒れた怪物は、まだ動いていた。それに気がついて、ジャックは怪物に駆け寄った。全身から涙のような白い霧を噴き出す怪物に、怖がりもせず。やめなさい!と言っても聞かなかった。怪物はジャックに何かを言い残して、眠りについた。起きることはあるのだろうか。そんなことは、誰にもわからない。博士が何者なのか、科学者たちは信用できるのか、何一つわからず船は港に着いた。降りる間際、もう聞けないと思ってジャックに尋ねた。あの怪物は、最後に何を言ったのか。ジャックにも、その意味はわからなくて。
「我はここにあり、だって」
怪物は、何か満足そうだったという。ジャックは港を出る船に、またね、と手を振った。
エタった。