第七章:未来と現代
第七章:未来と現代
有史以来、歴史はたくさんの科学者が築いてきた。時にバカにされ時にバカだと名乗り、次の時代を作る。その歴史の中には、偉大な科学者がたくさんいた。これは、私の知る限り一番偉大な科学者の、生き方と死に方の話だ。
ディサピアは科学文明とは無縁の町だ。発電機くらいあるし電波だって届くけど、インフラと呼べるものがないのだから文明未開の地と言った方がいい。世界のどこかには、水で流れるトイレがあるらしいぞ!と夢物語を言っている。あったらいいわね、と優しく微笑むと、町を通る人が何かの冗談だと思うらしい。なんでだろう、この町だけないなんてことがあるわけないし。
さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃいとミミズクが通行人を集めていた。なにせ通りすがりなのに通れなくなったからお金がないミミズクは、得意の大道芸で日銭を稼いでいる。腕に覚えのガンマンは、射撃対決だ!と瓶を並べて何発当たるかやってみる。みんな的に一発ずつ当てるのに、宙を舞った缶に全弾当てるなんていう離れ技をするものだから誰も勝てるはずがなく、挑戦者がいれば勝ち金とおひねりでいい稼ぎになる。悲しいかな通行人がいるタイミングそのものが少ないので、貯まりはしない。
ミミズクがリボルバーの六発を全部撃ち込んだ缶をサマンサが受け取って、捨てておくのかと思えば全部置いてある。「あいしてる!」のサインだという言い分で、文字数が合わないのを記号で誤魔化しているのは天然なのだろうか。この辺は今に始まった事ではないので私は放っておくが、捨てる場所ないのか?ってミミズクが気にしている。そんなに気にしなくていい、気にしてたら疲れるだけよ。しれっとサマンサの悪口を言ったことは一人で水に流し、ホバーバイクの充電が済むのを待っていた。電源が限られるから天気のいい日にソーラーパネルに繋いだら店に半日置きっぱなしにしないといけない。ディサピアが小さくなければできないことだけど、これだけ小さいと自分の裁量で調整できてしまう。中央都市なら人がたくさんいるからそんなこと考えなくていいんだろうな。遠い空を思って物思いに耽っていると、ところで、とミミズクが言い出した。通り抜けはできないわよ、とすぐさま言い返したけど、その話ではないようだ。調べはつきましたか?って何のことかと思えば、身分証のことだという。自分でやらないと、何も進みませんよ。そんなことを言われてもいくら連絡を入れたって「よくできた偽造品!」としか返ってこないから進めようがない。いくらなんだってみんながみんな偽造品を持っているわけがない、それじゃ本当に身分証の意味がない、でも持ってる。なんでそんなにたくさんあるの?って考えていると、何かすごく最初に、間違えているのかも、とミミズクが言っていた。なーにを偉そうに!って愚痴を言う相手を間違えて、ルートゥの遺体の周りをうろついていたワイルド爺さんに言い返された。科学の世界には、よくあることだという。全てが間違っていて、調べてみたらやっぱり違う。歴史上いくらでも繰り返されてきたことで、賢いヤツは最初からわかっているというのもだいたい同じだそうだ。例えば、とワイルド爺さんは調子に乗った。
「身分証は、本物なのではないか?」
……盗んだってこと?と聞くと、お前のおつむではそんなものかとまた偉そうに。ワイルド爺さんの言い分は、あまりにも荒唐無稽。中央都市の公権力が、悪さをしているのではないかという。だから悪人の身分証は、本物。本人なのだ。そいつらが捕まっても、その身分証は偽物だ!と言い張って後はほったらかし。失敗した子分を自分たちで牢屋に入れ、閉じ込めて出さなければ誰にもわからない。もしかしたら、閉じ込めてとんでもないことをしているのかも……。ワイルド爺さんの話は、いつだってバカバカしい。こんなバカバカしい話を、いつだって大真面目にするのだからこの町の話し相手は疲れる人ばかりだ。
この町の保安官は私だけ、三十五人しかいないのにこれ以上増やしても仕方がない。私が警官で、裁判官で、死刑執行人みたいなもの。まだ執行したことはないけど、悪さをしたヤツ……主には「いやあ困るなあ」と言いつつがっちりシャワールームの窓にへばりつくジャックをどつくとか、そんなのはいつものこと。きゃー!エッチ!とか自分で叫ぶようにサマンサには言ってあるけど、最近まではピンと来ていないようだった。この頃はわかり始めたようで、非常に助かる。ジャックは本気で困っているけど知ったことじゃない。でもそんなのは、他に誰もいないからそうなるだけ。一応法治国家の端っこに位置するディサピアは、管轄と言えば管轄だから法の番人というタイプのお偉いさんも、たまに視察に来る。ディサピアを訪れたファーマー審議員は、この町を問題視しているようで。
この町には良くない風習があると言い張るファーマー審議員は、誰かからその話を聞いたらしい。ファーマー審議員はこの町を七年ほど訪れておらず、ブラウン家がまだ宿をしていると聞いて不服そうだった。どいつもこいつも、と何かと一緒くたにしているファーマー審議員は、ゴートリッツ協会認定の公式管理人としてこの町を取り仕切ると言ってきた。もちろん困ったのはミミズク、不法入国未遂なんて言われたら捕まってしまう。入国未遂だから入ってないだろう!なんて言い分がわかる相手ではなく、どうやって視界から消えるか隙を窺うものだから目をつけられた。咄嗟にサマンサが「私の家族です!」と言い張ったからなんとかそれで通ったけど、お兄さんとか親戚とかもう少し細かく口裏合わせないと危ないだろうに、「家族」以上のことをサマンサは言わない。おかげでミミズクは、全然気が休まらない。
ファーマー審議員の活動で、ディサピアの人たちは規律正しくなった。規律正しくならないと、いけなかった。こんな土地なので特殊車両を子供のときから乗り回して家計を助けているという人もそこそこいるのに、ファーマー審議員の持ってきた分厚いルールブックに照らし合わせるとあれもダメこれもダメ、何ならいいの?と聞かれてもあんなの全部読んで理解してられないので結局言いなり。母ちゃんが調子悪そうなんだ、とジャックが心配していた。エフェクトを入れても怒られそうだからストレスがたまっているらしい。
一応町で一番この手のことに詳しいのは、ワイルド爺さん。若い頃は中央都市の研究施設にいて、誰も彼もバカばかりでワシのことを理解せん!と怒って引き上げたほどだから、詳しいと言っても知れている。あんなものを後生大事に抱えている奴は知れている、と興味もないようで次はどこで研究するかな、と引っ越しを視野に入れているらしい。気持ちはわからなくはない、なにせ大体のことは経験済みのジュウゾウさんの娼館も「フーエイホウ」という何かのために業態を変えていて、お酒を飲みながら人生相談する店になっている。ジュウゾウさんは男装が得意とは知らなかった、すごく馴染んでいる。
そしてこの町に来た人がルートゥの亡骸を気にしないわけがない。来る人来る人手を合わせて拝むために置いてあるのかと思うようで、足元に小銭が散らばっている。全部かき集めたら喫茶店で友人といいコーヒーを飲めるだろうかという額だけど残念ながら喫茶店がない。暴走事故があったルートゥ放置していることを今さら問題にしたファーマー審議員はすぐに撤去だと怒っていた。もう少しルートゥにいてほしくて、「エキドニウムが」と口を滑らせたのは失敗だった。ルートゥに搭載されたエキドニウム反応炉は、最優先で持っていく手続きが進み始めた。当たり前と言えば、当たり前なんだけど……。ルートゥはスクラップになっちゃうの?冗談じゃないよ、神様。
ワイルド爺さんは、しばらく知り合いの元にいると言って町を出ようとした。どこかの町に、スナフキンだかなんだかいう人がいるからそっちに身を寄せるらしい。ワイルド爺さんは最後に、ミミズクを呼んだ。酒場にはジャックとサマンサと私がいたけど、隠すことではないからと一緒に話を聞いた。科学の世界では、仮説を立てて立証するの繰り返しが日常。一千個の間違った仮説の中に、正しい電球の作り方が隠れている。他の仮説は、それらしいばかりで光が灯ることはない。……光が灯るときには、どうせ間違いだろうと思っていることがいくらでもある。その逆も然り。間違いだと思って、正しい理論を通り過ぎることは驚くほど多いのだそうだ。
珪素でできた生命体、というものの仮定がある。一般に生物の主成分である炭素と非常によく似た化学反応を示す珪素は、炭素の代わりに生物の主成分になり得る、「かもしれない」。無論珪素はガラスや石ころの構成物質、そんな生命体は聞いたことがない。だが一から、進化の系統樹を作り直すのであれば、そうとも言い切れない。周辺の環境を全部作り変えて生態系も根本から見直し、その上で文明を持つ。地球環境において存続は不可能だが、あり得ないとは言えない。サイエンスフィクションという名のもとにその可能性を、誰かが残した。そしてその真意は、優れた科学者になら解読できるはずだ。ワイルド爺さんは、サマンサにまとめてツケを払って、出かけ際に言った。怪しい奴には、ついていくなよ。「どの面下げて」と言うのを忘れて、ワイルド博士を見送った。
それから数日後。夕方にはルートゥの反応炉を持っていく輸送車が来る、というタイミングで、事件は起きた。私とサマンサが定期便の到着を待ってババ抜きをしていると、出入国管理にも口を出してきたファーマー審議員は、先行して荷物を送るという。この大きさ、この形……嫌な予感がして、中身を改めた。ファーマー審議員は嫌がったけど、お構いなし。サッカーボールで遊んでいたジャックが覗き込みに来て、あーっと声を上げた。こないだの、ロボット。町の人が不気味だと震え上がったロボットの残骸を、いつのまにか梱包して送り出そうとしていた。本来送る必要がある、というのがファーマー審議員の言い分だけど、じゃあなんで隠していたの?と聞くと大した答えはなく「法的には問題ない」。こんな隠し事がそんな分厚いルールブックのどこにも抵触しないなんてあるはずがない、あるんだったらポンコツルールもいいところだ。手の中に握ったジョーカーのカードが冷たい汗で濡れていく。さあ、発送の準備を。剥がしてしまいましたね、とファーマー審議員は慌てる様子もない。もっと完全に、壊しておくべきだったと銃に手をかけたけど、抜けなかった。ファーマー審議員の目の奥が赤く光り、金縛りにあったように指一本動かせない。サマンサもジャックも凍りついたように動かず、顔も見えない場所からファーマー審議員の手が伸び、命の危険を感じた。そこに、銃声。待たせたな、と現れたのはやっぱりミミズクだった。
「オーアノイド1996。生き残ってやがったか」
オーアノイド。最後に起きた大戦の前に、法律の遵守のために運用され始めた人型ロボット。出来損ないもいいところで、人の形のロボットのようなロボットになった人のようなオーアノイドたちは、直訳の通り「鉱石人間」と呼ばれて廃棄され、もう残っていないはずだった。ミミズクはオーアノイドの前を通り過ぎて大見得を切った。ああ、保安官が信じてくれれば空を飛ぶことも海の水を飲み干すこともできるのに、今はこれが精一杯。パチン!とミミズクが指を鳴らすと全員の金縛りが解けてずっこけた。ミミズクはオーアノイドを問題にしていないようで、どうすればいいかはもう知ってる、と踊りかかった。目の前でパチン!と手を打ち鳴らし視界を封じて、身を翻し背中に周り肩を叩く。ピイッと指笛を鳴らすと迫ってきたオーアノイドを寝転ぶように避けて背後を取り、ニヤリと笑った。オーアノイドはみるみるその姿を変え、金色のドロドロした何かに変わろうとした。ミミズクは、ジャックの持っていたサッカーボールを蹴り上げて、オーアノイドの顔が隠れた一瞬の間に銃を抜いた。そしてオーアノイドの眉間に銃を突きつけて、一言。
「ドッカーン」
……撃ったようには見えなかったけど、オーアノイドはその姿を保てなくなって解けて消えていった。そろそろ潮時ですね、とミミズクは銃をしまった。申し訳ありません、顔は立てたかったのですが……そう言って発着所を出て、荒野に消えようとした。待ちなさい、どこに行くの!今、一体何があったの!……オーアノイドは今までのような通りすがりではない。取りに来たのだ、とミミズクは言っていた。従っていれば、安全に暮らすことはできる。辛いでしょうが、それ以外はできません。ミミズクは何か知っているようだけど、教えてくれない。オーアノイドを倒す方法は、教わったのだという。科学者に。他にはあり得ないという。そう遠くない未来、きっと明るい世界が待っていると信じていたその人は、ついにその世界を見れないまま死んでいった。最後の一瞬まで考えていたのは、敵を倒す方法ではない。公園に集まる子供の遊びを、昼寝しながら考えていた。ミミズクは、一枚のカードを取り出した。よければ、電話をください。きっと駆けつけます。私はそのカードを……受け取らずに突き返し、どこへでも消えなさい!と怒鳴り散らした。ミミズクは悲しそうな顔で荒野に消え、もうディサピアには現れなかった。