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1-3

 おばあさんはぎょっとした顔をしてこちらを振り返った。紫の花柄のワンピースに小太りの身を包んだ、元気そうなおばあさんである。黒いロングヘアーを、およそ齢に似合わないツインテールの三つ編みにしていた。丸顔に、化粧がどきつい。眉毛が無く、そこへアイブロウペンシルできっぱりと眉が描かれてあった。要するに――ちょっと変わっていそうな見た目のおばあさんである。


「はい?」


 立ち止まったおばあさんは警戒した表情で老人に返事をした。


(ここで何度か見かけたことのある方だな)


 老人はそう思い合わせると、怪しく思われないよう素早く言葉を継いだ。


「ああ、すみません。私、この近所に住む者なのですが」


「はあ」


「前々からお宅の二階の部屋で弾かれている、ピアノを散歩途中に聴くのが好きでして――」


 妻が亡くなった時にピアノの演奏にずいぶん元気づけられたこと、その後もずっとピアノを聴いてきたことを、簡単に、しかし情熱を込めて説明した。(この説明の間に、おばあさんはエコバッグを一度右手から左手に持ち替えた)


「それが、最近ピアノが聴こえてこなくなってしまったので、気になっていたんです。なぜピアノの演奏を辞めてしまわれたのでしょうか?」


 そう聞くと、驚いたことにおばあさんは空いた右手で目を拭ったのである。老人には、確かに涙を拭ったように見えた。


「ええ……」


 おばあさんはそう呟いただけで、黙ってしまった。老人は(この人は見た目はちょっと変わっているけど、悪い人ではなさそうだ)と思い、あつかましいお願いをしてみた。


「できればピアノを弾いていた方にひと言お礼を言いたいのですが、無理でしょうか? 先ほど申しましたように、妻が亡くなった時、本当にあのピアノに生きていく希望をいただきましたので……。あなたのご家族ですか? 弾いていらっしゃったのは」


「ええ、はい」


「ひと言でいいのです。感謝していることを伝えられれば」


 おばあさんは眩しそうに老人を見つめた。それから、


「少々お待ちになっていただいていいかしら」


と言って、老人を残して家の中へ入っていった。


 待たされている間、老人は改めてピアノの家を眺めた。


 見れば見るほど、ちょっと普通でない、変った造りの家である。


 三角屋根の二階建てで、一階の表部分はガレージになっている。ガレージは青い金属のシャッターが大抵閉められていて、この日もそうだった。その奥の壁はねずみ色のブロック壁。


 二階はクリーム色のトタン壁になっていて、路地に面して窓が一つ、右奥に窓二つ。その路地に面した窓のある部屋から、以前ピアノの音は聴こえていた。


 家の正面右側――西側――は駐車場になっていて、たまに車が一台停まっている。ただこの時は車は無く、今さっきおばあさんが停めたママチャリと、中学生の通学用の自転車が停めてあるだけだった。家を挟んで反対側はすぐ隣の民家に近接していて、スペースは無い。


 この家の一階は普段シャッターが閉められていてそこから中に入ることができない。一階の右奥に片手開きのドアがあるが、そこは普段使われている様子が無い。その代わり家の建物と駐車場の間にボロボロの外階段があって、二階部分につながっており、それが入り口になっているようなのである。今おばあさんもその外階段を上って中に入っていった。


 築四十年ほどだろうか、いやもっとか、いずれにせよ昔建てた人物が限られた土地で複数台車を所有し、駐車するために試行錯誤して設計したのだろうと思われる、一風変わった造りだった。


 老人が家を眺めて時間を潰していると、おばあさんが外階段を降りてきた。


「そういうことでしたら、少しなら会うと言っております」


「そうですか!」


 老人は破顔した。


 おばあさんの後について外階段を上る。階段は鉄製で赤錆が浮き、傾斜がきつかったので老人は手摺につかまって上った。(後で手の臭いをかぐと、鉄の嫌な臭いがした)


 二階の扉から中に入る。狭い靴脱ぎ場を上がると、中はてらてら光るフローリングの廊下が左右に続き、正面にいくつかドアが並んでいた。廊下の手前がわの壁の左右にひとつずつある窓から、陽光が射しこんでいた。白い壁紙の壁は日に焼けてひどく変色している。


 老婆は廊下を左に進んで突き当たりのドアの前まで行き、ノックした。


「――ちゃん。さっき言ったお客さん来たから開けるわね」


 ドアを引いて開け、老人を招き入れた。


 フローリングの六畳。ベッドと勉強机と小さな本棚、タンスがそれぞれ壁際に置かれ、入って右手には黒く光るアップライトピアノが置いてあった。壁と家具は白で統一され、ベッドの左側にある窓のカーテンだけが薄紫色に映えていた。今通ってきた廊下の壁と違い、この部屋だけ最近リフォームしたらしく壁は真白だった。


 ――ここまではいい。


 ベッドにも、机の上にも、床の一部にも物が散乱していた。脱ぎ散らかした服、マンガ本、ゲーム機にⅰPod、菓子の袋にジュースのペットボトル、どう見ても愛情無く放り出されているように思えるぬいぐるみたち、学校のプリント類、その他よく分からないゴミのようなもの……などでそこはちょっとした汚部屋と化していた。酸っぱい、すえた臭いがした。


 その部屋の、ベッドの汚れていない端っこの部分に腰掛けて、中学生くらいの少女がいた。少女はその黒髪を初期のハーマイオニーグレンジャーのごとくばさばさに毛羽立てて、こちらを見ていた。その大きい二重瞼の下の瞳はどろりと生気無く、ぼんやりと老人を見据えてきた。肌が真白で、その小顔は一目見て痩せすぎだろうと思えるほど痩せていた。ピンクのロンTに、灰色と白のボーダーのスウェットの長ズボン。ロンTの胸の部分はわずかにふくらんでいた。

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