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翌日も同じ時間帯にその家の前に行くと、幸いにも「きらきら星」はまた弾かれていた。次の日も、その次の日も、ピアノの音は家の二階の部屋から聴こえてきた。
老人は毎日のようにその家の前を通るようになった。そうしてやはりほぼ毎日、その初心者の演奏者はピアノを弾いていた。
聴こえてくるピアノの曲は、いつも「きらきら星」とは限らなかった。老人が通りかかる時間帯によっては、「バイエル」といういわゆる初心者用の練習曲集の中の曲が流れていた。単調で芸術性の低い練習曲を聴くのは、あまり楽しくない。そこで老人は家の前に行く時間を日々少しずつずらし、おおよそ何時ごろに「きらきら星」が弾かれるのか確かめてみた。するとだいたい夕方五時過ぎに、「きらきら星」が弾かれていることが分かった。それからは毎日五時過ぎにピアノを聴きに行くようになった。
「きらきら星」の演奏は日に日に上達していった。それを日々聴くことが老人を癒した。妻に先立たれ絶望の中にいた老人にとって、一時期この「きらきら星」がおおげさでなく生きる希望になった。
老人は荒れていた家の中を少しずつ片付けはじめた。週に一度ハウスキーピングサービスを頼み、どうにか家は清潔さを保てるようになった。老人は怠っていた料理もなるべくするようになった。読書や庭いじりで時間をつぶすようになり、趣味の短歌を朝日新聞へ投稿することも再開した。
そのうち件の家のピアノ奏者の弾く曲は、「きらきら星」からJ-POPの流行歌に変わった。老人は少しそれを残念に感じたが、相変わらず足繁くピアノの家へ通った。
月日が穏やかに進んでいった。
ピアノ奏者の弾く曲は、しばらくJ-POP中心だったのがクラシックに変わった。もう簡略化されていない、原曲のままの楽譜の曲だった。
ブラームス「子守歌」。モーツァルト「メヌエット」。ベートーヴェン「エリーゼのために」。シューマン「トロイメライ」……。
音楽にからっきしだった老人は、これらの曲のほとんどを知らなかったが(さすがに「エリーゼのために」だけは知っていた)、素人の彼にも演奏曲の難易度が序々に上がっていっていることは分かった。
演奏者は、これらの曲の一部分をまず片手ずつ数度弾き、次に両手で合わせて弾いて、数日してそれが手に馴染んでくると先の部分に進む。曲の最後までたどり着くと、いよいよ一曲通して弾きはじめる。通しの演奏も、はじめはたどたどしく、ところどころつっかえるが、繰り返すうち徐々に上達していく。そうして新しい曲を弾き始めてから二、三ヶ月後に、ようやく歌うように滑らかな通しの演奏がなされる。それを聴くと、老人は(ようやくこの曲も完成か!)と心の底からうれしくなるのだった。
このピアノの家に通い始めて相当な月日が過ぎ、すっかり妻の死のショックから立ち直った老人は、さすがに毎日その家の前を通ることはしなくなった。習慣として毎日夕方に散歩はするものの、散歩コースがいくつかあってローテーションさせるので、ピアノの家の前を通るのは三日に一度くらい。しかし五時過ぎにその路地を通った時には必ずその家の前で足を止め、しばらくピアノの音に耳をすませて演奏を聴き、また元気をもらって自宅に帰るのだった。例外的に真夏は日中散歩をしないから、ピアノの家へは気が向いた夕方に演奏を聴くためだけに向かった。ピアノの家は老人の家から歩いてほどない場所にあったから、猛暑日でもなんとか通うことができた。
老人がその家の前を通る時、路地には大抵人気が無かった。まれに車や歩行者が通ったが、ピアノの家に住む人がちょうど帰ってきたり、逆に家から出てきたりしたのはほんの数度だった。これらの住人のうちの誰かが、きっとピアノを弾いている人なのだろうと老人は考えた。
ピアノの家へ通いはじめてから老人が一番感動したのは、コロナ禍があって、ようやくその騒ぎにこの国が落ち着いてきた二〇二二年の終わりに、また「きらきら星」を聴くことができたことだった。
その頃になるとすっかりピアノ奏者の腕は上がっていて、弾く曲も本格的なものになっていた。この年の初めからベートーヴェン「ソナタ悲愴 第2楽章」、ショパン「夜想曲 第2番」ときて、とうとうモーツァルトの「きらきら星変奏曲」に取りかかったのだ。
老人は、この、素人には超絶技巧が必要に思われる非常に速い運指箇所のある曲が弾かれるのを聴いて、
(あのたどたどしい「きらきら星」を弾いていた人が、とうとうここまで!)
とすっかりうれしくなってしまった。そして家に帰ると普段ネット将棋でしか使っていないノートパソコンを開いて、「きらきら星変奏曲」の曲名と作者名を調べ上げ、ふんふんふんモーツァルトが作った曲なのだな、とひとりごち、インターネットにアップされている演奏を何回も繰り返し聴いてしまったのである。
完全に舞い上がって再び毎日のようにピアノの家に通うようになった老人だったが、その後意外なことが起こった。
年が明けた二〇二三年二月のある日を境に、ピアノの演奏がぱったりなされなくなってしまったのである。
(何か事情ができてしばらく弾けなくなったのだろう)
くらいに老人は思っていたのだが、二週間、三週間経っても一度も演奏は聴こえてこず、さすがにこれはおかしいと思いはじめた。
もしかしたら弾く時間帯が変わったのかも知れない、と思い、午前中、午後の早い時間、更には夜のはじめごろと数日かけて時刻を変えてピアノの家へ行ってみたが、どんな時間帯に行ってもピアノの音は聴こえてこないのだった。
(辞めてしまったのだろうか)
冬が過ぎて春になり、ゴールデンウィークを過ぎても演奏は再開されなかったので、老人はさすがにそう思った。胸にぽっかり穴が開いたような気分になった。
(「きらきら星変奏曲」も、もう少しで完成だったのに)
せめてあの曲が完成されてからでも、辞めるのは遅くなかったのに――、そんな自分の都合丸出しの想いを抱いて、それでも諦めきれず、毎日その家の前をうろうろするようになった。
(せめて生きる希望をもらった感謝の念を伝えたい。そうしてなぜピアノを辞めてしまったのかだけでも聞きたい)
そう思っていた五月のとある午後五時過ぎ、またピアノの音の聴こえてこない家の二階を見上げながら、ぼんやりそこにたたずんでいた時だった。
路地の右手から、一人のおばあさんが自転車に乗ってやってきて、ピアノの家の建物の右横にある狭い駐車場に、キッと自転車を停めたのである。
おばあさんは食材の入ったエコバッグを自転車の前カゴから取り出し、老人をちらっと一瞥して、ピアノの家へ入って行こうとした。
「あの! この家の方ですか!?」
気付くと老人はけっこうな大きな声で、おばあさんの背中に声を掛けていた。




