エピローグ「激昂」
ずっと待ち望んでいた… この復讐を。
絶対に逃がしてたまるものか。
あの時に抱いた怒り…悲しみ…無力感…その全てを片時も忘れたことはない。
「待て! くっそ、どこまで逃げるつもりだ。」
息を切らしながら素早く逃げる犯人を追いかけていると、次第に見慣れた街並みになった。
「右に曲がった? でもこの先は行き止まりで逃げ場なんて、あるとしても俺の…まさか!?」
追跡の末、たどり着いたのはかつての俺の家だった。売りに出されているが買い手がおらず、現在は空き家になっている。
玄関は無防備にも開いていて、ヤツがここに逃げ込んだのは明確だった。しかし、逆にその事が不気味さを醸し出していた。
「何でわざわざ俺の家に。何か罠でも仕掛けてあるのか? あんなに逃げていたのは俺をここまで誘い込むために? くそっ、考えがまとまらない。だが、少なくとも俺の家に入ったのは好都合だ。お前をあの日のみんなと同じように斬り殺せるんだからな!」
冷静さを欠き、衝動に身を任せて一歩踏み出すと、耳に着けている無線から声が届いた。
「ーーど…くん。しん…うくん、ーーえ…かい。心道くん、聞こえるかい!」
「この声は…己恋さん? はい、聞こえます! そっちはもう大丈夫なんですか?」
「いやー、大丈夫大丈夫。まだちょっとした戦闘は続いてるけどね。それよりも君のことが心配になってね。」
彼女は大丈夫と言っていたが、無線から向こう側で起こる激しい爆発音が聞こえてきた。
「うおっとっと、こりゃ派手だねー!」
「ちょっと…何やってるんですか! 俺なら心配いりません。必ずヤツを殺します。だから俺なんかよりもあなたはそっちを…『私とした約束を覚えているかい?』」
彼女は俺の言葉を遮り、真剣な物言いで聞いてきた。
「約束…。」
「その様子だとまた忘れてたな。大方ヤツにいいようにやられてるんでしょ。」
「そ、そんなことは! ーーッ…すみません。またヤツの思い通りに行動してしまいました。」
「まったく君はヤツのことになるとすーーぐ熱くなるんだから。これは仕方ないね。罰として今度お寿司奢ってよ。皿が回ってない店ね。」
10数秒前まで気持ちが張り詰めていたが、唐突な彼女のがめつさにそんな気も失せてしまった。それどころかあまりの容赦の無さに笑ってしまった。
「仮にも上司が部下に"奢ってくれ"なんて言わないでくださいよ。でも、寿司か。良いですね。虹太朗さんも呼びますか。」
「おっ、いいねー!」
「あの…。」
「ん?」
「ありがとうございます。俺はもう大丈夫です。」
「そう。じゃあ、頼んだよ。」
気分は話す前と比べると、驚くほど良くなっていた。迷いが晴れ、自分の意識がハッキリした。
家に上がると、陽気な鼻歌が聞こえてきた。家には夕日の淡いオレンジ色の光が差し込み、楽しげに踊る奴の影が廊下に写し込まれた。その影の指は異様に長くなっていた。
リビングに行くと、ヤツはあの日と同じように鼻歌を歌いながら刀のように鋭くなった指を弄んだ。指同士が触れる度に金物を擦り合わせたような音が鳴った。
「懐かしいよね。キミとオレが初めて出会った、あの運命の日が。あれからずっっっっとキミは仇であるオレを憎み、追っきたんだ。」
ヤツは身体を震わせがら、自身の指を付け根から先端までゆっくりと舐めた。
「さあ、オレの心墓流よ。今こそ互いの殺意を通じ合せ、1つになる時だ!」
ヤツの指が向けられ、鼻先まで届いた。俺の心はもう決まっていた。
「もう、十分か?」
「なに?」
「お前の戯れ事は聞き飽きたって言ってんだよ。」
ヤツの目元が微かに動いた。
「みんなが死んだこの場所で俺を挑発すれば、俺が怒りに身を任せて突っ込んでくると思ったのか? あいにく俺はもう子どもじゃない。今は頼れる人もいる。」
ヤツの顔がどんどん曇っていった。俺は胸ポケットから警察手帳を取り出し、ヤツに見せつけた。
「いいか。1度しか言わないからよく覚えておけ。”心理犯罪対策部刑事の心道 菊”だ。化け猫! ここでお前を逮捕する。」
名乗りが終わったのと同時に走りだし、ヤツの振り回す爪をかいくぐりながら殴りかかった。
遡ること7か月前
殴られた反動で壁に体を打ちつけると、全身にすさまじい衝撃が走った。呼吸が上手くできず、骨が軋む音がした。
「おいおいおい! そんなもんかよ殺人犯様ァ。もっと僕様に付き合ってくれよ。お?」
もがきながら顔を上げると、金髪の少年が人を苛つかせるほどの笑顔で俺のことを見下ろしていた。やり返したい気持ちを抑えながら睨みつけると、さらに不敵な笑みを浮かべた。
「おぉ~、いいね~。その顔。やり返したくてもやり返せないもんな、お前ら犯罪者は。なんたってこの僕様”近藤 光”は第二等級市民だからな!」
痛む体を無理やり起こして、壁に寄りかかりながら立ち上がった。
「おっ、いいぞ~。犯罪者にしては根気があるじゃないか。でもパパ様が作った最新の警備ロボット"SRfK-12"のパンチをあと何回耐えきれるかな?」
ロボットは光が細かく命令せずともAIが会話を分析して適切な行動を導き出し、俺に向かって歩き出した。俺の前に立ちはだかると、倍以上の体躯があるロボットがゆっくり腕を上げ始めた。光は次の一撃がどんな被害を及ぼすのか楽しみなのか、口元を押さえて笑った。
「だめーー!」
大きく振り上げられた拳が振り下ろされる直前、少女が間に割って入った。ロボットは瞬時に割り込んできた少女の身分や等級を検索した。そして拳は少女に当たる寸前で止まった。
「千恵? なんでキミがここに?」
「ちょっと待ってて。」
「な、な何をやっているんだSRfK-12! 僕様の命令が聞けないのか! このポンコツ!」
光は楽しみが奪われたことに怒り、ロボットの足を蹴った。
「いいえ、ポンコツなのはあなたの方よ。」
「なんだと! この第二等級市民である僕様に何て口の利き方をするんだ!」
「あら。私も同じ第二等級市民よ。近藤光君。」
光は相手が自分と同じ立場の人間であると知ると強気ではいられなくなった。
「あなた自分が第二等級市民であることを良いことに、ご自慢のロボットを使って下級市民をいたぶっているそうじゃない。これ以上続けるなら今録った映像をあなたの父親に送り付けるわよ。もしこんなことをしているなんて世間に知られたら、あなたも今までのようにいられなくなるわよ。」
「ぬっ、ぐくっ。行くぞSRfK-12。」
脅された光はこれ以上何もせずにロボットと共に逃げていった。それを見届けると少女は俺に駆け寄ってきた。
「菊さん。大丈夫?」
「ああ、大丈夫。助かったよ。」
彼女に支えられながら居住しているアパートに向かった。部屋につくと傷の手当をしてくれた。
「もう、ひどいケガ。光今度会ったらとっちめてやるんだから。」
「いいって、そんなの。それより何でキミがここに?」
「今日は塾がお休みで、学校も早く終わったから会いに来たの。でも、家にいないから仕方なく帰ろうとしたらさっきの場面に出くわしたの。」
「俺とは会わない方が良いって前に言ったろ。キミの評価に影響が出るかもしれないんだぞ。」
「私はそんなの気にしてないよ。それに会いたいのに会えないのは変だよ。」
「それでもだよ。もしキミの評価が悪くなったら、ただでさえ世話になったキミの親御さんに合わせる顔がない。」
彼女は矢枝草 千恵。彼女の両親の千州さんと紗恵さんは