隣に住むお姉さん
久しぶりの新作です。
私、飯塚楓は女子高生でありながら、ほぼ一人暮らしだった。
お父さんは小学生の頃に離婚して、お母さんは仕事で忙しくて滅多に帰ってこない。けど、お母さんとはよく連絡を取り合っているので仲が悪いわけではない。
鏡の前で身嗜みを整える。
肩まで伸びた髪と前髪で隠れた地味な顔立ち。赤縁のメガネ。背は低く、体型は……将来に期待したい。
時刻は午前七時半。
今日は会えるかな?
私は玄関の扉を開けて、そっと廊下を覗き見る。
私が住んでいるのはアパートで一階の一番奥の部屋。
そして、視線の先はお隣さんだ。
「……」
五分経っても、変化なし。
今日はダメかな……。
諦めて外に出る。扉に鍵を掛けると、お隣さんの扉が開いた。
そこから現れたのは少しだらしのない女性だ。
腰まで伸びた髪には所々寝癖がある。
黒色のパーカーにジーンズといったラフな格好。
欠伸を噛み締めて、手には食パンが入ったビニール袋を持っていた。
「お、おはようございますっ」
「ん? おっ! おはよー楓ちゃん」
「っ……!?」
挨拶を返され、名前を呼ばれる。それだけなのに、顔が熱くなった。
「今日も可愛いねぇ」
「あ、ありがとうございます……」
お姉さん、真壁恵さんは私の頭を撫でた。
「今日も途中まで一緒に行って良いですか?」
「もちろん」
やった。
私と恵さんは並んで歩く。
恵さんは食パンを取り出すと、何もつけずに食べた。
「それ、朝ご飯ですか?」
「ん? そうだよ。あ、欲しいの?」
「いえ、朝ご飯食べてきたんで」
「そっか……失敗、ジャム持ってくれば良かった」
どうやら、あまり美味しくはないらしい。
それから、五分後。
「じゃあね。学校頑張ってね」
「恵さんも、仕事頑張ってください」
恵さんは駅の中に消えて行った。
私は徒歩通学なのでここでお別れだ。
少し寂しい。けど、朝から恵さんと会えて良かった。今日は良い一日になるかも。
唐突だけど、私は恵さんが好きだ。
それは尊敬や友情的な意味ではない。
恋愛的な意味だ。
***
私が恵さんと出会ったのは雨の日だった。
「はぁ、はぁ……」
風邪を引き、熱もあった。
けど、冷蔵庫に運悪く食べ物が無くて、フラフラな状態で買い物に出掛けた。
その帰り道。
「ついた」
アパートの入り口まで辿り着いた時だった。
身体から力が抜けて、倒れる。
コンクリートの冷たい床と、雨音が聞こえてきた。
私、このまま死ぬのかな……? 嫌だな……。
そう思いながらも、身体の自由は効かなかった。
あ、本当に不味いかも……。
「大丈夫っ⁉︎」
誰かが話しかけてる?
私はそのまま意識を失った。
気がつくと、布団に寝かされていた。おでこには冷たいタオルがあった。
「あ、起きた?」
「えっ……」
知らない女性だ。
「あ……」
人と話すのは苦手だった。特に知らない人なんて絶対無理。
「ちょっとごめんね」
女性は私のおでこに手を置いた。
「うん、熱はだいぶ下がったね。他に具合悪いとこある?」
「えーと……」
こ、この人誰……⁉︎
心配してくれている様子から悪い人ではないと思うけど。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね。私は真壁恵。よろしくね」
「私は飯塚楓です……」
「楓ちゃんね。楓ちゃんはたぶん今の状況分かってないでしょ。目が覚めたら、綺麗なお姉さんが居て、看病されてる。あれ、ここって天国なのて思ってるでしょ?」
「……」
「今のは笑うとこだよ。何の反応も返してくれないと、お姉さん泣いちゃう」
「す、すいません」
「こっちこそごめんね、無茶振りしちゃった。で、状況なんだけど、アパートの前で楓ちゃんが倒れてて、私の部屋に運び込んだわけ」
「っ」
そ、そうだ。私は熱で意識を失って……。
「あ、ありがとうございます!」
「お、ちゃんとお礼が言えた。偉いね」
「っ」
真壁さんが私の頭を撫でる。
優しい手つきだ。心がジーンと温かくなった。
「わ、私帰ります。迷惑をかけたお詫びはまた今度します」
「ダーメ」
立ち上がろうとすると、真壁さんに肩を抑えられた。
「まだ風邪治ってないから、寝てなさい」
「けど」
「反論は受け付けていません」
真壁さんは両手でバッテンを作る。
「親御さんが帰ってくるまでは家にいなさい」
「……今日は帰ってきません」
「え? そうなの?」
「はい、幼い頃に両親が離婚して、お母さんと一緒に暮らしてるんですけど、仕事が忙しいみたいで」
「そっかぁ。じゃあ、今日はお泊まりだね」
「え……?」
「楓ちゃんは食べたいものある? 難しいものは無理だから簡単なもので」
「そ、その……」
「遠慮しなくて良いんだよ。楓ちゃんは子供なんだから」
真壁さんは私を抱きしめる。
温もりと良い匂い。
誰かに抱きしめられたのって、いつぶりだろう。
自然と私の目から涙が溢れてきた。
「大丈夫? 痛いとこある?」
「だ、大丈夫です……」
そう答えるが涙が止まらない。
「胸を貸してあげるから、好きなだけ泣いて良いよ。これでも、胸の大きさには自信があるから」
「ありがとうございます」
私は真壁さんの胸に顔を埋めた。
真壁さんの胸は確かに大きかった。
それから、私は真壁さんのことを恵さんと呼ぶようになった。