第1話 私の加護
押し殺した息遣い、僅かな衣擦れの音がした方向を、私は射手達に示し、大まかな距離を合図し、指を立て、人数を伝えた。
射手達も慣れたものだ。逐一確認などせずに、私が指した方向に矢を放つ。矢が肉に刺さった音に続いて、重たいものが大地に倒れる衝撃音がした。呼吸が聞こえなくなったことを確認してから、私は身近に立つ射手達に目を向けた。
「見事な腕前だ」
「ありがとうございます。将軍の的確な指示のおかげです」
「そう言ってもらえると嬉しいが、何より君たちの普段の鍛錬があってのことだ。今後とも励んでくれ」
「もちろんでございます」
射手達の尊敬の眼差しに、私は少し気恥ずかしくなった。
元は嫌いだった。大したことがないと見做される私の加護が、これほど役に立つなど知らなかった。加護は神の恩寵だ。大して役に立たないと思っていた過去の自分に教えてやりたい。神は、私に最高の恩寵を授けてくださっていた。それに私が気づかなかっただけだ。
耳が良い。それだけだ。私は自身の加護を知ったときに絶望した。生まれる前に父を殺され、生まれてすぐに母を喪い、本来の生き方すら奪われていた私は、加護を授かり狂喜乱舞し、直後に奈落に叩き落された。神が、運命が、私を嘲笑っているとしか思えなかった。
父の仇討ちに、耳が良いことなど何の役に立つのか。失われた魔法を使う能力があれば、せめて、目が良いというのであれば、弓の名手となることができたのにと、私は神を恨み、運命を呪い、そのうちに気力を無くし、ただ無為に生きていた。
ドレスを身に纏い、偽りの装いだというのに美しいと称えられる日々を、ぼんやりと生きていた。無為で無駄な、最悪の毎日だと思っていたが、血で血を洗う戦地で生きる今、あの頃の平穏な日々が懐かしい。
元気にしているだろうか。私は左胸に触れた。ポケットに、あのハンカチがあることを確かめる。元気でいてほしい。あの子に会えなくなって、また、一年過ぎた。会いたかった。
若く未熟な私を、将軍と呼び付き従ってくれる人々、ときに容赦なく諌めてくれる友人がいなかったら、今すぐこの戦場を離れ、育ったあの国に戻っていただろう。
穏やかに微笑み、柔らかい声で話をした。静かに刺繍を刺す真剣な横顔を眺めているのが好きだった。夢中になっていて、私の視線に気づかないから、ずっと見ていた。あの頃に帰りたい。
あの子は元気にしているだろうか。故郷には、女性として生きていた頃の私の墓がある。過去を捨てて、反乱軍を率いる今、この国に関わりのないあの子の消息を知る術が無い。
待っていて欲しいと言えなかった私を、待っていてくれているだろうか。生きて帰る保証のない私など待たずに、誰かと結婚をして幸せになってくれているだろうか。
私の望みと、あの子の幸せを願う気持ちとが胸の内で交錯する。
私は、暗闇の向こうの気配を、耳を研ぎ澄まして探った。生き延びるために必要なことだ。耳が良いという私の加護は、壁や暗闇に覆い隠されるはずの物音を、私に伝えてくれる。
私が育った国は遥か彼方だ。私が本当に聞きたいあの子の声は、加護を授かった私の耳であっても、捉えることは出来なかった。




