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それでも愛を捧げたい

作者: 桜ノ宮


「――貴様とは婚約破棄だ!」


 王家主催の煌びやかな舞踏会で、婚約者からそう宣言をされた瞬間、侯爵令嬢フロリアーナは、潤みがちな大きな菫色の双眸を不思議そうに瞬かせた。

 彼の後ろには、淡いドレスに身を包んだ儚げな少女が怯えた顔でこちらを見ていた。


「俺が知らないと思ったか?」


 烈火のごとく怒りに駆られた彼の口からは、フロリアーナには身に覚えのないことばかり聞かされた。

 後ろにいる男爵家の令嬢をお茶会で仲間外れにした。

 平民の身から男爵家の養女となった令嬢を蔑み、仲間外れにした。

 この間は、熱い紅茶を男爵令嬢にかけ、火傷を負わせた。

 それだけでなく、男爵令嬢の醜聞を社交界にこれ見よがしに広め、孤立させた、等々。


 演奏に合わせてパートナーと踊ろうと大広間集まっていた紳士淑女たちは一様に眉を潜め、視線でフロリアーナを非難した。

 フロリアーナたちを中心に、人の波が引いていく。

 ざわつく周囲。


 だが、空気を読まないフロリアーナは、大好きな婚約者に会えたことが嬉しくて、ぎゅっと腕に抱き着いた。


「なっ…!! は、離せ!!」

「仰っていることがよくわかりませんわ。でも、久しぶりにランファ様とお会いできて嬉しく思います」


 きらきらと宝石のような双眸を輝かせるフロリアーナに、婚約者であるラルスファルトは、頭が痛いとばかりに頬を引きつらせた。





   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 フロリアーナは、ランファ――ラルスファルト・アルド・ヴァーレント第二王子のことが大好きだ。

 初めて顔を合わせたあのときからずっと。


 複数の鉱山を抱え、大領主でもある侯爵家は、国随一の資産家だ。

 その資産額は、国庫にも匹敵するといわれ、王族といえども無下にできない大貴族であった。

 そんな侯爵家に目を付けたのが国王だ。

 度重なる戦争で戦費がかかり、商人からお金を借りていた国王は、使い切れないほどの財を持つ侯爵家の末娘と王太子を結婚させることで多額の持参金を得ようと画策したのだ。


 そのために開かれたお見合いという名のお茶会には、フロリアーナだけではなく有力貴族の令嬢も多数招かれた。

 というのも、後ろ盾のない第二王子にも婚約者が必要だったからだ。


 そのときフロリアーナはまだ五歳。

 優しい兄と姉、そして両親や使用人たちからたくさんの愛を与えられ、とても素直に育った。

 そう。

 とても素直に――……。


 だから、お茶会の真の意図もわからず、言ってしまったのだ。


「おかあさま、リア、あの方とけっこんしたいです!」


 結婚とは、好きな人とずっと一緒にいることだと姉から教えてもらった。

 そのため、フロリアーナは、一目で心を奪われた少年を見て、そう言ったのだ。


「リ、リア……?」


 フロリアーナ以外の貴族令嬢は、このお茶会の目的をしっかりと把握していた。

 そのため、フロリアーナの横には、王太子が座り、顔合わせをしたあと、王妃の発案により二人きりで美しい庭園を散策する予定だった。


 ――しかし。


 優秀な王太子の陰に隠れるように、少し俯き加減で入っていた第二王子を見た瞬間、フロリアーナの心臓が跳ねあがって、顔がぶわっと熱くなった。


(キラキラかがやいていますわ。ばあやが読んでくれた物語にでてくる王子様みたい……)


 フロリアーナのありふれた亜麻色の髪とは違って、光に溶けて消えてしまいそうなプラチナブロンド。その髪色と同じ睫毛は長く、感情を飲み込むかのように伏せられた目を覆っていた。フロリアーナと同い年だというのにどことなく感じられる色香にくらくらした。


「しゅ、しゅきです! けっきょんしてくだしゃい!!」


 ダッシュして第二王子に飛びついたフロリアーナは、焦るあまりに盛大に噛みまくったことも気にしなかった。


「な……っ、は、離せ!」

「嫌ですわ。だって、運命ですもの!」


 このお茶会の主役の一人であるフロリアーナの暴挙に護衛騎士は珍しくも狼狽え、王妃はポロリと手から扇子を落とし、澄ました顔だった王太子は爆笑した。


「リ、リア……なんてことを……!」


 娘の不作法と王族に対する不敬に、フロリアーナの母親である侯爵夫人が倒れた。


「キャーッ! だ、だれか、侯爵夫人が!」

「王宮の侍医を、早く!!」

「侯爵夫人、気をしっかり!」


 阿鼻叫喚とする中、第二王子にぴったりとくっついたフロリアーナだけは幸せな笑みを浮かべた。


「リアのおうじしゃま……」


 これが後の『フロリアーナ侯爵令嬢のご乱心』と呼ばれる、始まりの出来事だった。






 結果からいうと、フロリアーナの願いは叶えられた。

 ぽやぽやしているフロリアーナには王太子妃はどうあがいても無理だし、愛娘の意向を尊重したい侯爵が反対したからだ。

 王家とすれば持参金が手に入ればいいし、王太子のスペアでしかなかった第二王子の使い道が決まったことは喜ばしいことだった。

 将来的に、第二王子には公爵の地位と領地が与えられ、フロリアーナは公爵夫人となる。

 両家の思惑は一致したお陰でもめることはなかった――当人を除いて。




「どうし僕なんか選んだんだ」



 フロリアーナの婚約者となった第二王子は、いつも不機嫌だった。

 フロリアーナに笑いかけることもせず、最低限な会話しかしない。

 それでもフロリアーナは構わなかった。

 だって、彼を見るだけでふわっと心があたたかくなって、ドキドキしたのだから。

 そこに存在するだけでよかった。


「だって、ランファ様は、リアの特別ですもの」


 第二王子のお決まりの言葉に、フロリアーナもお決まりの言葉を紡ぐ。

 憂える顔も素敵。

 あ、少し眉間に皺を寄せて苛立っている。

 その顔も綺麗……。

 まるで精巧なお人形のようだ。


 フロリアーナは行儀悪くテーブルに両肘を付き、手を伸ばせば触れられる距離にいる第二王子をうっとりと見つめた。

 王宮には劣るけれど、侯爵邸の庭園もそれは花々が咲き乱れて美しい。

 でも、そんな目を楽しませる風景も、彼の前では色褪せてみえた。


 婚約者となって三年が過ぎたが、まだ彼とは越えられない壁があった。

 許可されていないのに名前で呼び、そして愛称をつけ……勝手気ままに振る舞うフロリアーナ。

 相手が王族だから敬え?

 そんなの『愛』の前では関係ない。

 

「くだらない……。早く目を覚ますことだ」


 澄み切ったアイスブルーの双眸が昏く澱む。

 彼は、フロリアーナが王太子の婚約者となることを望んでいる。

 けれど、王太子にはすでに婚約者がいるのだ。

 弱冠十二歳でありながら、その美貌はすでに社交界に知れ渡り、複数の国の言葉を自由に操る才女だという。

 これ以上王太子妃に相応しい者がいるだろうか。

 だが、第二王子は納得してくれなかった。



「ふふっ。ランファ様、もう昼ですわ。リアは起きております。確かに、いつもでしたらお昼寝の時間ですが、今日は、ランファ様のためにしっかりと起きています! あ、ランファ様……もしかして、一緒にお昼寝をしたかったんですの!?」

「お嬢様、いくら婚前前とはいえ、男女が同じ寝台に寝るのはよろしくありません」

「まあ……でしたら、寝台でなければいいのね! ランファ様、お外でお昼寝しましょう。きっと気持ちいいですわ。リアも何回も……あ、はしたないって思わないでくださいませ。だって、とっても寝心地が良さそうで……」


 堪り兼ねたように口を挟む使用人に、目を丸くしたフロリアーナは、すぐに菫色の双眸を甘く輝かせた。


「はあ………」


 第二王子はついていけないとばかりに溜息を吐いた。


「そのお顔も素敵……」


 フロリアーナもまたほぅっと溜息を吐くのだった。






   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







 そんな風に、フロリアーナばかり愛情過剰で過ごしてきたというのに、なぜ婚約破棄となるのだろうか?


「ランファ様はリアのことが好きではないのですね……」

「ようやくわか……」

「でも、大丈夫です! リアは、ランファ様が大好きですわ」


 騒ぎを聞きつけた王太子によって場所を移動させられたフロリアーナは、隣に座る第二王子にぎゅむっと抱き着いて、彼の匂いを堪能した。


(いい匂い……リアの大好きな薔薇の香り……)


 きっと広間は蜂の巣をつついたような光景だろうが、そこは有能な王太子と父である侯爵たちが場を収めているだろう。

 騒ぎの発端となった男爵令嬢は取り調べを受けるため、別室に連れていかれているらしい。


「世の中では愛のない政略結婚というのがあるらしいですが、リアはランファ様が大好きなので大丈夫です。一方的な愛情があるのならば、それは政略結婚ではありませんわ。恋愛結婚です! あ、もし、ランファ様があの男爵令嬢とかいう娘を愛していらっしゃるというのなら、第二夫人でしたら認めますわ。でも、正妻の座は譲りません!!」

「……」


 顔を上げたフロリアーナは、ほんの少し困った顔をしている第二王子を見つめた。

 もう互いに十七歳になった。

 綺麗なお人形のような王子様の背は伸び、柔らかだった輪郭もシュッとして、カッコよさが加わった。

 フロリアーナという婚約者がいるにも関わらず、年頃の令嬢からは熱い視線をいくつも送られていることを知っていた。

 彼がフロリアーナを拒絶していることで、自分にも可能性があるのではないかと一夜の過ちを夢見て言い寄る令嬢は後を絶たない。


(王子様は魅力的なものですもの)


 第二王子がもてることは嫌ではない。

 幼い頃に、物語の王子様に夢中になったように、大きくなっても魅力あふれる王子様が目の前にいるのならば、憧れずにはいられないだろう。


 ――あの、男爵令嬢のように……。



「わたくしは、お勉強が苦手ですし、考えることも苦手です。でも、出会ったときから貴方様のことだけは見てきました。ずっと、……ずっと」

「ならば……」

「だからこそ、です」


 フロリアーナはにっこり微笑んだ。

 いつもの元気な笑顔ではなく、ちょっと大人びた笑みに、第二王子が目を見張ったようだった。


「どうぞ、わたくしを利用してくださいまし」

「! な、ぜ……」


 彼の顔色が変わった。


 王妃の子である王太子。

 身分の低い側妃の子である第二王子。

 正統な血筋である王太子より決して目立ってはいけない。

 それは暗黙の掟。


 だから彼は仮面を被った。

 王太子より劣ってみえるよう、王太子よりも評判がよくならないよう、息を殺して生きてきたのだ……。

 それな不器用な生き方しかできない彼が、フロリアーナには心底愛おしかった。


 冷たい?

 横暴?

 王子としての品格に欠ける?


 どこをどう見たらそうなるのだろう。

 そうならざるを得なかったというのに。

 

「わたしくは、貴方様を殺させません。だって、それだけの力が我が侯爵家にはございましてよ」


 第二王子はいつだって命を狙われている。

 それは、王太子が王となり、後継者が誕生するまで続くだろう。

 それまで、第二王子は、仮面をつけておかないといけないのだ。


「なぜ、そこまで……。兄上の妃になっていたならば苦労しなかっただろうに……」

「まあ! わたしくが愛しているのは、ランファ様です。王太子殿下は好みではありませんわ」

「……俺は、人の愛し方がわからない」

「ええ、知っておりますわ。その分、わたくしが貴方様を愛します」

「厭われる俺では、お前を幸せにはできない」

「そこにいらしていただけるだけで、わたしくは幸せですの。それ以上は望みませんわ」

「俺は……」

「ランファ様の行動を制限するつもりはございません。お好きになさってくださいませ」


 昏く瞳を揺らす第二王子の唇にそっと人差し指を当てたフロリアーナは、小首を傾げた。


「でも、絶対、最後はわたくしの元へ帰ってきてくださいませ。約束ですわ」


 第二王子の瞳が迷うように揺れる。


「ふふっ。早く式を挙げましょう。お姉様よりもうんと派手にしませんと。ね? そうでしょう?」

「……ああ」


 彼もようやく観念したのだろうか。

 小さく頷いた。

 ぱあああと華やかな笑みを浮かべたフロリアーナは、薔薇色に染まった頬に手を当てるのだった。







   ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆







「お嬢様、こちらの箱はどういたしますか?」

「捨てていいわ。だって、ゴミですもの」

「畏まりました」


 これは重いなと言いながら、男二人がかりで長方形の箱を運んでいく。


「ぅ~ッ」


 一瞬聞こえた少女の呻き声に、フロリアーナはのほほんと呟いた。

 

「薬が切れてしまったのかしら」


 眠っているほうが幸せだったのに……。

 可哀そうと他人事のように思ったフロリアーナは、埃っぽい納屋を見渡した。

 ゴミが入った箱を置いておくために選んだ納屋は、殺風景だ。

 このまま取り壊してしまおうかしら、と小首を傾げたそのとき、角に蜘蛛の巣を見つけた。


「お嬢様、申し訳ございません。掃除いたしますね」


 フロリアーナの視線を追った使用人が顔色を変えてそう伝えた。

 普段使っていない納屋だから、使用人が手抜きをしていたのだろう。


「待って」


 フロリアーナは、箒を持ってこようとした使用人を制した。

 見つめる先には、蜘蛛の巣にかかった哀れな虫がいた。

 もがく虫は、けれどもがけばもがくほど粘着力のある糸は体に絡まり、ますます身動きができなくなっていく。


「ふふっ。今日はご馳走ですわね」


 ゆっくりと獲物を目掛けて糸を伝う蜘蛛に目を細めたフロリアーナは、にっこりと笑ってから背を向けた。


「――物語の最後は、お姫様と王子様は幸せに暮らしましたじゃないといけませんわ」


 歌うように呟いたフロリアーナは、新しい箱を作るように使用人に指示したのだった。



 

乙女ゲームっぽい婚約破棄からの糖度120%の物語だったはずなのに、なぜかフロリアーナが暴走してしまいました……。

きっと、第二王子も病んでるから似た者同士ですね。

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