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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

卵をレンジであたためたらニワトリがうまれた

作者: しらす

たぶん純文学

二十四時、マンションの一室。

日々の労働から一時の開放を赦された男がいた。


電気をつけ、手を洗い、荷物を床に放り投げ、一度大きなため息をつく。下へ、下へ、その息が空気中のどれよりも重い気体であるように。一連の動作を流れるように行った後、男は冷蔵庫を開ける。


「あー……」


ろくに食えるものが無い。調味料と酒、生米と卵が四つ。

これなら帰り掛けにコンビニでもよればよかった、と独り言ちる。もっとも、給料日前なので男にはろくに買えるものが無かったのだが。漏れ出てくる冷気がそっと肌をなぞり、男は軽く腕をこする。


今更外に出る気も起きない。酒で空きっ腹を満たして寝てしまえばいい。そう思って缶を一つ手に取り、顔を上げた、その時だった。


冷蔵庫の上のレンジに目がとまった。別段変わったところのない、ただの安いレンジである。ただ、その日、白い箱の上にある黒い四角、暗い空間に男は惹かれた。

ふと、男の頭にある考えが浮かんだ。


卵を温めよう。


もちろんそんなことをすればどうなるのかは知っている。

卵をレンジで温めれば爆発する。今どき子供でも知っているだろう。

そう、男はそれが見たかった。ぐちゃぐちゃに飛び散る卵、勢いよく開く扉とほのかに香る硫黄。ありありと想像できる。

極めつけはその爆発音だ。隣近所には確実に届くだろう。まだ夜中の十二時だ。こんな時間に寝ている奴なんてその不快な音で起こしてしまえばいい。俺よりも早くに寝ているなど許せない。夜中にうるさいという隣人の苦情を思い出す。

そんなこと知ったものか。くくっ、と乾いた笑いが男の喉からこぼれた。


不明瞭な思考の中、卵をつかみ、レンジの扉を開ける。黄色い光が室内を緩く照らす。ターンテーブルに卵を乗せる。卵は軽く揺れ、端へと転がる。

男は何となく苛立った。テーブルの端では爆発が均等に室内に行きわたらないではないか。加熱にムラができるのと同じように、このままでは殻が、黄身が、白身が、まんべんなく飛び散らないではないか。それでは美しくない。

そうだ、底を潰してしまえばいい。そんな考えが頭をもたげたが、すぐさま思い直す。それでは卵は爆発しない。

男は爆発が見たいのだ。今必要なのはコロンブスの卵ではない、爆ぜる卵だ。


もう一度卵を拾い上げ、そっと、慎重に、貴重な宝石でも扱うかのように、男はステージの真ん中に卵を置く。

これから爆発させるというのに。

ゆっくり、風を起こさぬように、振動を生まぬように、扉を、重い扉を押し込んだ。


右手の人差し指で、温めボタンを押す。

テーブルが回り始めた。一周、二周。回る卵の頂点をねめつける。男の顔は扉のすぐそばまで来ていた。これでは爆発した際、扉が男の顔をこれでもかという風に強打するだろう。それよりも、卵が爆発四散する様を可能な限り近くで見たかった。できることなら箱の中で、ともに加熱されながら見たかったのだ。


冷蔵庫とがっぷり四つに組みながら、仄暗い箱の中を眺めていると、ふと、子どもの頃、親に、電子レンジの前に立っていると漏れ出て来る電波のせいで馬鹿になる、と言われたのを思い出した。

きっとそうなのだ。俺は馬鹿になってしまったのだ、と男は思う。レンジで卵を爆発させるなど正気の沙汰じゃない。毒電波の影響以外ありえないだろう。

しかしその反省ももう遅い。加熱を始めて三十秒は経った。もうすぐ、もうすぐで卵は孵化する。



さらに一周、二周、卵は回る。さあ今だ。爆発しろ。その中身を飛び散らし、どうしようもないほどぐちゃぐちゃに、馬鹿な俺の頭ごと破壊してしまえ。地獄の門が開くのを待つ。


しかし、待てども待てども爆発しない。さあ早く、秒針が一周してしまう。

なぜだ。男は焦り始める。さあ早く。なぜ爆ぜない。


ビィ――――ッ、と不快な音が部屋中に鳴り響いた。あたためが終わった。

なぜだ。焦りのままもう一度ガラスをのぞき込む。


卵が消えていた。


なぜ? いつ消えた? 気が動転した男は急いで扉を開く。


まるで地獄の窯の蓋を開けたようだった。びっくり箱さながら、けたたましい音とともに白い物体が飛び出し、男の顔面を襲う。

「ぎゃああああ!?」

それはそのまま男の肩を飛び越え、窓の方へ走っていく。


ニワトリだった。


ニワトリはそのまま網戸を突き破り外へ出て行った。室内には腰を抜かした男が一人ぽつんと残されている。


男はその身を奮い立たせ、震える足を、笑う膝を押さえつけ、立ち上がり、レンジをのぞき込んだ。箱の中には白い羽根がこれでもかと散らばっていた。羽根は触るとほろほろと崩れる。熱を持っていた。


「ははっ」


もう一度見たい。

男は冷蔵庫から新たな卵を取り出し、羽根の中に卵を突っ込んだ。そのまま加熱を開始する。


さあ次はどうなる。卵がニワトリに変わる瞬間を見逃さないよう、男はさらに近くで卵を観察する。額が熱を感じる。


卵が消えたのは不快なブザーの音と同時だった。男の目にはガラスにへばりついた汚い羽根しか映っていない。今度は襲われないようにと、慎重に距離をとりつつドアを開ける。

先ほどと同様、レンジからはニワトリが飛び出してきた。そのまま勢いよく男のベッドを踏みつけ、布団を割いて羽毛をまき散らしながら外へと飛び出していった。


「ははっ、ははは……」


もう男を止めるものは何もない。新たな卵を箱に放り込むと、今度は200Wであたため始める。さっきが500Wだった。今度はどうなる。今度こそ爆発するのか。


汚いブザーとともに飛び出してきたのはペンギンだった。ペンギンはそのまま床を滑り、シンクを滑り、排水溝の中へと吸い込まれていった。


すぐさま新しい卵を加熱する、今度は600Wで。

もはや男の頭には爆発を見るという目的は消えていた。レンジで卵を温めると鳥が生まれる、その発見が男を支配している。体が火照るように熱い。

男は今、その人生の中で最高潮に興奮していた。


レンジからはダチョウが飛び出してきた。ブザーは鳴らなかった。そもそもダチョウはレンジであたためられていたのだろうか。ダチョウは明らかにレンジより大きかった。


ではどこから来た?


玄関からか。一度ドアの方を見て振り返ると、ダチョウは溶けていた。どろどろに崩れ、丸い黒目がこちらを見ていた。


ふらふらとした足取りで冷蔵庫へたどり着く。開けると、卵は無かった。

これではもう鳥を生み出せないではないか。苛立ちのあまり頭をかきむしる。乾燥しているのだろうか。頭皮がぽろぽろと崩れ、四散する。

「世紀の大発見だってのによお!」

そう言うと男は思いっきり壁を殴りつけた。隣人の苦情のことなどとうに頭から消えている。


早くこの発見を誰かに知らせなければならない。今すぐにでも外に出て、隣の部屋のドアをたたき、廊下を走り回り、ベランダから大声で叫びたかった。

部屋を三周走ったところで思い直す。だめだ、あいつらにこの発見の重要性が分かるわけがない。人の苦労も知らない中のうのうとこの時間に寝ている奴らに教えても意味がない。


ではどうする? どうすればいい?

男はある考えを思いついた。


この部屋をレンジにしてしまえばいい。そうすればあたためられた俺は鳥になって、この発見を世界中に飛び回って知らせることができる。


急いで窓を閉める。分厚い遮光カーテンもかけた。玄関の鍵もかけてある。

レンジの扉はいつの間にかなくなっていた。硫黄のにおいが部屋に充満していて気分が悪くなったので手に持っていた酒を呷った。

いつの間にか温くなっていた。あたためてしまったのかもしれない。


あたためを開始する。可能な限り最大の出力で。

電波が部屋中に放出される。熱い。体の外も内も熱い。

喉が渇く。玄関がガンガンなっている気がする。頭もガンガン鳴り響いている。


融けていく。どろどろに。さっきのダチョウのように。

部屋の白い壁はいつの間にか赤くなっていた。

俺だけでなく部屋まで加熱しちまったら失敗だなあ、という言葉を残して、男は崩れた。



夢を見た。男は灰になった。灰はいつの間にか集まって、丸い塊を作る。黒い卵だった。

それを隣人が拾い上げ、興味がないと放り捨てる。

卵は地面にぶつかると音もなく割れる。殻の中からさらさらと灰がこぼれる。


それは鳥の形をしていた。鳥は翼を動かす。飛ぼうとしているように見えた。

風が吹く。

鳥は風に乗ることはなく、そのまま崩れ、あとには煤がすこし残るだけだった。






『ニュースです。昨夜、都内マンションにて火災が発生。現場からは男性の遺体が発見されています。火元は室内の電子レンジであると思われ、警察は現在出火原因の特定に急いでいます。なお、ほかにけが人はいないとのそうです。

 次のニュースです……、……』

安部公房みたいなのが書きたかったんだけど、難しいですね。

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