執務四:役者-1
「誰が予想していただろう」
誰も彼もがまさかと思っていただろう。
「あのワイアット卿が、本当に女装したまま昼食会に出席するなんて」
「お前が言い出したんだろうが、レイモンドッ」
まさか本当にアデラお嬢様のままで出てくるなんて、誰が予想していただろう。たぶん裏にはチェンバレン氏の悪意が働いていたに違いない。
「駄目よ、お嬢様。そんなはしたないお口の利き方は」
そう言って、レイチェル嬢はクスクス笑う。レイチェル嬢に関しては、もう普通の女性である。ワイアット卿はますます浮いていた。
私が何故この昼食会の場に居られるのかと言えば、それはチェンバレン氏とレイチェル嬢のお陰だ。チェンバレン氏は私に経験を積ませたいと言い、レイチェル嬢はそれを快く了承したのである。私としては光栄な事だが、将来「着せ替えごっこ」をさせられるのかと思うと、気が重い。その思いはワイアット卿の不機嫌な顔を見て一層強まった。
「さ、冗談はこれくらいにして、食事にしよう」
キーツ卿が手を叩いた。
昼食はコース形式で振る舞われた。前菜はスモークサーモンのサラダ。主菜はタラのステーキ・レモンソース添え。と、魚尽くしのメニューだ。
「さて、次はデザートだが、その前に一品出さしてもらおうかな」
運ばれてきたのは、見た事も無い魚料理だった。白身だが身がしっかりしていなくて、少しふわりとしている。そして何やら黒っぽい皮が付いているが、これが若干光沢があり、ぬめりけがあるようだった。しかもそれと一緒にゼリーが盛り付けてあり、あまり食欲のそそる様な見栄えではない。
「……何だこれ」
私の抱いた感想を、ワイアット卿が代弁してくれた。
「これはね、ウナギだよ。今朝釣れたんだけど、あんまり大きかったんで嬉しくなっちゃって、料理させたんだ。ま、兎に角食べてみてよ」
ワイアット卿は恐る恐るスプーンを入れた。プリプリとしたゼリーに、ブリブリとしたウナギの身。見れば見るほどグロテスクだが、ワイアット卿は思い切って口に含んだ。口の中でグニグニと噛むと言うより溶かして、嚥下した。それに続いて、キーツ卿も一口、レイチェル嬢も小さくして食べる。
「……うーん、これって……」
レイチェル嬢は言葉を濁した。ワイアット卿は二口目が続かず、言葉も無い。
「うん。はっきり言って不味いね。泥臭いし大味」
キーツ卿は正直だ。
「ロンドンの方では結構食べるって聞いたんだけどなあ」
「……僕は聞いた事もないぞ。どうなんだ、セバスチャン?」
「は。庶民に好まれる魚だと記憶して御座います。身が多く、それでいて需要が無い為に安いと。味の方は……そういう事に御座います」
何故か私がワイアット卿に睨まれた。
果物を基本にしたデザートで口直しをして、食事会は終了した。
「美味しかった?」
レイチェル嬢が訪ねる。
「なかなか。……ウナギ以外は」
「良かったー! ウナギ以外は喜んで貰えて。ウナギ以外のお魚を沢山食べたから、これでアデルも大きくなるかしら? ねえ、お兄様?」
「君たちはぼくの釣果に否定的なんだなあ。それはまあ良いけど、確かに一日でも早く妹を嫁に貰って行って欲しいね。でないと屋敷中騒がしくて困るよ」
「まあ、お兄様ったら酷いのね」
そう言いながらも、コロコロと笑う。本当に仲の良い兄妹なのだ。そんなやりとりを、口の端を拭きながら聞いていたワイアット卿だが、
「ちょっと良いかな」
と注目を求めた。
「今日はその件で話がある。ここに来たのはそれがあったからでもあるんだ」
え、と真っ先に声を上げたのはレイチェル嬢だった。
「それってもしかして……!」
そう期待に満ちた声と共に腰を浮かせたが、ワイアット卿は彼女を制した。
「早とちりはしないで欲しい」
妙に落ち着いた声音だ。それの意味する所は、これから重要な話をするという事だろう。レイチェル嬢は大人しく腰を下ろした。
「レイモンド……いや、キーツ伯爵。貴男とは僕が幼い頃の馴染みだし、それにビジネスにおいても協力関係にある。僕は鉄を、貴男は非鉄金属を、それぞれ扱うものを他にする事でお互い共存している。前もって言っておくが、僕にその関係を破壊する気持ちは無い。ただ……」
ワイアット卿はそこで言葉を切り、ちらりとレイチェル嬢を見遣ってから、目線をまたキーツ伯爵に戻し、続けた。
「……レイチェルとの縁談、一旦無かった事にして欲しい」
「え!?」
レイチェル嬢は勢い良く立ち上がり、目を見開いた。
「それ、どういう事?」
「レイチェル、それにキーツ伯爵。解って欲しい。これは僕個人の問題だ」
大きく頭を振って、レイチェル嬢は顔を覆った。
「解らない! 解りたくない! そんなのって無い!!」
叫んで、居たたまれなくなったのか、飛び出して行ってしまった。
「レイチェル!」
ワイアット卿は一瞬腰を上げたが、すぐに座ってしまった。
「追わないの?」
「……追わない」
「ああ、そう」
キーツ伯爵に戸惑う様子は無かった。
「それじゃあ、訳を聞かせて貰おうかな?」